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2010年06月19日

新たな時代の教育制度の提案に向けて~昨今のアメリカの教育の状況~

みなさん、こんにちは

前回に引き続き、アメリカの教育にせまってみたいと思います

まずは、変わりつつあるアメリカの教育について

アメリカの大学は入りやすいけど出にくいという話は以前よくありましたね。最近はゆとり教育と人口減少のためか日本でも随分状況は変わってきているのであまりないのかも知れませんが。

ただ昔から、アメリカの大学も本当に入りやすいかと言えば必ずしもそうではない。難関校ともなれば高校での成績やSATでも高得点はある意味当たり前で、エッセーや口頭試問の戦いになる。そこでは勉強以外でどのようなことをしたかが問われるのでこれは違った意味で非常に難しい。しかし最近ではさらにエスカレートしつつあるようだ。

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というわけで、エスカレートしつつある、アメリカの教育事情にせまってみます 😀

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 「入りやすく、出にくい」という米国の大学のイメージが大きく変わりつつある。ひと握りのエリート校をめざす高校生の数は年を追って増え、競争率は急上昇。いまでは、浪人して難関の志望校に再挑戦する生徒も珍しくない。ライバルに差をつける受験テクニックを授けるコンサルタント業も空前の盛況で、トップグループの生徒やその親たちの間では、日本も顔負けのし烈な受験戦争が演じられている。(ワシントン=木村伊量、伊藤裕章)

 「毎日の授業以外の勉強時間は六時間から八時間かしら。平均の睡眠時間は四時間くらいでした」

 全米はいま高校の卒業シーズン。マサチューセッツ州の私立高校からこの秋、ハーバード大に進む予定のエシャー・ヒーラーさんは、猛勉強ぶりをそう振り返る。

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 ○「いい大学に」 親からハッパ

 超難関校ばかり十二校に出願し、早い時期に合格通知がきたハーバードに決めた。両親もハーバードの卒業生だ。九十六人の同学年のうち、ハーバードに出願した生徒は二十一人。エシャーさんら四人が合格した。日本風の予備校はなく、志望校に失敗した同じ学年の二人は、社会奉仕活動に携わりながら来年の再受験を待つという。

 ニューヨーク州の公立高からエール大に進むケイス・バーマン君も、「ハーバード、エール、プリンストンの三校以外への進学は考えられなかった。両親から『できるだけいい大学に』とはっぱをかけられ続けた。合格通知が来たときは、ほっとした」。

 エリート校の人気はかつても高かった。それでも、生徒の個性と適性に合わせた大学選びが尊重され、大学名より教育内容や環境が評価されてきた。それが米国の高校生に「ゆとり」を与えてきた、といわれる。ところが、成績優秀者たちはいま、ごく一部の狭き門にひしめき始めている。

 エール大のリチャード・ショー入試担当部長は「いい大学への進学が必ずしも成功を意味しないが、各界で活躍する人にこうした大学の出身者が多いのも事実」と効用を説く。
 米国の大学授業料は総じて高く、日本円で年間二百万円ほどかかる例はざらだ。昨年、長男がコロンビア大に進学したコネティカット州の銀行員ボブ・シェールズさんは「次はエリート大学院を狙わせる。米国でものをいうのは結局、学歴と学位。息子の将来を考えれば投資は惜しくない」。

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 ○クビ切り頻発 進む安定志向

 そんな中で「受験請負人」ともいえる教育コンサルタントが脚光を浴びている。

 「実力に従って、やや高望みの志望校、実力相応校、すべりどめ校を推薦し、突破のための戦略を指南します」。自信たっぷりに話す四十代半ばのキャロル・ギルさんは、大学の入試担当者などを経て十一年前にニューヨークでコンサルタント業を始めた。
 契約した約百五十人の受験生に、電話やファクスを通して、作文の添削から受験に有利な高校での科目選択まで、「大学側はあなたの何を評価するか」という視点から細かく指導する。事務所には、添削担当のプロのもの書きもいる。二年間で、費用は二十万円から三十万円だ。

 バージニア州の「独立教育コンサルタント協会」によると、協会所属のコンサルタントは二年前の倍の二百四十人。高校によっては、進学を控えた生徒の三分の一から半分が教育コンサルタントと契約している。全米共通の大学進学適性試験(SAT)の受験に備えて、家庭教師を雇う親も少なくない。一時間一万円程度が相場という。

