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2017年09月15日

全然普通じゃない「普通高校」

中学生の7割が進学する普通高校。大多数が進む道だから「普通」なのでしょうか?

でも実際にやっていることは大学に進学するための受験勉強とクラブ活動。強いて言えば大学の予備校と同じで、それでは公教育の体裁が取れないからクラブ活動でお茶を濁しているような・・・

今回は普通高校ってなに?を考えて見ます。

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以下(http://www.fujitsubame.jp/educationp.html)より引用します。
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 普通高校は、普通ではない。普通というのなら、商業高校や工業高校、農業高校だろう。今の普通高校をあえて言うならば、大学へ行くための予備校に過ぎない。なぜならば、普通高校では普通のことを教えていないからである。

 大学への進学率が、五十%近くなっている。それでも、大学への進学は、半数に過ぎない。元々、大多数の人間は、大学へ行かずに就職した。だから、仕事を覚えたり、社会に出る準備をするのが普通校の目的のはず。ところが、現在の普通高校は、それら一切合切を大学に任せて、進学のためにばかり専念する。ならば、進学高校、予備校と名前を改めればいい。

 大体、大学と言うところは、スペシャリストを育成するところである。ゼネラリストを育成するところではない。ゼネラリストを育成するのは、社会である。だから、大学を受験するにしても志望がハッキリしていなければ意味がない。それも、志望校ではなく。志望教科、学科である。大学を選ぶ基準は、どの大学に入れるかではなく。何を勉強したいか。どんな仕事、どんな生き方がしたいかである。だから、厳しい受験勉強にも耐えられる。そうでなければ、ある種のパラノイア偏執狂にでもならなければ、受験勉強などやっていられない。

志望学科を絞り込もうとしたら、平均化、標準化は、逆行である。つまり、一般化、普通化ではなく、専門化、特殊化することを普通高校は、目的としなければならない。とすると、普通という言葉は、適切ではない。

 普通高校というなら、普通に生きていける事を教えるべきだ。大学に進学させることを目的としているのならば、そのことを明記すべきだ。どっちつかずだから、中途半端な教育しかできない。中途半端を普通というならば、中途半端な世の中を是認していることになる。
 普通でない高校を普通というのは、普通なことを普通に教えていない証拠。
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義務教育を終えたということは、もう社会に出てもいいですよ、ということです。社会人として働くのも学ぶのも自らが選択できるということ。

なのに普通高校のやっていることは、社会との接点を一切持たせず受験のための勉強を強制するだけ。偏差値で大学進学をサポートするだけ。予備校そのものです。進学が目的なら高校など行かず本物の予備校に行ったほうがよほど効果的ではないでしょうか。

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今の普通高校は、サラリーマン、給与所得者育成の仕組みになってしまった。その為に、職人や自営業者、農林漁業の従事者を根絶やしにする仕組みである。職人や自営業者、農林漁業従事者とは、何か、彼等は、収入を大組織に依存せず。経済的に自立している者達を指す。結局、大企業や官公庁に勤めている者達は、組織に依存しなければ生きていけないのである。そう言った、依存者を作り出す仕組みが、進学制度なのである。

 普通高校の目的は、大学への入学である。つまり、入学することが目的と化している。大学は学問をする場所である。学問には、目的がある。しかし、入学を目的としている普通高校では、入学後のことは、教えてくれない。また、生徒がなにを望んで、何になりたいかは、二の次である。とにかく、一番重要なのは、偏差値であり、その生徒の偏差値で合格できる大学が問題なのである。自分が、何をしたらいいかは、大学へ入学した後で考えればいいと教えている。そんな馬鹿な、そんな非常識な話はない。

だから、大学へ入学したとたん、自分が何を勉強して良いのか解らなくなる。何を志望しているのか、解らなくなる。そうして、後は、卒業することが目的と化す。同じように、就職を決めてようとする。そこで、はたと困る。実際に、自分は、どうしたいのか。自分は、何がしたいのか。自分が、どんな仕事をしたいのかを、全然、考えてきていなかった事にその時、気がつくのだ。それでも、妥協できる者は、就職をしていく。しかし、妥協できない者は、就職をしないで、悩み続けることになるのである。そして、そのように追い込んでしまった周囲の人間は、あたかも、無能力者の様に扱うのである。

 ここで、ハッキリさせよう。中学や高校時代こそ、人生いかに生きるべきかをしっかり考えさせ。自分の人生に責任が持てるようになるように指導すべきなのだ。
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以前、大学生活は究極のモラトリアムだという批判がありましたが、実際のモラトリアムは高校進学と同時に始まっていたのです。普通高校進学とは、社会のことは脇に置き、経済的に自立できない、企業に依存しなければ生きていけない道を進路として選んでいるだけなのかも知れません。

今まではそういう道が「普通」だったのかも知れません。しかし社会はめまぐるしく変化し、企業も厳しい生存競争の中でただの雇われ人は採用しなくなっている時代です。普通に「普通高校」を選ぶ前に、社会人としてどう生きるか?をしっかり考えべき時代になってきているのだと思います。

投稿者 hoiku : 2017年09月15日 List   

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