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2012年10月08日

こんなにすごい!自然治癒力☆+゜~オーストラリア先住民アボリジニの教え

前回の記事(リンク)では、人間本来の身体の機能(自然治癒力)を回復するという治療法としての「気功」について紹介しました。

今回は、前回紹介した「気功」と本質的にはどこかで繋がりがありそうな事例を紹介をしたいと思います。紹介する事例は、日本人の作者が、思わぬ運命に導かれてオーストラリアで大自然と共に暮らし、生きる「アボリジニ」と過ごした3か月の生活の経験をまとめた本から引用しています。

ちなみに「アボリジ二」とは、オーストラリアの先住民であり、少なくとも4万年以上も前から住んでいると言われています。ヨーロッパ人が渡来するまでは、アボリジ二は、それぞれ異なった言語、信仰、習俗から成る複雑な文化の中で、精妙な自然界と調和しながら生きていました。

ヨーロッパ人の入植は彼らの生活に大きな衝撃を与えましたが、それでもアボリジ二の文化は生きながらえ、今でもとくに内陸の遠隔地にあるコミュニティで見ることができるそうです。


先住民族図, The New Student’s Reference Work, 1914年出版より

ある日作者の女性がアボリジニの「ナンガリ」と呼ばれる、女性のヒーラー(心体や魂の癒しを行う人)に出会います。そして彼女は、そこで不思議な体験をするのです。

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「アボリジニの教え」海美央著 からの引用です。

突然、彼女の発したある言葉が、目覚まし時計のように大きく私の頭の中に響いた。「ナンガリ」という単語。英語では「ヒーラー」 と訳される。

私は今までに、西洋医学ではどうすることもできないものさえも簡単に治してしまうという、ヒーラーと呼ばれる人々と出会ったことがあった。そのため、この単語にはかなり敏感に反応するのであった。

病気の素となる内側、つまり潜在意識の中に刻まれている精神的な傷、心の傷を癒すことによって、たとえば原因不明の頭痛やイライラといったものを消していく手伝いをするヒーラーたち。
 
本来、私たち一人ひとりには自分を癒していく力がある。テレパシーや鋭い直感力というものが、文明の発達とともに人間には不必要となり、自然ととその能力がどこかへ去ってしまった。その力を目覚めさせる手伝いをしているのが、ヒーラーであると私は思っている。

ヒーラーと呼ばれている人たちは、訪れてきた人々にそっと手をかざして癒していた。しかし残念なことに、世の中には、お金儲けに走ってしまったがためにそのパワーを失ったヒーラーや、自分は他人の病気を治せると口ではいうものの、何の変化も起こすことのできない単なる自称ヒーラー、相手の病気を受け取ってしまい、自分自身が弱っていってしまうエネルギーの弱いヒーラーもいるのである。

「あなたを今から、ナンガリのところへ連れていくから」
 とワイナは、無表情でいった。
 
眠っていたときは余計なエネルギーを使う必要がなかったために涼しさを感じていたのだが、目覚めた瞬間から首から胸もと、太ももまでが汗で湿っていた。

「ナンガリは、別の場所に住んでいるの。許可証はあるから、さあ、出発よ」

                   ~中略~

車から降りると、チェーンのかかった木製の小さなゲートを抜けた。ワイナに導かれて着いたところは、木の枝で造られた天井の低い小屋であった。それは誰かが住む家というよりも、壁のつけられた日除けテントといったところだ。
 
その中にいたのは、小柄で痩せ型、グレーと少し土色に染まった白髪が入り交じる肩までのカールヘアーに、赤と白の毛糸で編まれた帽子をかぶった女性であった。

「彼女がナンガリよ」
 ワイナが小さな声でひと言だけ私の耳もとでささやいた。
 ビターチョコレート色の肌が、植物油をたっぷりつけているかのように光っている。特に額と目もと、手首に深く大きなしわがある。唇と顔は同じ色をしているので、その境がわからない。