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 受験戦争激化の背景には、一九八〇年代の景気停滞と、その後も続いた企業のダウンサイジング(合理化)が常態化し、中間管理職のクビ切りが頻発している点がある、との見方もある。学生や親が、より高く、安定した職を求める結果、エリート校志向が強まっている、というのだ。有名大学院への進学に、エリート校の卒業が有利にはたらくことも、受験熱をあおっているようだ。

 ○大学への願書「代筆」の例も

 競争のエスカレートと受験産業の急成長に伴い、大学に出す願書をコンサルタントに「代筆」させる例も現れた。大学側も「自分に合った大学がどれかを深く考えずにエリート校に殺到する風潮は困りもの」(ハーバード大の入試担当者ダナ・マイケルソンさん)というが、この傾向には満更でもなさそうだ。

 もっとも、これらは裕福な家庭と才能に恵まれた生徒たちをめぐる現象。米社会全体で受験熱が高じているわけではない。

 全米で三千五百以上ある大学に進むふつうの高校生にとっては、遠い世界の話だ。
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さらには、こんな事例もあるようです 😯

アメリカの大学入学選抜は、日本のようなペーパー試験一発勝負とは違います。入試事務室に必要な書類を提出して、主として書類審査で行われます。この大学入試ですが、長い間、例えば日本や韓国に比較すると、そんなに熾烈なものではありませんでした。とにかく入れる大学に入っておけばいい、お金をかけるのは大学院でいい、専門が決まって実力が伸びればそこからが勝負、というような理由で「大学入試」自体はそれほど深刻な位置づけではなかったのです。

ですが、昨今このあたりの事情はかなり異なってきました。まず、中国や韓国など、教育熱心な国からの直接の留学生や、移民の二世三世などが「やはり学部のうちから高名な大学に」という文化を持ち込んできたのが1つ、それから長引く不況の下で「できるだけ就職に有利な大学へ」というモチベーションが広がっているということから、入試の競争は激化しつつあります。

例えば、アイビーリーグという東北部の伝統校8校に、これと同格とされるスタンフォードとMITを加えた「トップ10」について、出願総数に対する合格率は、2007年(13.14%)、2008年(12.32%)、2009年(11.29%)と下がってきており、競争の激化トレンドはハッキリしています。(「ヘンルナンデス大学コンサルティング」調べ)今年のデータはまだ出ていませんが、非公式の数字としては一気に8%台になったという報道もありますし、私の周囲の、例えば地元の高校での様子などからすると、相当激化しているようです。

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数字の裏付けはありませんが、今年の傾向としては次のようなことが挙げらるようです。まず、アイビーなど伝統校では、スポーツの実績が「必須条件」にようで、かなり優秀でも、独自の研究テーマを持った学生以外は、スポーツを真剣にやって来ていないと合格していません。「健全な精神は健全な肉体に宿る」というだけでなく、スポーツを通じたスケジュール管理や長期間にわたる自己研鑽の姿勢、コミュニケーション能力(アメリカの体育会カルチャーは「上に立つ人間ほど人格者」が理想とされる)などの点から、スポーツが重視されているようです。

また、数年前に、SAT(全国統一テスト)で2400点満点を取ったにも関わらず、プリンストン大学を不合格になった学生が、同大学を告訴するという事件があり、結果は大学が勝訴していますが、この事件以降、各大学は益々「学力だけの学生、大学のブランドに憧れて入学が自己目的化している学生」は排除する方向に動いているようです。

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その他の傾向としては、冷やかし受験と思われると(他州からの応募、統一フォームでの安易な応募)相当に優秀な学生でも不合格になるということがあります。書類選考のために、早期専願制度以外の枠ではほぼ無限に出願のできるアメリカの大学では、併願による辞退者対策が頭の痛い問題としてあり、その点で合格通知を出す際に非常に慎重になるようです。

こうした「合否基準」の背景には、アメリカの高等教育における「理想の学生像」というものがあり、それがアメリカの高等教育の国際競争力になっているのです。その点はその点で話せば長いことになるのですが、それはともかく、こうした「大学入試の激化」は今後、アメリカの教育にどんな影響を与えていくのでしょうか?

