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2014年05月15日

【コラム☆感謝の杜】何を食べるかで、その人の人相や運命までも変わる!

充ち足りた日々も学びから☆+゜~コラム☆感謝の杜(かんしゃのもり)です。

mizuno
(江戸時代の観相家 水野南北)

江戸時代中期の観相師、水野南北は、人相と人の運命に相関関係があることに気付いてから「観相学」に興味を持ち、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助業3年、火葬場の隠亡焼き3年と徹底した観相の研究を実施して観相学の蘊奥を究め「南北相法」を完成し、節食が運勢を改善することを唱えた人です。

今回は、「人の運勢はその人が何を食べるかによって決まる」という水野南北の教えを紹介します。

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「人生の処方箋」より転載

幼くして両親を亡くし鍛冶屋をしていた叔父「弥助」夫婦に育てられる。子供の頃(10歳)より盗み酒を覚え、酒代に窮して叔父の稼ぎ集めた虎の子を持ち逃げし、天満(大阪市北区)で酒と博打と喧嘩に明け暮れ家業の鍛冶職鍵錠前造りから「鍵屋熊太」と呼ばれる無頼の徒となった。

刃傷沙汰を繰り返し、 18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、天満の牢屋に入れられる。牢内で人相と人の運命に相関関係があることに気づき観相に関心を持つようになる。

出牢後、人相見から顔に死相が出ていると言われ、運命転換のため、慈雲山瑞竜寺(鉄眼寺)に出家を願い出たところ、「半年間、麦と大豆だけの食事が続けられたら弟子にする」といわれ、堂島川で川仲仕をしながら言われた通り麦と大豆だけの食事を続けたところ、顔から死相が消えたばかりでなく、運勢が改善してしまった。

こうした体験から観相学に興味を持ち、髪結い床の見習い3年、湯屋の三助業3年、火葬場の隠亡焼き3年と徹底した観相の研究を実施して観相学の蘊奥を究め南北相法を完成し、節食が運勢を改善することを唱えた。

観相師、水野南北は小さい頃、大阪で「くすぼり」と呼ばれる、一人前の極道になりきれない半端ヤクザでした。
5歳で両親を亡くし10歳で酒を覚え、ぐれ始めます
。不良仲間と恐喝・強盗を繰り返し一年間牢屋敷に投獄された事もありました。
21歳の時、ある通りがかりの乞食坊主から「顔に死相が出ているぞ」と言われたのをきっかけにその乞食坊主に弟子入りをしました。

「死相」を指摘されてから半年間の粗食を開始しました。
当初、極道家業で奢(おご)っていた口が、味付けもしない素のままの白豆や麦を受付ませんでしたが「美味しくないのは腹が空かないから」と境内の掃除などの肉体労働も積極的にして行きます。
不思議な事に半月ばかり経つと、味気なかった粗食が柔らかな甘みを帯びて舌に感じられるようになり、顔つきまでが明るくなって来たのです。そして、とうとう「死相」が消えてしまったのでした。
乞食坊主は言いました。
人間が生涯に食い尽くす食物の量は決まっている。それゆえ暴飲暴食をすれば命短く、食を慎めば天禄(天から受ける幸福)を食い延ばせる。
更に、腹減らしの為に行った、寺の掃除・草むしり・墓の清め、などの善業が死霊に取り付かれていたお前を地獄から救いあげたのじゃ。
大体、極道無頼の生活は放埓(ほうらつ)不規則で、女色に溺れ、血の気の多い魚肉や鳥獣の肉を食らって酔いどれているから、ちょっと刺激すればたちまち棘毛(とげげ)を逆立てるヤマアラシの様な気質を持っている。
食い物や酒が血を暴れさせていたのだ。
そんなお前が細々と麦を食い白豆を噛み、麦湯すすり込んでいるのである。
これでは剣難の相どころか口論する気迫も根性も萎えしぼんでしまうのも当然であろう。」

