【実践レポート】高校生レストラン『まごの店』に行ってきました♪~土日がなくても活力の塊。その充足は本物! |
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2013年05月16日
これからの充足のカタチ(11)~農業は空腹を満たすだけではなく、心も満たすもの
前回は、『地域の期待に応えることで社会を変える「旅館吉田屋」』を紹介しました。
今回は【農】における充足のカタチを紹介したいと思います。最近、農への関心は非常に高まってきているように思いませんか?この農への関心の高まりは、危機感だけではなく同時に今後の何らかの可能性=期待感を内在しているようにも感じます。そしてこの期待感とは農の多面的価値にありそうです。この農の多面的価値に注目し、今後の日本の農業を見つめ、これからの【農】のカタチを考え続けている『農園 杉・五兵衛』を、今回は紹介したいと思います。
<農園 杉・五兵衛の信念>
農耕とは自ら種を播き、耕し、育てそしてそれを食した。
その育てるという過程におのずと教育が生まれ、
花が咲き実がつくことにより情操が育まれる。
さらに収穫したものをいかに蓄え活かし食するかという中に文化が芽ばえる。農業という産業に分化してからは、いかに多くの金銭を得るかとする事ばかりに重点が置 かれ、農の楽しみがなくなり教育や文化迄もが衰退してしまっている。農家にとって農地は仕事場であり生活の場でもある。
まずそこを快適な場(大木があって緑の空間があり草花が咲くような)誰もがそこに住みたくなる様な場にするのは当然のことであるのに今迄の農に対する考え方にはその事が全く欠如している。
農園 杉・五兵衛の農園は農場の意ではなく、農業を越えた農耕の園を意味します。即ち経済は農業として潤し、かつ教育、情操、安らぎ、文化をも含み経済 の奴隷にならず大地に働く誇りを持った営みと考えます。
それでは、農業を越えた農耕の園『農園 杉・五兵衛』の、続きを読む前にクリックよろしくお願します。
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■生産・加工・販売の一貫経営の『農園 杉・五兵衛』とは?
堅島(のじま)五兵衛さんは専業農家である、数百年前から先祖代々、枚方市郊外で農業を営んできた農家の長男だ。しかし、この人には「果樹農家」「施設園芸農家」といった型にはまった肩書きが付けられない。
自作地4ha、借地1haの園内には、畑も水田もあり、スモモやブドウ園があり、柿、グミ、ミカン、山桃、梅の木があり、イチゴハウスがある。かと思うと、花菖蒲やアヤメ、ボタンなどの花々や、タケノコを収穫する竹林、タラの木もある。「栽培品目数なんて数えたことがない」と本人がいうほどの超多品目栽培なのだ。
さらに、池には鯉が泳ぎ、「目がかわいくて」飼い始めたというロバと、馬(道産子)が約30頭。ウサギや羊、ヤギまでいる。ちなみに、ロバや道産子は、農地への堆肥供給の役割を担う。羊やヤギは、夏場になると園内の除草役も果たす。そして、他の動物たちとともに、農園を訪れる消費者たちを楽しませる景観動物でもある。
堅島(のじま)さんが就農した1973年当時、園内は一面の畑だったという。根菜類を中心に大阪方面へ市場出荷する、典型的な都市近郊農業だった。農業基本法のもとで、単品大量生産による産地形成が全盛だった時代のことである。
ところが就農した堅島(のじま)さんは、逆にイモ畑をつぶしてレストランを作り、野菜畑に果樹や花々を次々に植え始めた。そして、園内で収穫される農産物を「農園料理」としてレストランで提供する、生産・加工・販売の一貫経営に転換した。
■農業は空腹しか満たせんもんじゃない!
筆者が初めて堅島(のじま)さんにお会いしたのは7年前のことだ。「飽食の時代といわれているのに、なんで隅から隅まで野菜を作らないかんのや」と笑った堅島(のじま)さんが、その時こういった。
「農業が空腹しか満たせないようやったら、ただの農場や。俺は、農業は空腹しか満たせんもんじゃないと思っている」
もともと農耕とは、種を播き、土を耕し、作物を育てて食べるまでの過程全てを包括していた。花が咲き、実がなる風景は人々の心を和ませ、収穫される農産物は、それをいかに食べこなし、貯蔵するかという食文化も生み出してきた。堅島(のじま)さんが目指したのは、そんな農耕の園だった。
■農耕文化がもともと持っている様々な要素を生かした農園
農産物を生産するだけの農場ではなく、農耕文化がもともと持っている様々な要素を生かした農園。まずは、そこで働く自分自身にとって快適な空間であり、同時に、消費者にとっても魅力があり、ビジネスとして経営が成り立つ空問。それを具体化したのが「農園杉・五兵衛」だった。今でこそ、農園レストランも市民権を得ているが、1970年代当初に「加工・直売は農業経営の一貫だ」と主張して、堂々とレストランを作った農家は珍しい。
そこではケーキやパンだけでなく、タケノコの佃煮やジャム、干し柿などの加工品も販売する。レストランもテラスハウスも、堅島さんにとっては、あくまで「加工直売所」なのだ。
■世界の中での日本の農業とは!
