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2017年06月30日

西洋発の「教育論」は不要。寺子屋・徒弟制度にみる実践的な学びの場をいかに再生するかが日本の課題。

「蛇は爬虫類で蛙は両生類で、バッハは近代音楽の父でヘンデルは音楽の母で、十七条の憲法は聖徳太子で五箇条の御誓文はは明治天皇で・・・・ぼくたちは一体、なにをしていたんだろう」(勉強しなければ大丈夫・五味太郎より)

テストに出るから暗記したけれど、こんな断片的な知識は何の役にも立ちませんでした。まったく時間と脳みその無駄遣いだったと思います。

生物史を紐解く中で蛇も蛙も人間も登場し、生物がどうやって誕生し、進化してきたかを追求することで、私たち人間がどこに向かっていくのかも見えてくる。

古代から現代に至る社会構造、意識潮流の変化をたどるなかで聖徳太子も明治天皇も登場し、私たちの社会構造や先人の知恵を学ぶところとから、これからの社会づくりが展望できるのです。

歴史からの学びはとても大切なはずですが、現実の歴史の勉強はまったく役に立たない。いやむしろ真っ当な追求思考を妨げる害になっていると言えそうです。

今回は五味太郎氏「勉強しなければ大丈夫」より、勉強によって歴史観がどれほどゆがめられているか・・・勉強公害の一端を考えてみます。

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以下「勉強しなければ大丈夫」(五味太郎)より引用します。
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それは後になってわかってきたことですが、勉強しちゃったがゆえにわからなくなってしまったことや、変に憶えこんじゃったりしているものって、たくさんあると思わない?

たとえば、明治維新から西洋の影響を受けて日本は近代化したと学校の歴史の授業で習うけれども、これはぜんぜん違うんだということは、じわじわわかってくる。

島原の殿様は江戸時代すでに、すごい技術革新を取り入れていたし、南蛮船がやってきたのを見て海洋技術の可能性を当時の人々は学んだだろうし、さらに昔、空海さんは唐に行ってあまりに魅力的なものを見聞きして、彼個人が近代化し、それを整理して布教したわけだろうし。

「近代化」は維新から突然始まったわけではない、維新の近代化は実は「西洋化」ということなんだ、というように、学校で勉強したことをいちいち払拭しながら次を理解していかなくてはけないわけです。あらためて学習しなおさなくてはならないのですね。
(中略)
明治維新で日本が近代国家として整ったのだとすれば、ではそれ以前は乱れていたのか?未開未整理の野蛮な混乱した時代が続いてきたのか?江戸のころは国家として成り立っていなかったのか?
と考えてみると、いやいや、6世紀、7世紀、もっともっと遡って縄文時代の頃からすでに、かなり高度な文化文明をやってきた風土ですよ、ここは。
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明治維新=近代化という図式を取り去ってみると、古来から日本人が備えていた好奇心、探求心でさまざまな技術や思想を学び吸収してきた様が見えてきます。明治維新は、それまでの日本の近代化という土台の上に西洋化という旗を立てて、向かう方向を捻じ曲げただけなのかも知れません。そのひとつが学校制度だったのです。

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ぼくが推測するに、日本は学校制度がはっきり出来ていない頃、学習制度がとても盛んな国だったのではないかと思います。織物、建築、焼き物・・・大陸や半島から伝わってきたものを、学んで習って真似してやってみる人がたくさんいたんだと思います。そしていわゆる伝承という形で、習う、教える、つまり教育とうことが出てくる。

絵の世界だけをみても、すごいものがいっぱい残っているんですよ、この国は。いろいろな方式があって、徒弟制度があって、需要供給がちゃんとあって。室町の頃にはすでに雪舟なんかもいて、桃山時代にはあの狩野派などという大きないわゆる絵の商社みたいなものもあったわけです。そして江戸期に入ればそれこそ尾形光琳、俵屋宗達、あるいは円山応挙などなどなどが輩出して、美術産業がもうとっくにできているわけです。
(中略)
いままで教育という現象がライブでスムースに行われてきたんです。娘がおっかさんの横で料理を見て憶えていくような状態ね。当たり前として知識を獲得していく教育現象。その伝達がうまくいっていたんです。建築学校なんて出ていない大工が五重塔をつくり、東大寺をつくり、唐招提寺をつくり、工夫して成功したり失敗したり、徒弟制度の中で伝わっていく。その、現場でスムースにやれていた教育を、そのまま近代化していけばよかったのに。
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徒弟制度は古い、封建的だ。学校制度は新しい、近代的だ。という見方も「勉強」の成果でしょう。現代の日本がクールジャパンといわれ、高度な技術力を獲得してこられたのも、明治以前の学習制度によって培われてきた日本人の精神性によるところが大だと思います。
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人間をどうやって育てていくかということまで西洋に学んでしまったんですね、どうやら。
精神的なもの抽象的なものを学ぶことを学問と思いがちだけれども、実際は具体的なものとリンクしていないと腑に落ちないわけです。実感を得てはじめて、その人の精神性が出る。いままでちゃんとそういう教育があったのに、このやり方はではダメですと否定して、子どもは学校に行くんです、勉強するんですとなってしまった。下手したら、実感を持ってはいけない、伝統的な生活は家に置いてきなさいなんていうぐらいに。

学ばないほうがいいことと、学んだほうがいいことの差がわからない人々が多かったんじゃないかな、大人に。風土における人種が持っている特質というものがあると思うんです。民族それぞれ特徴があるのに、大和の人がアングロサクソンやゲルマンの人のやり方を学んで、大和民族の独特のものまで否定してしまった。

アングロサクソンにはきっと必要なんですよ、ああいう学校制度が。でも大和民族は学校制度に合わないんだと思うんだよね。理念的な考え方自体が合わない。この風土で子どもが学んでいく一番いい方法はなんなのか、考える時期にきているのだと思います。それなのに、お馬鹿さんはいまだに西洋の教育論に学んでいる。シュタイナー理論をどうやって取り入れればよいか、ピアジェの教育論はどうなんだって。
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新しい教育システムとして期待されているシュタイナーやピアジェも、五味さんの前では一刀両断です。フリースクールやオルタナティブ教育は、学校制度から脱出するという意味では重要な役割を果たしていると思います。しかしこれもまた西洋発の教育論、取り扱いは要注意です。

考えてみると、教育論そのものが西洋からの輸入品ばかりです。そもそも日本には「教育論」がなかった、いやその必要がなかったのかもしれません。

古代から人類は共同体を営み、集団の、人間関係の中でで子どもを育てていた。論ではなく実践です。ところが西洋では早々に共同体が解体されバラバラの個人が社会を形成しなければならなくなる。そこで登場するのが「教育論」です。あくまで主体は個人であり、かなり観念的に教育しなければ社会との折り合いがつかいないというのが西洋の事情です。

だから縄文気質、共同体の風土を色濃く残す日本に「教育論」はうまれなかったし必要がなかった。そして今必要なのは共同体や集団に根ざした日本独自の学習システムの再生だと思います。社会人としての素養を身につけるための寺子屋、実践の中で学び技術や判断力を身につける徒弟制度をいかに近代化して、社会の仕組みにしていけるか、が重要なのです。

そこで次回は、現代版寺子屋・徒弟制度について考えてみたいと思います。

投稿者 hoiku : 2017年06月30日 List   

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