【コラム☆感謝の杜】何を食べるかで、その人の人相や運命までも変わる! |
メイン
2014年06月06日
【コラム☆感謝の杜】養生訓より学ぶ~食し方と五思~
人やあらゆる動物は必ず食事を取ります。皆さんは毎回何かを意識しながらご飯を食べていますか??どのような食べ方をしていますか??養生訓に日頃から意識できそうなことが書かれてありましたので、ご紹介します。
養生訓より 食し方について☆
●選んで食べる
食物はからだを養うものである。からだを養うものでかえってからだをそこねてはならない。だからすべて食物は性がよくて、からだを養うのにためになるものをつねに選んで食べなければならぬ。益がなくて損のあるものは、味がよくても食べてはならぬ。温まって気を塞がないものは益がある。冷たくて吐きくだしをおこし、気を塞ぎ、腹をはらせるものや、辛くて熱のあるものはみな害がある。
●飯を食べ過ぎると
飯はよく人を養うが、またよく人を害するものである。だから飯はとくにたくさん食べてはいけない。いつもちょうどよい分量を定めておくことである。飯をたくさん食べると脾胃をそこね、元気を塞ぐ。ほかの食物の過ぎたのよりも、飯の過ぎた方が消化が悪く大害がある。客に行ってそこの主人がせっかく心をかけて用意してくれた御馳走に箸をつけないと、主人の好意を無にして悪いと思ったなら、飯をふだんの半分にして、副食の御馳走を少しずつ食べるがよい。こうすれば副食が多くても食物にそこねられない。飯をいつものように食べ、また鳥や魚などの副食の品を多く食べるときっと害がある。御飯のあとてまた茶菓子といって餅やだんごなどを食べたり、あるいは後段といって麺類と食べると、腹いっぱいで気を塞ぎ、食のために害される。これは常の分量に過ぎたからである。茶菓子・後段は予定以外の食物である。少ししか食べないでもよい。度をすごしてはならぬ。もし食後に少し食べようと思ったら、あらかじめ飯をへらしておくがいよい。
●食べすぎないように
飲みものや食べもののことばっかりいってる人間は人からいやしまれる。それは小さいものを養って、大きなものを忘れるがためであると孟子がいわれたように、口や腹の欲んじひかれて道理をわすれ、ただ腹いっぱい飲み食いすることだけを好んで、けっきょく腹がへり、いたみ、病気となり、酒によって乱れるのはこのうえなくいやしむべきことである。
ものと食べるときの5つの思い・・・
●五思とは ものを食べるとき五思というものがある。第一はこの食は誰が下さったかを思わなければならない。小さいときはお父さんが下さるのだし、大きくなれば殿様が禄を下さるのである。これを思って忘れてはならない。あるいは殿様や父でなく、兄弟や親族や他人の世話になっている人もあるだろう。この時もまたその食事を誰が下さるかを思って、その慈愛を忘れてはならない。農工商の自分の力で飯を食う者も、国の恩を思わねばならぬ。第二には、この食事はもと農夫が骨を折って作り出した苦しみを思いやらなければならない。忘れてはいけない。自分で耕さないで、楽にしていながらその養いをうけるのである。その楽しみを楽しむべきである。第三には、自分に才徳や正しい行いがなく、殿様をお助けし民を治めるてがらがないのに、こんなおいしいものをいただけるとはたいへん幸いである。第四に、世の中には自分より貧乏な人がたくさんいる。そういう人は糠や糟でもよろこんで食べている。また飢え死にしている人もいる。自分はおいしい御飯をじゅうぶん食べて、飢える心配がない。これは大きい幸福ではないか。第五に、大昔のことを思うがよい。大昔には五穀がなく、草木の実と根・葉を食べて飢えをまぬがれていた。その後五穀がでてきても、まだ食物を火で調理することを知らなかった。釜やご飯蒸しがなくてものを煮て食べなかった。生でかんで食べれば、味がなく胃腸をそこねたであろう。今日、白いやわらかいご飯をたいてじゅうぶん食べ、またそのほかに吸物があり、副食があり、朝夕じゅうぶんに食べている。そのうえ酒があって心を楽しませ、気血を補っている。だから朝夕食事をするたびに、この五思のうち、一、二でもよいからかわるがわる思いをめぐらして忘れてはならない。そうすれば日々に楽しみもまたその中にあるだろう。これは私が考えだした説である。かってにここに書いたものである。坊さんのうちでは食事に五観というものがある。が、これとは別物である。☆
いかがでしたでしょうか??毎日のお食事の中で、たくさんの幸せを見つけられそう♪そして身体も心も喜び、より一層健康に近づけますね
投稿者 cocoro : 2014年06月06日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2014/06/3229.html/trackback