世界の産地との競合を考えたら、ローカルが最大の武器だった
「生産から販売まで」を手がける農業形態への転換の構想は、近畿大学農学部の学生時代、全国各地の農家を調査するうちに、浮かび上がってきた。
「大規模で、ものすごくいい農業をやっている人もいたけれど、その考え方を突き詰めていくと、農業経営という視点では、その後、横這いか下向きにしかならんという結論しか、俺の中では出なかったんや」と堅島(のじま)さんは振り返る。
1960年代以降、基幹作物を決めて大規模生産に切り替えた農家は、当時、所得が右肩上がりで伸びていた。しかし、堅島(のじま)さんはこの当時から、「世界の中での日本の農業」を考えていた。
「量産だけを考えてやっていけるのか。その頃は10haも田んぼを作っていれば、少なくともこのあたりでは大規模経営だったけど、1,000haが当たり前の国と競争したら、勝てるわけがない。そんな競争はしなくていいと思った」
■日本の中で自分が農業を営む強みは何か!
逆に、日本の中で自分が農業を営む強みは何かを考えた。
「貿易自由化でわあわあいっているより、ここがいずれ過疎になっていくのか、周囲が拓けて都市化していくのか。そっちの方が俺にとっては重要だったんや」
大阪と京都の付境に近く、いずれは都市化の道を辿るのが目に見えていた。大阪・神戸・京都も近い。とすれば、周囲に食べる人がたくさんいる。その点では世界で屈指の条件ではないかと、堅島(のじま)さんは気付いた。
グローバルな視点で考えた時、杉・五兵衛農園にとっては、逆に「とってすぐに食べられる」というローカルさにこだわることが、最大の強みだったわけである。
■農産物は輸入できても、農業が持っている心を満たす部分は輸入できない
「たとえば当時は、バナナがまだ高級品だったが、貿易自由化されてバナナが入ってきても、バナナ園が日本に入ってくることはない。つまり、農産物は入ってきても農業自体は入ってこない。空腹を満たすという以外に農業が持っている、心を満たす部分は輸入できない。それなら、そこをちゃんと味わえる農業をやろうと思った」
起伏のある圃場も、生産効率という視点で考えれば悪条件にしかならないが、“心を満たす“部分としての景観を考えれば、逆にメリットにもなる。
堅島(のじま)さんは、大反対する父親を学生時代の4年問かけて説得。観光農園の研究に打ち込み、ヨーロッパ各地も視察し、大学を卒業する頃には“農園杉・五兵衛“の青写真をまとめていた。
余談になるが、青果物では、産地形成で当時は右肩上がりだった都市近郊産地も、1980年代になると都市化の波と地方産地の大型化に対抗できず、その多くが淘汰されてきた。輸入農産物との競合で大型産地が置かれている今の状況と、当時の都市近郊産地の状況は、実によく似ている。
「効率よくたくさん作る」というだけの単純な路線から、いち早く考え方を切り替えた堅島(のじま)さんは、輸入農産物との競合以前に、地方大型産地と同じ土俵に上がることもなく、独自に都市農業のスタイルを築いてきたことになる。
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1970年の貧困が消滅して以降、それまでのように生きるための食糧を生産するという課題は希薄になっていく。食べるだけならば、世界中から安く農産物が輸入されてくる。人件費が日本の1/10、あるいは規模において数百倍以上の大規模農業の効率性と比較すれば、単純にコスト競争では歯が立たない。しかし、多くの人はだからといって国内の農業をやめてしまっていいわけではないと感じている。
そんな中で『杉・五兵衛』は、今後日本が物的飽和をむかえることを予測し、世界の中の日本を俯瞰したときに、いったい何に可能性があるのか?を徹底的に考え抜いたようです。
日本の農業の可能性を徹底的に追求し、農が持つ心を満たす部分=意識生産に目を向けて、そこに可能性収束したからこそ、『農』を取り巻く新しい充足のカタチを構築するに至ったのでしょう。
大きな時代の転換期を迎えている今だからこそ、【農】には大きな可能性がまだまだ秘められていそうです。
次回は、高齢者の充足のカタチ~高齢者による高齢者介護~を紹介します。お楽しみに♪
投稿者 yidaki : 2013年05月16日 TweetList
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コメント
投稿者 NIKON
こんばんは。
時代はモノからコトへですね。モノは移動できても、人と人の間で充たされるコトは移動できない。なるほどです♪モノ=物質中心の価値観から、コト=心の充たし合い中心の価値観へ転換すれば、一見市場で行き詰っているように見える生産領域も、実は可能性の塊なんですね!