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2010年06月10日
こんな子育てがしたい♪~『感謝のトレーニング』『感謝は万能薬』
『こんな子育てがしたい』シリーズ12回目、いよいよ最終回です。今までの記事は、
こんな子育てがしたい♪~共認充足がなければ生きられない
こんな子育てがしたい♪~共認機能の形成過程~
こんな子育てがしたい♪~子供には共認充足体験を~
こんな子育てがしたい♪~ミラーニューロンと共認機能
こんな子育てがしたい♪ 『話す』は、『応える』!!
こんな子育てがしたい♪ 子育てにおける自然の摂理の重要性
こんな子育てがしたい♪ 自然の摂理より気づく子育て(2事例)
こんな子育てがしたい♪「遊んじゃだめ勉強しなさい。」っておかしくない?
こんな子育てがしたい♪~アトピーや喘息の原因は?どうやったら治るの?
こんな子育てがしたい♪~「農」で心を開く!?
こんな子育てがしたい♪~まずは自分から心開く
前回、「自分から心を開く」→「まわりに感謝」が大切、という話をしたと思いますが、今回は「自分に感謝」「感謝のトレーニング」「感謝は万能薬」のお話しです。
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今の若いお母さんは、自分自身が育った時にすでにスキンシップ(親和充足)が不足しがちで、親和が得られないのは「自分が悪い」からだと思い込み、自分の欲望や期待を封鎖して、ずーっとイイ子を演じてきた人が多いのではないでしょうか。
子育てしていても、「うまくいかない」「こんな育て方で良いのだろうか?」、「イライラしてつい叱ってしまう」等々、最終的には自己嫌悪、自己攻撃になってしまう。
こんな場合どうしたら良いんでしょうか?
るいネットより関連する投稿をご紹介します。
>乳幼児期の母親との親和充足(笑顔の交信やスキンシップによる安心感)が人格形成上決定的に重要であるにもかかわらず、スキンシップが充分できていない場合、子供は親和不全(怯えに近い不安)に陥る。しかし、赤ん坊にとって母親は絶対存在であるため、親和が得られないのは「自分が悪い」からだと自己攻撃し、己の欲望や期待を封鎖して、母親から与えられる規範観念(「ああしなさい、こうしなさい」「それしちゃダメ」etc)にひたすら収束する。己の欲望や期待を封鎖してしまった子供は、当然性欲も封鎖していく。そして、ひたすら観念に収束することによって、体が求めるものを頭(観念)で押さえ込んでいく。そして頭と体の断絶状態になってしまう。
つまり、乳幼児期の親和欠損から、母親へ過剰に同化収束するが、評価されない場合、期待に応えられないのは「自分が悪いからだ」とダメ観念(自己攻撃)に収束する。それで、いつも自信がない。かつ、自分の期待(欠乏)も封鎖してしまう。大半の人、特に若者は、このような心理状況にあると思います。
「感謝は万能薬」で挙げられている「まず頭が心、体に謝罪。抑圧してたのにも関わらず、がんばってくれた、心、体に感謝」は、この自己攻撃や期待封鎖から、共認回路や本能回路を解放するための方法だと思います。AV監督の代々木忠も、『オープンハート』の中で「自分とつながるための方法論」として、瞑想をあげています。自分の心と体に感謝する、具体的な方法論の参考に、引用します。
>瞑想ですることといえば、(太鼓のリズムのような)最初に音楽を聞き(慣れてくれば、これも必要ない)、首を回し、深い呼吸をして、心に浮かんでくることを自分で確かめ、自分に感謝する。そのあとに、光のシャワーをイメージし、再び深い呼吸をして、最後に10数えてから目をあける。ただそれだけのことだ。
>私たちはふだん自分を理性的に保つために、浅くて不規則な呼吸をしている。だが、ここで行う深くてゆっくりとした呼吸は、毛細血管を開き、血行をよくする。この呼吸があなたをトランス状態(軽い睡眠状態)に導いてくれるだろう。
