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2012年05月17日

『生きる力を育てる教育』~日本語の力(4)「さようなら」から、事実を肯定視し受け入れる日本人の意識構造が見える~


日本語の力(1)日本語が生み出す思いやり社会
集団を意識する日本人の心の在り様が現れる呼称「お兄ちゃん」「おばちゃん」という言葉を扱いました。
日本語の力(2)「いただきます」に込められた日本人の想い
動植物に対する感謝の気持ちが込められた「いただきます」という言葉を扱いました。
日本語の力(3)「行ってきます」と「お帰りなさい」に日本語の特徴を見る
「対話の場」を大切にする日本人の心が「行ってきます」と「お帰りなさい」には現れている事を紹介しました。

今回も日常的に使っている言葉をちょっと深く考えてみるシリーズの最終回です。

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■日本の別れの言葉 「さようなら」

「さようなら。」日本人なら、誰もが知っている言葉だと思います。

しかし、この言葉が、なぜ別れの意味を持つようになったのかを、きちんと説明できる人は、そうはいないのではないでしょうか なぜなら、言葉がそれ単体で意味を為していない言葉だということが考えられます。

「さようなら」は、「左様なら」だということは、類推がつけやすいかもしれません。
ですが、別れの言葉「左様なら」とはどういうことでしょう?

当然、その跡に続くべき文章が、ここでは割愛されてしまっています。
「そのようならば、失礼します。」とか、「そのようならば、ごきげんよう。」と続く言葉が有って、別れの言葉として成立します。現在では省略されて「左様ならば」だけになり、「さようなら」「さよなら」と変化していったと考えられます。

それにしても、どうして「そのようであるならば」という意味の言葉が別れの挨拶の表現になったのでしょうか?今日は、この「さようなら」ということばの不思議を考えてみたいと思います。

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■3つに大別される世界の別れの言葉

『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』竹内整一著書によると、世界の別れの言葉は、大きく3つに大別できるようです。

①相手に神の加護を祈る別れの言葉

英語の“good-bye”がそれに当たります。その「Good-bye」はもともと

God be with ye

が、短縮されたものである。最後の「ye」は古い英語でyouの意味である。

God be with you

は、「神とともにあれ」⇒「神の御加護がありますように」という意味があり、仮定法現在の構文で、祈願を表す時に使われましたが、別れる相手の幸福を願って使われるようになったそうです。

しかし、日本人の場合「仏の御加護を」といったような言い方で別れることはあまり一般的ではありませんね。

②再会を希望する別れの言葉

英語では、“See you again”。「再び会いましょう」、「また会う時まで」、の意味で使われます。
ドイツ語の“Auf Wiedersehen” やフランス語の“Au revoir” のように、別れの痛みを再会の希望によって紛らそうという別れの言葉。
中国語の“再見”など、この好例です。

日本人の場合は「またね」とか「じゃあ、また」が、これに当てはまります。

③相手の無事を祈る別れの言葉

英語では、“Farewell”がそれに当たります。Wellは「うまく」、fareは「やって行って下さい」という別れの言葉です。「安らかに行ってください」「お元気で」の意味が込められています。

日本人の場合は「御機嫌よう」とか「お元気で」が、これに当てはまります。

の三つに大別できるようですが、我が「さようなら」は、この区分では分類不能なのだと説明しています。

■日本特有の「さようなら」はいつから使われ始めたのか?

「さようなら」の語源は、古くは平安時代の「さらば」にたどり着くようです。
本来「さらば」というのは、「先行する事柄を受けて、後続の事柄が起こることを示す」言葉・「然らば」で、「それならば。それでは。しからば。」の意味だとされる接続詞です。

「親もなくいと心細げにて、さらばこの人こそはと事に思へるさまもらうたげなりき」(『源氏物語』)

親もなく心細げであるという事柄を受けて、「ということであるならば」、この人をこそ頼ろうと思っている様子が表れています。ここでは、その「さらば」はまったくの接続詞です。むろん別れといったような意味合いはまったくありません。

しかし、そうした言葉が、すでに平安時代の前期には、たとえば、次のように使われていきます。

さらばよと別れし時にいはませば我も涙におぼほれなまし」(伊勢『後撰和歌集』)

『日本国語大辞典』では、これは「別れの挨拶に用いる語。さようなら」として分類されています。
もともとの接続詞の意味合いはうすれて、自立語の別れの言葉「さらば」の意味合いが強くなってきます。

■「さようなら」を使う日本人の潜在意識とは?

上の2つの「さらば」には共通項があります。

日本語の別れの言葉である「さらば」も、いままでの「こと」が終わって、自分はこれから新しい「こと」に立ち向かうのだという心のかまえを示す特別ないい方であるといっていいのです。
日本人が古代から現代に至るまで、その別れに際して常に一貫して、「さらば」をはじめとする、「そうであるならば」という意のいい方を使ってきたのは、日本人がいかに古い「こと」から新しい「こと」に立ち向かう強い傾向を保持してきたかの証拠です。

『やまとことばの人類学』

源氏物語の「さらば」と、後撰和歌集の「さらばよ」も、古い「こと」が終わったときに、そこに立ち止まって、それを「さようであるならば」と確認決別しながら、新しい「こと」に立ち向かおうという心のかまえ、傾向を表しています。

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「さようなら」とは、つまり自然界に起こる現象、事実を全て肯定視し受け入れ、そこから【どうする?】と可能性 に向けて思考するための起点となることばなのです。

【左様ならば(さようなら)⇒どうする?】

日本人は、常に現実に起こる事実を、あるがままに素直に受け入れ、現実を認め、素直に可能性探索の思考に向かっていた民族なのだという事が、「さようなら」の語源を探っていく中で見えてきたように思います。

次回以降は、漢字やひらがな・カタカナの中に秘められた日本語の力に焦点を当ててみたいと思います。

投稿者 yidaki : 2012年05月17日 List   

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コメント

サンスクリット語で「さらば」とあるようなのですが、
外国語、外来語との関連はありませんよ…ね?

投稿者 mika : 2012年12月21日 22:04

コメントありがとうございます。

サンスクリット語の「さらば」と日本語の「さらば」が同じ意味を成すのなら、もしかしたらどこかで関係があったのかもしれませんね^^

おもしろい情報をありがとうございました☆+゜

投稿者 副管理人 : 2013年1月9日 14:39

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