食と性格・気質の関係では次のような事例が挙げられます。

江戸の牢獄では頑固に自白を拒み続ける囚人に味噌汁や沢庵(たくあん)を食わせず「塩」を抜きました、すると数日しない間に囚人の全身から気力が抜け、意地も張りもこらえ性も無くなって白状してしまったと言います。
また、血の滴(したた)る魚肉や酒を飲食している漁夫と、穀物や野菜を常食とする農夫達とでは激しい気質と温和さの相関を見る事が出来るのです。
そもそも、相法とは「人間の五臓六腑の病気や気性はその人の顔や姿に現れる」と言う事から医学の一分野でありましたが、紀元前770~403年に漢方医学から分離して人相学だけが独立したと言います。
これは、おびただしい数の人間の運命の共通点を顔貌(がんぼう)や肢態、体質、性格、手相などから総合的に判断し割り出した統計から来ているのです。

水野南北は万人観相の実学への志から、人の顔を眺める為に髪結所(かみゆいどころ)で三年、更に人の裸(人体)を眺める為に風呂屋の下働きや、死顔の研究の為に千日墓所の火葬場にまでもぐり込み、人間をよくよく観察しました。

こうした変転の末1787年「相師」の表看板を上げ観相師としての第一歩を踏み出しました。
千人・万人観相の実証を根とした彼の相法は「黙って座れば、ぴたりと当る」と評判となり客・弟子とも急激に増えていったと言います。
1812年、伊勢大神宮へ相法の奥秘を求め旅立ちました。
そして21日間の断食・荒行の末「食」をみつめ「運命」を観じる「食の相法」の極意を得たのです。

南北は人間の相や運命の中心に「食」があると言います。
「運命と言う字は命を運ぶと書く。食は命を養う根本、命は食に従う。
人間生涯の吉凶ことごとく食より起こる。
人間には天から与えられた天禄(食)に限りがある。
身の程を超えた美食や暴飲暴食をする者は、例え良い相に恵まれていても、ついには天禄を食いつぶして災厄に見舞われる。食の多少を聞き、その上で生涯の吉凶を判じるようになって以来、万に一つの観あやまり無し!
美味を多く食い、あるいは大食する者は皆、濁肉となって生涯出世発達無し。
それ、大食をなし満腹の後は身重くなり自ら眠気さす。
覚めて身だるく面重くなる。
分限より大食をなす物、皆、濁肉となり生涯事をなさず、大いに凶である。
分限より粗食する者は例え貧弱の相であっても福寿を司る。
が、粗食とは言え大食で定まりの無い者は大凶である。

酒肉を多く摂る者は皮膚も肉も締まらず、血は濁り、骨は脆(もろ)くなり、心気ゆるみ、意識おのずから増長し、ついには悪心を生じるものである。
大食で食の定まらね者は慎まねば生涯身上おさまり悪く、また一時は治まっても末長くは治まりがたい。
ついには病を生じ家を損じる。
食不同で定まりの無い者は、相学上の顔良くても凶である。
全てが不安定で食を慎まねば生涯安堵を得がたい。・・・
しかれば、食は命を養う根源、恐るべきは食なり。慎むべきは食なり。ああ、食たり。

南北相法の素晴らしさは適中(あて)る「運命論」相法を超え、「慎食」によってその人相、運命を変えうる物とした「適中を誇るべきではなく、人間を救う」という所にあったのでした。

「観相学」の太家として知られている水野南北ですが、21日間の断食・荒行を行ったり、
> 人の顔を眺める為に髪結所(かみゆいどころ)で三年、更に人の裸(人体)を眺める為に風呂屋の下働きや、死顔の研究の為に千日墓所の火葬場にまでもぐり込み、人間をよくよく観察しました。<
など、その徹底ぶりがすごいです。

しかも、その追究は「観相学」というカテゴリーを越えて、「医学」「哲学」など人生の全てに及んでおり、彼をそこまで突き動かしたのは「少しでも多くの人間を救いたい」という人類に対する深い愛情だったのではないかと思います。

投稿者 cocoro : 2014年05月15日 List   

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