>「瞑想においては雑念をはらえ」という言葉をよく耳にする。だが、雑念をはらおうとすれば、いつまでも雑念とつきあうはめになる。だから呼吸によって心が落ち着いてきたら、「あえて雑念とたわむれよう」と私は言いたい。雑念を否定し振りはらうのではなく、雑念と積極的に遊んでみるのである。
>そもそも雑念とは何だろうか。なぜ心が落ち着いてくると、雑念が現れてくるのだろう。雑念とは、過去においてまだ解決していない、あなたの思いなのではないだろうか。この意識するとしないとにかかわらず、解決されていない思いがたくさん残っていればいるほど、人からいくら励まされようとも、あなたは自分に自信を持つことがむずかしくなってくる。
>たとえば、(きょう、会社でこんなことがあったな。屈辱感を味わったな。あんなことを言った部長にさえ、俺は媚を売っちゃったんだな)という思いが浮かぶかもしれない。そうしたら、なぜあなたがイヤな部長にさえ媚を売らなければならなかったのかをよく考えてみる。人はだれでも嫌いな人間に媚など売りたいわけがない。そこにはそうしなければならなかった状況があったはずである。だったら、自己嫌悪するのではなく、その時にそれしか取るべき道のなかった自分を認め、自分なりに精一杯やったあなた自身を許してあげよう。
>あるいは、もっと昔の出来事を思い出す人もいるだろう。(そういえば子供の頃、こんなつらいことがあったな。でも、だれにもそれが言えなくて、今でも俺は心のどこかでまだそれを引きずっているよな。よく考えてみると、あの時のあいつをまだ恨んでいるんだな)などと思えてきたとしよう。しかし、そんなつらいめに遭いながら、あなたは一人でここまでがんばってきたのである。過去の幼いあなたに(よくがんばった。君はすごいよ)とほめてあげてほしい。
>そして、どんな場合でも必ず最後に、一生懸命やったあなた自身に(ありがとう)という感謝の思いを送ってほしい。実はこれが自分との対話においては最も大切なことである。
この『オープンハート』「自分とつながるための方法論」で書かれている方法は、いわゆる「感謝のトレーニング」で、心のスキンシップを通して「不安を充足に塗り替える」トレーニングだといえるでしょう。
行き詰まって、いつの間にか社会・仲間を否定し、自分の心まで否定して孤独な観念世界に閉じこもって悩んでいるなら、まず自分に感謝し、仲間、そして社会に感謝する。
自分の意識が心(期待・応望)と繋がり、仲間と繋がり、社会とも繋がる事ができるようになります。
感謝は自分の心を開くと同時に、周りにいる人達に充足感を与える働きを持っています。こうして人との繋がり=心のスキンシップを深めてゆくことが『感謝のトレーニング』です。
【参考投稿】
例えば自分の足の裏に感謝してみる。
感謝は万能薬
『感謝は万能薬』の実際の効果です。読んで見て下さい。
感謝は万能薬☆
ある母娘の話
感謝と謝罪、泣くということについて
感謝の涙は、いい気持ち。
心の原点は共認回路
さて、『こんな子育てがしたい♪』→自然の摂理に学ぶシリーズ最終回でしたが、いかがでしたでしょうか。
現代は情報が溢れ、科学技術の発達により様々なものが便利になりました。その反面、人類が元々持っていたもの・感じていたものが失われつつあります。
シリーズ第1回から順に拾い上げると「遊び」「共認機能」「自然治癒力」「自然外圧」等々。
まとめて考えてみると、子育てとは「失われた人類本来の機能」を取り戻す事だと感じました。
人類500万年の歴史の中で守り続けてきたものを私たちの世代で無くしてしまう事は決して許されない。
次代に繋いでゆくためにも、よりよい方法は何か?今後も追究していきたいと思います。
投稿者 ginyu : 2010年06月10日 TweetList
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