『新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ2~10.明治時代の公教育の成立の背景 |
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2010年12月09日
家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(10) ~“家業・企業の可能性”
今回は「家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!」シリーズ10回目です。
前回は、~“会社の中に家族がある”って本当?!という題名で、最近の成功している企業を分析しています。そこでは、家族的な振る舞い・仕組みを社内に作ることで、社員同士の、一体感=充足感を向上させ、充足・活力がUPします。そしてそれをベースにすることで、課題の共有=同化も、「個人から社会へと」対象範囲が広がり、そして成果度UPを達成しています。ここが成功の秘訣みたいです。
今回は、家業複合型企業(以下の投稿者の造語)を事例に分析してみたいと思います
まず紹介したいのは、るいネットから『家業の可能性①~答えを見つけ始めた家業主たち~』です。
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お正月は地元に帰省して久しぶりにいろんな人と話しました。
むかし働いていた会社の人達は、売り上げ低下に伴う人件費の節減に躍起になっているようで、かなり大変そうでした。表情も以前より暗い感じで、若い女の子達までなんだかやつれて見えました。そんな中、家業を営む親父たち(自分自身の父親も)の嬉々とした表情は、まるで悪だくみをする子供のようで(こんな事いったら、怒るかな?)印象的でした。
飲食店を経営する自分の父親の例になりますが、
1年前まで父親は
「店はお前の好きにしたらいい」
と半ば丸投げのような言い方をしていました。
それが今年は
「お客さんに喜んでもらうために何ができるんか、それを考え続ける姿勢だけは変えんといて欲しい。」
「うちがやってることは、農家さんが作ってくれやったもんを、お客さんに知ってもらうための橋渡しや。料理屋っていうのは職人が自分の腕を見せつける場では無いんやで。」
と、はっきりと相手発・社会発の仕事のやり方を提示してくれました。
その上で、
「今度はこんな事、してみようと思うねん。」
と、普段から頭をひねって考えていたことが伺えるような、色んなプランを説明してくれました。そのプランについて、あーでもない、こーでもないと一緒に考えているうちに、親父と戦友になったような、楽しい時間を過ごせました。その他にも地元で出会った家業主たちの顔は明るく、少し座って話をすれば「今度はこんな事、やってみようと思いますんやわ。」と創意工夫に満ちていました。本当に不況なのかと疑問に思うほどでした。
なぜ、彼らはこんなに明るく、可能性に対して貪欲でいられるのでしょうか?いずれも50~60代で、決して若いとは言えない世代です。それは、まず
①自分たちの手で動かせる生産基盤を持っていること
②経営者自身が常に現場での圧力にさらされていること
があると思います。その上で、
③私権に代わる新たな収束先を見つけられていること
が、彼らの明るい表情に表れています。日本の地方に点在する「答えを見つけ始めた家業主たち」
彼らは新たな日本社会を形作る起爆剤になっていけるのではないでしょうか?
この文章で印象的だったのは、『そのプランについて、あーでもない、こーでもないと一緒に考えているうちに、親父と戦友になったような、楽しい時間を過ごせました。』です。
企業内と異なり、家庭内で、このような気持ちになれるってほとんど無いのではないでしょうか?ここでの事例のポイントは、父親が家庭企業を取り巻く外圧状況に同化し、それを内圧=課題として捉えることで、活力が沸き、どうしたら上手くいくかと考え続ける。その思い、行動が、子供にも伝わり、子供にも父親を通じて社会=みんなの課題が感じられ、自分も何とか期待に応えたいと充足課題として同化できたからでは無いでしょうか。
これは、このシリーズ8回目の「イクメン=子育て=課題が無いから目先の子育て(外圧を遮断する)と全く逆の構造です。」
★『外圧に同化する!』これは、家庭にとっても非常に重要な視点だと解ります。
この投稿は連続投稿(3部作)と続きますが、最後の投稿も引用させて頂きます。
『家業の可能性③~生命原理に基づいた組織が業に命を吹き込む~』
一つ一つは零細な家業が集団として適応を目指していくということは、生命原理に基づく集団適応に他なりません。
家業複合型企業が社会で評価を得ていく過程は、「集団として外圧に適応していく」生命の営みそのものを実践していく過程に重なります。そのように考えれば、家業複合型企業の枠組みがもう少し鮮明になります。
①社会の期待に応えていく事を共通の外圧として課題共認している集団
※「お客さんに喜んでもらうこと」や「地域を元気にする活力再生事業のモデルを示していくこと」、そのことをそれぞれの協働家業主たち全員の共通課題として認識できていることがスタート地点になります。②外圧が末端まで行き届いた集団
※特に外部の労働力を入れる場合には、他の家業体の必要な労働力や経理情報までをふくめた全情報を公開して、とにかく全員が等しく外圧に貫かれた状況を作り出していかなければ、活力を生み出していけない=統合でき無いでしょう。③常に外圧の変化に柔軟に対応できる集団
※変化する社会状況に対して常に適応していく為には、「既存家業という安定基盤」の他に「新事業・複合事業という変異基盤」を持ち続けることが不可欠になります。変異の源泉である異業種の「組み合わせ」を内在している家業複合型企業は、新たな可能性を生み出す絶好の実現基盤を持っているといえるかもしれません。一度「これでいける」となったら、労働力や資本を集中させて一気に突破していく為にも、改めてグループ内の風通しのよさが不可欠だという事にもなりそうです。このようにまるで一つの生命体のようにふるまう組織が実現できれば、厳しい共認闘争の中でも十分に「勝っていける」んだと思います。
現在、地方にばらばらに点在する日本の家業主たち。彼らが地域の中で力強い協働関係を構築していけば、きっとそのエネルギーが「地方を元気にしたい」と必死に考える人たちの共感を呼び、いずれ地方再生の士が互いの経験を共有しながら「地方再生への認識を紡ぎ出す場」への求心力になっていくのではないでしょうか。
ここでの家業複合型企業①~③は、家庭内企業だけでなく、一般企業にも、そして家庭が上手くいく秘訣として捕らえられるのではないかと思います。特に『③の常に外圧の変化に柔軟に対応できる集団』。変化する社会状況に対して常に適応していく為には、重要なことだと思われます。
企業は、変化する外圧の中で、生物と同様に安定と変異というシステムを持ちながら適応してきました。それは、どの国の、どの時代も同様です。一方で家庭はどうでしょうか?全く逆の構造=外圧がかからない構造になっていることがわかります。今や、家庭は、みんなからの評価・批判に最も晒され難い聖域となっています(それは、家庭から生産の場が取り除かれた以上、消費と生殖しか残っておらず、今や当たり前なのかもしれません)。
家庭という枠組みに閉じ篭ること無く、社会に目を向け、社会に同化する。そこにこそ人の育つ土壌、そして誰もが充足の得られる可能性が存在しているのだと思います。
それでは、次回も上手くいっている企業を例に考えていきたいと思います。
投稿者 hoop200 : 2010年12月09日 TweetList
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