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2010年06月09日

虐待はなんで起こってしまうのか

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こちらから画像をお借りしました

少し前からよく虐待のニュースを目にするようになりました。
また最近ではドラマ 虐待をテーマにしているもの(motherなど)も多くなっているように思います。

私は虐待のニュースを意識的に見ようとしているわけではありませんが、気付けばニュースを真剣に見ていたり、新聞 を読む中で沢山の情報の中から、記憶にしっかり残っているニュースは虐待に関するもの、というのが多くあるように思います。

これってやっぱり気になっているから ですよね(><)

きっと大多数の人たちが虐待 のニュースを見ると胸が苦しくなり、怒り :x悲しみ :cry: を覚えるのではないでしょうか。一方なんで虐待をする親が増えているんだろう と、虐待が何故起こるのかという根本について という人も多いのではないでしょうか (私もその一人です

そこで虐待が何故起こってしまうのか
どうしたら防げるのか

そのヒント をるいネットで探してみました

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[ヤンママたちの閉塞 山田渉]から引用。
70年代以降に生まれ、我儘放題に育ち、我慢するという経験も無く体だけが大人になってしまった一部の女たち、という見方も可能だと思うが、事態はもっと根源的な部分に原因があるように思える。

女たちは、親和存在であり、応望存在である、という観点から見ると、プライバシーの鎧で固められた現代家庭では、その対象は夫と我が子に限定される。それでも、夫も子供も親和対象となり、自分に期待を寄せる応望対象になり得るはずだ。

応望存在の前に依存存在であるというところに原因が求められるかもしれない。
得たいの知れない不安を抱かせる現代の危機的な状況の中で、あまりにも頼りなげな夫、女の商品価値は年々下がり、いつか崩壊してしまいそうな自らの拠り所。
さらに、かつて女たちが収束し得ていた子育ての役割規範も無くなってしまい、夫も新婚当初のような親和対象ではなくなってしまった。その結果、このまま年を重ねてしまっていいのかという不安の蓄積と自らへの問い掛けの繰り返し・・・。

悩める心を開きだす場を求め、仲間に救いを求めようとする母親たちの行動は、現代の閉塞状況に対処するためには、仲間・集団へという方向しかないことを示唆しているように思う。

プライバシーの保護 個人情報の保護 がいたるところで叫ばれるようになった現代で、子育てで悩むお母さんたちの心を開き出す場所がないということが、大きな要因になっているということですね(><)
しかし 虐待は現代に限った問題ではなく、実は昔から存在していたという記事を発見 しましたので紹介します

[虐待を断ち切る道のり 阿部佳容子]から引用。
兄は八つか九つだったろうか。その下にそれぞれ三つちがいの私と弟がいたし、父の世話、世帯のやりくりで、母は眼がまわるほど忙しかった。それでも、お隣から火のつくような子どもの泣き声がきこえてくると、
「ほら、また」
母は、洗濯ものを放り出してとんで行った。ご亭主はいつも留守だったような気がする。二十四、五の若いおかみさんは、やせて小柄なのにもう三人の子持ちで、おまけに下の二人は年子だった。年寄りもいなかったから、手がまわらないので、つい、かんしゃくをおこすらしく、よく子どもたちをピシャピシャぶっていた。
「子どもの頭をそんなになぐると、馬鹿になっちゃうよ、さ、かしてごらん」
母はおかみさんの手から赤ん坊をひったくり、いきなりおむつをあけて、
「この子のお尻はただれてるよ。子どもが泣くのはちゃんとわけがあるんだからね。そっちの子は連れ泣きだよ。どこもなんともないから大丈夫。兄ちゃんはおなかがすいてるんだろう、うちへおいで、おいしいおせんべいがあるよ」
ついでに台所で焦げついている里芋のお鍋をおろして、
「しょうがないね、今夜は湯どうふにでもするんだね」
と、晩のおかずの指図までして、上の子の手をひいてかえってきた。
~沢村貞子「私の浅草」より

明治41年生まれの筆者の幼年期であるから明治から大正初期にかけての東京下町の風景だと思います。何ともたくましい頼もしい「隣のおばさん」ですが、子育て不全というのはどうやら明治の女にもあったようです。それを虐待に向かわせなかった、その一歩手前で食い止めたのは周りの力。この周りの力が十分に発揮できたには、うちも隣も同じ、おとなが子どもを守るのは当たり前、経験者・年輩者が若いひとに意見するのは当たり前、というような社会規範があったから。

 

いつの時代でも、お母さん一人だけで子育ては無理 という証拠ですね

わたしは現在20代で未婚、もちろん子どももいませんが、いつか母親となり「虐待 」という問題をさらに身近に感じた時、『薄っぺらな同情心に身を委ねて行動するよりも、個人主義の恐ろしさ(その末路としての虐待)』ということをしっかり認識しておくことが、人として女性として今の私に一番重要なことかなと思いました

投稿者 ITIDA : 2010年06月09日 List   

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コメント

>プライバシーの保護 や個人情報の保護 がいたるところで叫ばれるようになった現代で、子育てで悩むお母さんたちの心を開き出す場所がないということが、大きな要因になっているということですね(><)

なるほど~!
唯一、頼りになる母親とでさえ、育児方針の違いで喧嘩をするって聞いたことあります(><)

家族を越えて、みんなに見てもらえる環境って必要ですね。

投稿者 にしか☆ : 2010年6月9日 20:50

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