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2016年04月14日

「理想的な子どもの環境をつくることは、理想的な社会をつくること。」~まちの保育園の取り組み

先日、千葉の保育園建設が近隣の反対で取り下げになったというニュースを聞きました。理由は「子供たちの声が騒音になる」から・・・

「私たちがどんな社会を望み、創っていくか?が、子育てのありかたに繋がっていくのではないかと思います。」

と前回書きましたが、私たちは子供の声を騒音としか感じられない(一部の人だとは思いますが)人の声がみんなの課題を左右してしまう、そんな社会をつくってきてしまったのでしょうか。

ちょっと暗い気持ちになっていたのですが、そんな日本でも街ぐるみで子供たちの可能性を引き出そうという試みが注目をあびている「保育園」があることを知りました。ところは東京の練馬区。閑静な住宅街の中で、お年寄りや、社会人、学生など多くの人が集まり、子供たちと接し、一緒の時間をすごしている。

今回は「理想的な子どもの環境をつくることは、理想的な社会をつくること。」を理念に運営されている「まちの保育園」を紹介します。

Exif_JPEG_PICTURE 写真は(http://blogs.yahoo.co.jp/nusadua1251/31870169.html)よりお借りしました。

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以下、(http://greenz.jp/2011/11/14/machihoiku/)より転載します。(こちらの記事も是非ご覧ください)

カフェやギャラリーも併設!おじいちゃんも学生も、街ぐるみで子どもの可能性を引き出す「まちの保育園」

子どもの頃、あなたの周りにはどんな大人がいましたか?近所に住む頑固オヤジ、駄菓子屋さんのおばちゃん、子どもに人気の名物おじさん……。街には顔見知りの人々がいて、声をかけあいながら暮らしていたのではないでしょうか。

でも、今の都会の子どもたちには、そんな街の人々がいません。家と保育園・幼稚園の往復で、若い女性ばかりに囲まれて過ごしているのが現状です。それならば、街ぐるみで子どもを育てる環境を、保育園から作っていこう。そんな発想で生まれたのが「まちの保育園」です。

東京都練馬区の閑静な住宅街の中にある『まちの保育園 小竹向原』。スタイリッシュな雰囲気のエントランスを通り、まず驚かされるのはカフェの存在です。焼きたてのパンが人気のこのカフェには、保護者の方はもちろん、近所に住むたくさんの人々が集い、いつも賑わいを見せています。
併設のカフェは保護者の方やご近所さんでいつもにぎわっています

エントランスの奥にあるのは、街の人に開放されたギャラリー。子どもの日常を記録した写真やボランティアの方々の声が記されたノートが展示されており、園内の様子を伺い知ることができます。
この日の展示テーマは「小さなこどもたちは過去のことは忘れてしまう?」

そして、中に入ると天井が高く開放的な保育室と、広々とした園庭が登場。元気いっぱいに遊ぶ子どもたちに寄り添っているのは、保育士のみなさん、そしてボランティアとして保育に参加している街の人々です。お年寄りや有識者、社会人、学生など多くの人がこの場所で子どもと接し、共に時間を過ごしています。

「教育はみんなのもので、幸せな試み」まちの保育園の考え方

セキュリティが重視されてきたこれまでの保育園とは真逆の、街に開かれた保育園。いったいどのような発想から生まれたのでしょうか?

『0〜6歳は人格を形成する上で一番大事な時期で、その時期に出会った人や出会い方が大きく影響してくると言われています。昔であれば、頑固なおじいちゃんや寛容なおばあちゃんが近くにいて、それだけで自己肯定感が身に付いたり、そういう体験があったはずなんですが、今はそれがなくなってしまった。それならば、教育を街ぐるみでみんなのものとして捉えて進めていく方が、子どもたちにとっていいのではないかと思ったんです。』

と語るのは、代表の松本理寿輝さん。学生時代、授業で児童擁護施設に訪れた経験から子どもの可能性を強く感じ、子どものための施設を作るという夢を抱きました。でも、研究を続けるうちに現在の日本の保育の問題点を痛感するようになります。

『保育園は、待機児童も多く、放っておいても子どもたちが来る状況があって、一方で幼稚園は預かり時間が短いので専業主婦しか利用することができず、一部の有名校を除いて困窮していた。そこにまず、矛盾があるな、と感じました。さらにOECD加盟国(経済協力開発機構)の中でも日本は、GDPに対する幼児教育の予算の割合が一番低くて、昔のように地域の交流もなく、結局家庭にまかせる比重が大きくなっている。幼児教育のグランドデザインをしないとこの国はヤバいぞ、と思ったんです。』

