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2010年12月08日
『新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ2~10.明治時代の公教育の成立の背景
明治時代は、日本で初めて公教育が取り入れられた時代で、このとき制定された制度が今日の教育制度の雛形にもなっているという点でも、とても重要な時代です。
教育制度を扱う上では、制度を策定する明治政府の動きや、明治憲法を初めその他、欧米の制度を摸倣して成立してきた様々な制度などの背景を押えておく必要があります。
そこで、今回は公教育成立の背景を扱っていきます。
明治時代の政策を一言でいうと、近代化という名の元の欧米化政策です。
そして、当時のヨーロッパ・アメリカは既に、現代につながる国家体制を確立しており、それを推し進めてきたのは、国際金融資本家のロスチャイルドでした。(下記参照)
裏の支配勢力史3 産業革命~フリーメーソン~イルミナティ~アメリカ独立
裏の支配勢力史4 ロスチャイルド~スカル&ボーンズ~ロックフェラー
実は、明治維新もこのロスチャイルドによって画策されたのです 😯
以下の記事を参照願います。
その前に、
いつも応援 ありがとうございます
日本の明治維新にもロスチャイルドの陰が見られる。幕藩体制を崩した主力である薩長連合は、坂本龍馬の活躍によるものとされているが、その背景にはグラバー商会による薩摩藩に武器供与がある。グラバー商会はアヘン戦争の原因を作ったマセソン商会を経由してロスチャイルドと繋がっており、龍馬もグラバーの代理人というべき位置にいた。
さて、伊藤博文らは明治憲法を作るために、1882年、再びイギリスに渡り、そのときロスチャイルド家の世話になったようです。
ロスチャイルドは「日本のような後進国にはイギリスの最先進国の政治体制は似合わない」として、ブロイセンぐらいが丁度良いだろうと、プロイセンから来ていたユダヤ人憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストとロレンツ・フォン・シュタインを紹介しました。
こうしてグナイストらに学び、作られたのが明治憲法、そして近代日本というわけです。
明治維新という革命によって、資本主義のレールに乗せられた日本。この頃から国際金融資本の術中にはめられていたようです。
『NHK大河ドラマが明治維新の歴史を作り変えている?(3)』
当時の明治政府は、以下のように、ヨーロッパ・アメリカを支配する金貸し(が組織したフリーメーソン)の意向を受けて精力的に活動する「国際主義派」と、それに対抗し、日本精神を守ろうとする「民族主義派」のせめぎ合いの状態で、その戦いは現在の日本を見ても分かるように、金貸し側の思惑どおり進められていくことになります。それは「国際主義派」が政治や経済の主力になっていくことからも分かります。
民族主義と国際主義の鬩(せめ)ぎ合いは、幕末より、ユッタ衆(国際ユダヤ金融資本の日本人の走狗で、多くは博徒が絡んでいた)の暗躍で表面化し、日本人を愛し、日本精神と日本国家の繁栄を願う、日本国民の利益の為に働く「民族主義」(例えば、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣らで、ちなみに会津藩家老西郷頼母は西郷隆盛と遠縁にあたる)と、国際ユダヤ金融資本の軍門に下り、アメリカを傀儡(かいらい)国家にして、アメリカの傘の中で、日本をアメリカ(【註】アメリカは、本土にアラスカとハワイの二州を加えた五十の州と、一つの特別区とから成る)の「第五十一番目の州」にして生き延びようとする「国際主義」(例えば、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文、木戸孝允、井上馨、五代友厚、森有礼、福沢諭吉、西園寺公望、新渡戸稲造ら)の対決の構図となっている。
金貸し達は、当時の薩長などの有力者達をヨーロッパやアメリカに招待したり、留学させたりして、近代の優れた文明を見せつけ、その繁栄の背景にある近代思想やキリスト教により洗脳し、彼らを操って倒幕を企て、新政権の主導者として操っていくというやり方で、国政を思いのままに動かしていきました。(これは現在でも同様で、東大出のエリート官僚を留学させ日本の政界を操っています。)
参考:官僚階級と植民地支配とアメリカ留学…。(山崎行太郎氏)
■明治維新前後の欧米渡航、留学の記録
・長州五傑英国留学:1863年(伊藤博文、井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉)
・薩摩藩士英・米留学1865年(慶応元年):森有礼、五代友厚など
・軍事制度を視察:1870年:山縣有朋・・・?