大きな二重の目が赤く、そして目薬を差したかのように潤んでいるのと、横に広く低く開いている鼻だけが、小屋に入ってくる明かりのよってひときわ強調されている。

                   ~中略~

 アボリジニには珍しく背筋をピンと張り、何も敷かれていない土の床に胡坐をかいてぺったりと座っている。盛り上がった瞼を顔の中央に寄せ、眉間に縦じわを作りながら、細く高い声でワイナと会話し始めた。私には、彼女らの言葉は理解できなかった。ワイナが私に命じたので、老女の隣に胡坐をかいて座り、何かが始まるのを待っていた。

 すると老女は、私の両手を持ち、刺激的であり興奮的でもある高い音で歌い始めた。狭い音域で朗唱する旋律には波や円を描くような微妙な音の動きが感じられ、反復される。

 私の目をしっかりと見つめているナンガリの目は、私に目を閉じるようにと合図しているようであった。私はその感覚に逆らうことなく、ゆっくりと瞼を下ろした。

 次の瞬間、ナンガリの手から私の手に、そして全身に熱い何かが流れてくるのを感じた。それは今まで緊張していた筋肉が一気に緩み、どっと重く疲れていくような感覚である。何かが身体の外に向って弾けだしていくような開放感もある。と同時に、生まれたての自分が母親の胸の中に抱かれ、めいっぱいの温かな愛情を注がれているような安堵感があった。

 ナンガリは歌を止め、今度は小さな低い音でぶつぶつとつぶやくように歌いだした。今までとは逆に、その声が身体の芯に向って響いていくのであった。そのまま、私は夢の中へ入っていった。

このあと、著者の日本人女性は、不思議な体験をします。

ちなみにアボリジニは、アボリジニアートでも有名です。閑話休題。

 今まで生きてきた中で出会った多くの人々、経験したさまざまな出来事がぐるぐると蘇ってきた。その私の夢の中に親友や恋愛相手が次々と登場してくるのであった。とても穏やかで平和な映像である。

 その中にあるひとりの男性が現れた瞬間、重たい空気に包まれた。新しい医療のあり方を切り開いている外科医の友人であった。彼はその分野では知名度も高く、患者さんにも人気のある医師である。しかし彼はある重大な悩みを抱えていた。それが頂点に達したときに私は、彼の支えとなって解決方法をともに見出すことを頼まれた。

 休みの日も患者さんに捧げる彼の、ほんのたまのプライベートな時間、2人で過ごした。森の中へ入ったり、プールで泳いだり、食事をゆっくりと楽しむ。1日に3回以上かかってくる電話では、ただのひと言で彼は満足していた。精神的な安らぎとサポートが、彼には必要であった。今でもとてもいい友人のひとりである。それなのに、重たい空気が夢の中を漂っている。

 その友人が消えると、次に、かつての結婚相手が現れた、プロポーズされた半年後に結婚したものの、そのときから私にはわかっていた。夫婦という形を取ることによってお互いが相手から学ぶことができるのは、たった1年という期間で終わるのだということを。

 私は結婚も離婚もまったく後悔をしていない。多くのことを 私は結婚も離婚もまったく後悔をしていない。多くのことを学んだし、新しい自分を発見することもできた。今がさらに楽しく幸せな日々であるのも、すべての過去によってである。彼にはとても感謝している。ただ彼にはつらい思いもさせた。

 涙が頬を流れていく。すると、大きく熱い太陽のような光の明るさが、その夢のドラマを、一瞬照らした。今までの映像は、あっという間に消えてしまった。そして、霧が立つ雨上がりの林がゆっくりと現れた。その中に自分は立ち、木漏れ日を浴びている。

 どのくらいの間その情景に浸っていたのかはわからない。その林の新鮮で爽やかな空気に充分満足し、私は夢から覚めた。
 ナンガリは、閉じていた目を開け、ワイナの通訳でこういった。

「あなたが潜在意識の中で今も心配し続けている相手がいることに気づいたか?その心配する気持ちを純粋なエネルギーに変えた。あなたの心配というものは、あなたの中から解放され、それによって影響されていた彼たちの中の否定性も変わった。

相手のことを心配しすぎていると、逆に相手がその心配というエネルギーに取り囲まれてしまうんだ。
 この先、出逢う時が来て出逢った相手と、2人でひとつの形となりナンガリとなる。心配などしなくても、自然と癒していけることになるだろう。