1つは、アジア圏のような早期教育のニーズが高まるということがあります。ペーパーの学力だけでなく、スポーツや音楽などでの組織内コミュニケーション能力を含めての早期教育ということが、更に注目を浴びるでしょう。そして、現在すでに成立している、高校レベルの塾や受験コンサルタントといったビジネスが更に流行することが考えられます。

こうした「過熱」の先には、恐らくは「入試の透明化、客観化」の要求が親や学生から出てくることも考えられます。アメリカの合否基準は、確かに秘密のベールに包まれています。例えば、伝統の継承者と破壊者を一定の割合でミックスして採るとか、先ほど申し上げたように「入学が手段ではなく目的である」学生を排除するといった、一見すると主観的な選抜も行われているようです。

ですが、アメリカの大学は、そのようにして「研究レベルを確保し」「ビジネスでの成功者を輩出し」「授業を活性化する」ために緻密な入学選抜ノウハウを蓄積してきているのです。主観的に見える「秘密の合否基準」にも、その背後には膨大なデータがあり、「併願による辞退者」を減らすだけでなく、入学後に「燃え尽きる学生」をどう減らしてゆくか、そして学風の維持と自己革新をどう進めていくのかを考えながら、出願者全員のレジメ(履歴書)に向きあっているのだと思います。

仮に、アジア圏などの留学生が更に増加する中で、万が一この「合否基準の透明化」が行われてしまうようですと、折角の大学の活力が失われてしまう危険もあるわけで、そのあたりで激しい論争に発展する可能性もあります。いずれにしても、アメリカの大学入試は当面の間、益々激化していくでしょう。リンク

また歴史背景を追いかけていくとこのようなことも見えてくるようです

国家として歴史が浅く、古い身分序列に変わる新しい社会秩序を作り出すことが課題だったアメリカでは、移住当時から公教育の必要が認識されていたようです。ただし、長い間、その対象は一部の金持ちの子女に限られていました。(その代表が1642年に成立したマサチューセッツ教育法)

それが、全国民を対象とした公教育制度へと転換したのが、南北戦争(1861-1865)前後の時期。(この時期は、イギリス、フランス、ドイツの公教育制度成立時期とほぼ重なります

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南北戦争は、「保護主義」を唱えた北部の工業家と、綿・たばこを輸出する南部の「自由貿易主義者」とのイデオロギー対立。それらの主義主張に対する大衆の支持を得て、社会を統合するには、まず大衆の「読み書き能力」の向上が不可欠

この『大衆の「読み書き能力」の向上』という、統合階級にとっての必要性が公教育制度成立の背景にあったのではないでしょうか。そうだとすれば、この制度は「イデオロギー洗脳装置」 8) とも言えそうです。

以下、デトロイトりんご会・補習授業校ホームページ:「アメリカの学校教育」より抜粋
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1 . アメリカの学校教育
( 1 ) 目的
「アメリカ国民の一人一人が、それぞれ一個の人間として成長することができるように学校教育は存在する。」という、教育の根底に流れる個人尊重の思想は、アメリカ建国当初から現在に至るまで力強く流れています。

独立宣言に「創造主のもとに、万人は平等につくられ、その生命、自由、そして幸福追求の権利は、なにものにも侵さりれない。」とうたわれ、男女の性、人種の如何を問わず、教育を受ける機会は全ての人に同じでなければならないと考えられています。従って、学校教育の第一目的は一人一人に役立つことであり、全ての子供たちは、それぞれの特性や能力を最大限に伸ばす機会を与えられなければならないとされています。
学校教育のもう一つの大きな目的は、国民の一人一人が自らの特性や能力をいかに発揮し、社会に貢献するかを教えることとされています。一人一人の幸福と国の発展は、互いの深い関わりあいの中で初めて成就されていくこと、全てのアメリカ国民の貢献によってのみ、アメリカの繁栄は約束されることが指導されなければならないとされています。

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( 2 ) 歴史的背景
1647年、マサチュセッツ州法で、「全ての子供たちが『聖書を読め
るようになり、悪魔の誘惑 😈 に負けることがないように』各町に公立の学を設立しなければならない。」
と定められたのが、アメリカの公教育の考え方の始まりであるといわれています。

しかし、300年以上も昔の当時、多くの植民地では、まだ子供たちの教育は重要視されず、私塾に行ったり、家庭教師の指導を受けることができたのは、金持ちの子女に限られていました。

1800年代前半には、全ての子供たちに無料の公教育を与える動きが活発になってきますが、多くの人々は、他人の子供の教育に税金を使うのは許せない、私塾の経営が悪化する、教育は教会と家庭に任せるべきだ、などと反対していました。

南北戦争(1861-1865) の開幕前後には、市民の識字力が民主主義社会に欠くことのできない要素であることが認識され始め、北部の州のほとんど、南部の何州かでは公立の学校制度が確立されました。しかし、この学校制度も多くは小学校に限られ、中学校、高校の設立は南北戦争終了近くとなります。

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(tateko )

投稿者 staff : 2010年06月19日 List   

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