・岩倉使節団:明治4年(1872年)11月12日~明治6年(1874年)9月13日:
岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳、田中不二麿 ら
・憲法調査の渡欧:明治15年(1882年):明治天皇の命:
伊藤博文、河島醇、平田東助、吉田正春、山崎直胤、三好退蔵、岩倉具定、広橋賢光、西園寺公望ら
さらに、それら欧米で洗脳されてきたメンバー達は、日本に戻ると、政界・経済界を動かすと同時に、私塾や後の学会に繋がる明六社などを組織し、西洋近代思想の啓蒙活動にも力を入れていきます。
【参考】明六社:
1873年(明治6年)7月にアメリカから帰国した森有礼が、福澤諭吉・加藤弘之・中村正直・西周・西村茂樹・津田真道・箕作秋坪・杉亨二・箕作麟祥らとともに同年秋に啓蒙活動を目的として結成。会員には旧幕府官僚で、開成所の関係者と慶應義塾門下生の「官民調和」で構成された。また、学識者のみでなく旧大名、浄土真宗本願寺派や日本銀行、新聞社、勝海舟ら旧士族が入り乱れる日本の錚々たるメンバーが参加した。
その後、明六社は明六会となり、福澤諭吉を初代会長とする東京学士会院、帝国学士院を経て、日本学士院へと至る流れの先駆をなした。
前回紹介した福沢諭吉(:実はフリーメイソン)もメンバーに入っています。
これらのメンバーを見てもお分かりのように、明治期の日本の政界、財界を代表する面々です。明治期には日本銀行や株式制度、郵政制度なども確立し、それらによって一気に日清・日露戦争へと突入していきます。その背後にはやはりロスチャイルドの力があるのです。(以下参照)
【日本銀行】
日銀はロスチャイルドが作った①
日銀はロスチャイルドが作った②
【郵政制度】
初めから郵便制度・郵便貯金は、戦争のための準備システムだったのでは?
【株式制度】
「和の集団」の日本の文化が、私権競争社会のアメリカ文化の株式市場に駆逐されていく
【戦争】
日露戦争にヤコブ・シフ(その陰にロスチャイルド)有り
日露戦争を仕掛けた国際金融資本家
当然、教育制度もその(:支配の)流れにあり、主に、フランスやアメリカの教育制度や内容を基に策定されてきました。
ヨーロッパ、アメリカの公教育については、前回の以下の記事で考察されるように「金貸し支配のための洗脳システム」としてつくられたもので、それは明治期の日本においても同様の意図があります。
公教育の成立構造を考える④~公教育は金貸し支配のための洗脳システム~
教育制度の成り立ちを見ていく上でも、制度策定に主要に関わった人物が「民族主義派」か「国際主義派」かをみていくことは重要で、制度策定に関わった文部省主要メンバーを見てみます。
(1)「学制」の頒布(1872年/明治5年)
江藤新平文部大臣(民族主義派)
加藤弘之文部大丞(国際主義派:明六社・東大初代学長)(2)教育令の制定(1879年/明治12年)
田中不二麿文部大舗(たいふ)(尾張藩:国際主義派:岩倉使節団)(3)改正教育令(1880年/明治13年)
河野敏鎌文部卿(土佐藩:民族主義派→国際主義派へ:江藤新平→大久保利通+龍馬と親交)(4)学校令の制定(1885年/明治18年)
森有礼文部大臣(薩摩:国際主義派:アメリカ留学→フリーメイソン)(5)教育勅語の下賜(1890年/明治23年)
芳川顕正文部大臣(徳島藩:山縣有朋の側近:国際主義派?)(6)学校教育の多様化と普及(1893年/明治26年)
井上毅文部大臣(長州藩・国際主義派:三井財閥最高顧問)
ほとんどが国際主義派のメンバーで、唯一の民族主義派の江藤新平は、後に愛弟子:河野敏鎌に処刑されています。
このように、制度制定の背景には、金貸し支配→近代思想やキリスト教思想の洗脳教育という目的があり、これらの状況認識を踏まえて、次回は、上記教育制度の中身を押えていきます。
投稿者 sashow : 2010年12月08日 TweetList
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