 すべては起こるべくして起こっている。そして無駄はない。だから、いつまでも心配という気持ちを抱く必要はない。あなたたちに引き寄せられてくる人々は、あなたたちの内側との接触を求めている。特別な儀式を行なうのではなく、ただあなたたちが光り輝いていればいいだけだ。自分をいい環境に置き、創造していくものにより、人は安らぎを増していくだろう。心配はいらない」

 何のことなのか、頭の中は混乱していた。が、私はこの2人のことだけは、他の友人たちとは違い、どこかで心に引っかかるものがあったのは確かであった。それがナンガリにはわかっていたのである。

ナンガリの、「相手のことを心配しすぎていると、逆に相手がその心配というエネルギーに取り囲まれてしまうんだ。」という言葉が、印象的です。確かに、相手のことを心配しすぎるのも、相手にとってよくないということは、なんとなく分かる気がします。

そして、ナンガリは自分自身の能力について教えてくれます。

写真は、オーストラリア先住民アボリジニ人の抽象画家、エミリー・ウングワレーですが「ナンガリ」はこんなイメージでしょうか。

 それから、ナンガリは自分自身について教えてくれた。
 普通、訪れてくる患者(クライアント)を治療する場合はハンドパワーを使う。手をクライアントの傷部に当てるだけで治してしまう。

 ハンドパワー以外には、ブッシュから採る草花、昆虫たちを潰して塗ったり、煎じて飲ませることで治療もする。ナチュラル・メディスンである。これは頭痛や歯痛といった痛みを和らげるために利用することが多い。

 時にはその症状のための歌をうたうだけでヒーリングするという。出産がいい例で、そのための歌を妊婦さんのそばで聴かせると、何の苦しみもなく簡単に赤ちゃんが生まれてくるのだという。

イルカのCDを聴きながら水中出産と同じように、ナンガリの声そして歌詞は、母子をともに充分リラックスさせるのだ。

 そして、 クライアントに指1本触れることなく、ただ自分のスピリットが相手のスピリットに接することで相手に催眠をかけてリラックスさせ、クライアントの内側にある汚れた感情を、ハートから腕を通して掌からそっと抜く方法もある。

夜になると、ナンガリのスピリットは肉体を出て、クライアントのところへその後の様子を見にいくという。病気や怪我だけではなく、心や魂の癒しをするのも彼女の役割であった。

 ただし、これらのヒーリングはある種の人間には効くのに時間がかかるという。西洋医学の薬や、化学調味料を大量に摂取している人たちである身体の中がピュアでクリーンな人は、効果がすぐ感じられるのだという。 

引用終わり。

私たち一人ひとりには、もともと自分を癒していく力=自然治癒能力が備わっています。しかし始原人類と現代人とを比べた場合、その能力の差については歴然の差があるように感じます。

ではその差は、いったいどこから生まれているのでしょうか?

おそらく始原人類の時代は、「ナンガリ」のいうテレパシーや鋭い直感力、潜在意識の共有を行いながら、人間が本来持っている自然治癒能力を仲間同士で相互に高めあっていたのではないでしょうか。

共認充足(自分と相手を重ねあわせることで充足すること)により自然治癒力が高められるということは、すでに現代の科学でも証明されています。(例:笑うことで病気が治りやすくなる等)

一方、現代人は文明の発達、医学の発達にともない、そういった仲間同士の深い繋がりが薄れテレパシーや鋭い直感力、潜在意識の共有が減り自然とその能力を忘れてしまっています。

始原人類と現代人との自然治癒能力の差は、相手と深く繋がる同化能力の差に規定されているように感じます。

もしかして「ナンガリ」のように鋭い直感力があり、潜在意識の共有ができる同化能力に優れた人と接することができれば、現代人の我々もその自己治癒能力を最大限に発揮するすべを再び思い出すことができるかもしれません。

次回もお楽しみに!

投稿者 d0020627 : 2012年10月08日 List   

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コメント

アボリジニの事をもっと知りたいです。

投稿者 ninyacat : 2013年1月26日 01:46

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