【コラム☆感謝の杜】その病気、実は、医療が作り出したものなのかも?!~“医原病”という病~ |
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2014年07月17日
新たな介護の可能性~高齢化社会の視点を変えれば新しい可能性が見える~
みなさん、こんにちは。
当ブログでは、「新たな介護の可能性~プロローグ~」で紹介したように、今後自分たちの手で新たな高齢社会を形成していくべく追求していきます。
写真はこちらからお借りしました。
さて、現在問題となっている「高齢化社会」ですが、高齢化社会は何が問題なのでしょうか。
高齢者と言われる現在の65歳以上を見てみると、数十年前の同じ歳の人に比べれば明らかに元気だと誰もが思うでしょう。65歳を超えてもまだ仕事が出来るし、活躍出来るポテンシャルを持っていますが、介護や年金制度などの現制度の為に働きたくても働けずに活躍の場が奪われているというのが実態だと思います。
これら高齢者に関する問題は、「高齢者」という枠を決めつけて「高齢化社会を不可能視」している点にも問題があると思います。従って、「高齢者」という概念を今一度考え、これからの高齢化社会に適応できる社会を考え直す必要があると考えます。
今回は、高齢化社会についてこれまでとは違う新しい視点で、考えていきたいと思います。
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◆日本の高齢者は働き者
まず日本の高齢者の就業年齢について見ていきます。日本(アジア)は、世界的に見ても、定年後も働き続ける高齢者が多いです。日本や韓国では、高齢者の就業年齢は世界に比べて高いと言えます。
参考記事(高齢者の就業率の国際比較:日本の高齢者は働き者)
日本や韓国では、65歳を過ぎても急激には下がらず、一定の割合で働き続ける高齢者が多いことがわかります。これらは国民性・民族性によるものもあると考えられます。
福祉国家の西洋は、65歳からの隠居生活が勝ち組の理想とされますが、対して日本は高齢となっても本来働き者だったようです。にもかかわらず、西洋の影響を受けながら高齢者の役割を創出できないのが今の日本だと思います。
因みに日本の隠居については、家督を後継者に譲って自身は第一線から退きますが、生計に直接関わりのない仕事としての隠居仕事をして、共同体の一員となって社会との関わりを持ち続けていたのです。
参考(日本の隠居は、社会役割として本業以外の「隠居仕事」を担っていた。)
現制度のように、定年後に社会から切り離されること自体、生き甲斐の喪失から、病院通いや痴呆高齢者の増加、介護問題に関連していくことは想像に難くはないです。社会と繋がる、或いは関わるという価値観が本来日本にはあるのだと思います。労働力とは関係なく、人は社会から切り離されたら生きられないのだと思います。従って、高齢者にも社会と繋がる役割が必要です。
◆人類史上初の高齢社会を迎えて
定年と年金制度が出来たのは、平均寿命が70歳頃の1960年代ですが、今や平均寿命は80歳を超える時代です。平均寿命が1960年代以降も延び続けた結果、定年後に役割を失った高齢者が溢れました。
そういう意味では65歳以上の高齢者が多い事が問題なのではなく、まだ働けるのに役割が無い(=社会から切り離される)という、皆の意識と制度が不整合を引き起こしていることが問題であることが見えてきます。まさに今、人類史上初の高齢社会という未明課題にあたっているとも言えます。
写真はこちらからお借りしました。
だからこそ、これまでの当たり前とされた見方を変えれば、行き詰まり感や絶望感を突破出来る可能性が開けると考えられます。
次に、上記、高齢者の役割創出の突破口となる新たな視点として、高齢者の生産年齢人口を見ていきます。
(前略)
生産年齢人口とは「年齢別人口のうち労働力の中核をなす15歳以上65歳未満の人口層」のこと(リンク )。ネットで「生産年齢人口」を検索すると山ほどヒットする。中身を見ると「日本はこれから将来、生産年齢人口が減少し続ける。大変な世の中になる」という内容が多い。公的統計資料を根拠にして、高齢化社会日本の将来を、半ば絶望視するものまである。 ところが、「生産年齢人口」とは、人口統計におけるひとつの「切り口」でしかないと捉えるとどうなるか。するとそれは、人口統計を「15歳~65歳が労働の中核」として切って見た一面に過ぎないということになる。
将来的な人口は、余程の天変地異などがない限り大幅にブレないだろう。が、将来にわたって「15歳~65歳が労働の中核」なのか?従来の「切り口」に疑問をもつと、別の可能性が見えてくる。この点で、長野県の検討が大変有意だ。リンク (←PDF資料) 資料では「社会実態を踏まえると、人口年齢区分を見直す必要性がある」と明確に述べた上で、生産年齢人口を「20歳~69歳が労働の中核」として検討している。従来より5歳、年配側に「切り口」をシフトさせている。そして、その結果、以下のことが導かれている。――――――――――――――――――――――――――――――――――
○元気な高齢者が就労やボランティアなどで活躍するという前提により生産年齢人口が増加するため、2050 年まで従属人口指数が100を超えず、「支える側の人口」が「支えられる側の人口」より多い状態を維持できる。
○70歳以上を高齢者とする(新)高齢化率は 2035 年まで 30%を超えない。――――――――――――――――――――――――――――――――――
あくまで、統計データを元にした“推計”ではあるが、従来の「切り口」では絶望的に見えた将来像が一変している。70歳まで働ける社会を実現すれば、日本が著しく沈下することはないのだ。もっと言うなら、今後、大学を見限る若者が増えてくるとすれば、生産年齢人口の下限値も20歳から下がる。上記の検討からさらに労働人口は増えることになる。いずれも、そのような社会を実現するという目標であり、可能性と読み替えられるのではないか。
◆認識の転換により高齢者の役割創出へ
写真はこちらからお借りしました
以上みてきたように、視点を変えれば生産年齢人口は増えるという事が見えてきました。
今私たちが迎えている人類史上初の高齢社会において、現制度では65歳で引退ですが、実際は65歳以上も社会と繋がる役割が必要なのです。しかし役割が創出出来ずにいて、何もせず暮らしていけるという状況が、介護や年金問題等にみられるような、高齢者を不可能視する社会問題の根底にあると考えられます。
現制度が皆の意識と断絶してしまっているということに着目すれば、高齢化社会が問題なのではなく、高齢者の意識や役割について真剣に考えるなかで、「高齢社会は明るい社会」という可能性がみえてくると思います。これは認識の転換も必要ですし、新しい高齢者制度も必要になると考えられます。
今後も新たな高齢社会の形成に向けて、高齢者の意識や介護の在り方、新制度等の可能性について追求していきたいと思います。
投稿者 yama-to : 2014年07月17日 TweetList
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