そんな時に目にしたのが、イタリアのレッジョエミリアという都市で実践されている教育に関する展示会。「教育は教師や教室のものではなくて、社会や子どもの未来をつくるものなので、幸せな試みであるはず」という、教育の捉え方そのものを覆す考え方に強く共感した松本さんは、保育の現場で経営者として理念を貫く事例を作りたいと考えました。大学卒業後、教育の本質であるコミュニケーションを学ぶために広告代理店に就職し、その後、自ら起業することで身を以て経営を勉強。経営が安定した2009年頃、本格的に保育園設立に向けて動き始め、2011年4月、カフェを併設する『まちの保育園 小竹向原』を開園しました。

「3つの力」を信じる保育

街に開かれた保育園。その発想はとても豊かで理想的に見えますが、当然、ただ自由に開放すれば良いという訳ではありません。実際、「まちの保育園」ではボランティア希望の方と一人ひとり、その目的や考え方について面談して話し合い、一回限りではなく定期的に保育に参加してもらうようにするなど、理念を共有できる特定の方にのみ開放する体制で運営しています。その線引きが難しそうですが、松本さんの中にはそれを確かなものにする「3つの力を信じる」という信念が存在しているようです。その考え方と実践について聞きました。

1:子どもの力を信じる
『一般的に、子どもが無能で大人が万能であるから、大人が教えて子どもが学ぶと言う構図があったと思うんです。でも、子どもは無の状態ではなく、無限の可能性を持って生まれてきます。そして、生まれながらにして持つ個性を自分で発見しながら社会や世の中との接点を探しているんです。だから、教師は、子どもたちの学びや育ちの共同者、パートナーとして寄り添って行こうという考え方です。』

大人の考える概念に子どもを当てはめるのではなく、子どもと生活しながら考えるという考え方は、保育室のレイアウトにも現れています。開園当初、発達段階で3つのクラスに分かれていたのですが、保育室は敷居などが全く無く、ただの広いひとつ空間でした。それを、アトリエリスタと呼ばれる教師と保育士などが子どもの様子を見ながら棚の配置やレイアウトを考えて変更し、現在も日々手を加え続けているそうです。

2:対話の力を信じる
『教育は子どもの「らしさ」から始まるべきだし、「理想的な社会や人間像って何だろう?」というところから始めるべきですよね。そもそも理想的な社会や人間像って、特権的な誰かや教師が決めるべきではなく、社会のみんなで導き出すもの。そう考えると、一生答えなんかないんです。日々刻々と変わって行くものですし。答えを急ぐのではなくて、開かれた問いとしてそれを捉えて、日々対話を繰り返して行く。その対話の中に教育の本質があるんじゃないかと思っているんです。』

園内の様子を見ていると、保育士同士やアトリエリスタ、保護者の方など、常に話をしている様子がうかがえます。また、子どもたちを迎えに来たお母さん同士がカフェで出会って話をしたり、お父さんと待ち合わせて夕食をとって帰ったり、園の滞在時間はとても長いように感じます。まちの保育園では保育士だけで集まる時間を週に一度は必ず確保したり、保護者の方や街の方とも保育のパートナーとして対話の時間をしっかりと持っています。ボランティアも教師も保護者もみんなが対等の立場で行う対話。松本さん自身も日々の対話の中に、多くの気付きがあるとのことです。
アトリエリスタの福田さんと談笑する松本さん

3:コミュニティの力を信じる
『どんなに感性が鋭くて真剣に向き合っていても、人はありのままに人を見られないものです。どうしても自分のフィルターを通して人を見てしまっていて、ひょっとしたら見落としている可能性があるかもしれません。だから、多くの人に子どもたちの生活に関わってもらいたいと思い、街に対しても積極的に開いていくという仕組みにしています。コミュニティがあることによって大人も学びがあるし、子どもが成長して行く中で会うべき人に出会えるのではないかと思うのです。』

ボランティアの方の中には、ワークショップをファシリテートしている方がコミュニケーションの勉強を目的に参加し、「自分で組み立てるものではなく、一緒に作るものなんだ」と気付きを得ていかれるなんてこともあるそうです。大人も子どもも、共に学び成長できる場としてのコミュニティの存在は、子どもの成長過程においてとても重要な意味を持っているのです。

3つの力を信じる保育。この確立された信念が、関わる人々の間に強い信頼関係を生み「開かれた保育」を実現しているのです。
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どうでしたか?
日本もまだまだ捨てたもんじゃない。新しい子供たちの環境、それを支える新たな社会を創っていこうという流れはすでに始まっています。この試みに賛同し、自分たちのまちでも実現したいという人たちもどんどん増えてきている。

子供がいる人もいない人も、若い世代もお年よりも、みんなで子供たち、社会に対してどんな可能性を開くことができるかを考え追求していけば、きっと実現できるんだと確信しました。

投稿者 hoiku : 2016年04月14日 List   

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