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2010年03月25日

こんな子育てがしたい♪~共認機能の形成過程~

 このシリーズの第1段で提起された『共認充足が無いと生きていけない』これに関する事例を2つほど引用させて頂きます。

 dsc_0129-300x200.jpg
(杉もとみな子の日記さんから引用させて頂きました)

『自我より共認、こんな一例』(吉岡さん)
(以下引用)
 子供というと、自分のものだと主張したり、わがまま言ったり・・・そんなイメージってあると思います。
世間一般でも、二歳前後になると自我が芽生え始めて自分の意見を主張できるようになる・・・といった説が流布しているようです。

でも自我ではなく共認こそ原点。このるいネットでは既に明らかにされていますが、先日それを実感させられることがありました。

私はまだ授乳させているのですが、その授乳中に、いきなり息子が立ち上がって、お気に入りのぬいぐるみを取りにいったのです。
不思議に思って見ていると、息子はそのままぬいぐるみを持ってきて、私の胸に押し付け始めたのでした。

なんと、ぬいぐるみにおっぱいを飲ませているのです・・・!

そして嬉しそうに笑って、ぬいぐるみのほっぺをつつきます。これは「美味しい」のサインで、自分が美味しいものを食べたときにもする行為です。私も同じサインを返してあげると、満足げに自分も飲み始めました。

これにはびっくりです。自分の大事な大好きなおっぱいも、息子にとってはまだ「自分だけのもの」という感覚がないようです。(もちろん、自分が今使っているものを取られる=行為を阻害されると怒りますが、それは「自分のもの」という感覚とは別のもののようです。)

それよりも「お互いにわかちあって充足したい」「自分の充足を他の人に味わって欲しい」「充足を共有したい」という感覚の方が先にあるようなのです。(最近はいろんなものに飲まそうとします・・・絵本の中のくまさんや、お気に入りのボール、果ては私にまで・・・!)
世間では子供の成長は自我の形成から始まると言われていますが、事実認識に立って子供の成長を見ると、共感・共認の方が先に人間形成の根幹にあるのだと、改めて気付きました。 (引用終わり)

 2つ目は、イギリスの精神分析医のコワーーーイ・報告です。
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 イギリスの精神分析医ルネ・スピッツによれば、通常母親から受ける一切のスキンシップを排除した状態で育てられた子供は、完璧な栄養と看護があっても数年以内に死亡もしくは重度の障害・病気になってしまうそうです。
スピッツが観察した赤ちゃんの多くが、正常に成長することができませんでした。
生きていくために必要な愛情という栄養分なしでは、身体が萎縮したり、死んでしまう例もあったのです。
他の研究でも、健康な発育には愛情と抱擁が必要なことを立証されています。

  baby.gif

(健誠館ヒーリングシステムさんからの引用です。)

 これら幼児の事例を通じてわかることは、肉体的、精神的にも共感・共認充足がいかに重要かということだと思います。そしてそれは、自分よりも廻りとの充足が第一なのです。まさに相手=自分の感覚だと思います。この共感・共認充足が人間形成の根幹にあるのです。
 『実現論』に書かれていますが、何と、この共認機能は、生物全てに共通のものではなく、サル、人類だけに共通の機能なのです。つまり、人間を知る上での重要な機能なのです。この共認機能の獲得過程を『実現論』から引用します。

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 不全課題を抱えて依存収束した弱オスたちは、依存し合う中から、「どうする?」⇒「どうにかならないか?」と可能性を相手に求め、互いに相手に期待収束してゆく。こうして、依存収束⇒期待収束し、互いに相手を注視し続ける内に、遂に相手も同じく依存し期待している事を発見し(探り当て)、互いに相手の課題=期待を自己の課題=期待と同一視して理解し合うに至った。自分以外は全て敵で、かつ怯え切っていた原猿弱者にとって、「相手も同じく自分に依存し、期待しているんだ」という事を共認し合えた意味は大きく、双方に深い安心感を与え、互いの不全感をかなり和らげることが出来た。この様に、不全感を揚棄する為に、相手の課題=期待を自己のそれと重ね合わせ同一視することによって充足を得る回路こそ、(未解明だが、おそらくは快感物質βエンドルフィンを情報伝達物質とする)共感回路の原点である。この安心感+が、相手+⇒仲間+共感を形成し、原猿たちは不全感の更なる揚棄を求めて、より強い充足感を与える(=得る)ことのできる親和行為(スキンシップなど)に収束していく。そこでは、相手の期待に応えることが、自己の期待を充足してもらうことと重ね合わされ同一視されている。つまり、相手の期待に応え充足を与えることは相手に期待し充足を得ることと表裏一体である。従って、相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる。共感の真髄は、そこにある。共感の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。こうして、不全感に苛まれ本能が混濁したサルたちは、その唯一の開かれた可能性=共感充足へと収束することによって、はじめて意識を統合することができた。これが、サル・人類の意識の、第一の統合様式たる共感統合の原基構造である。

補:六〇〇〇万年~三〇〇〇万年も昔の原猿時代に形成されたこの共感機能は、その後真猿時代の共認機能(規範や役割や自我を形成する)や人類固有の観念機能を生み出してゆく。逆に云えば既に無数の規範や観念に脳内が覆われた現代人には、原基的な「共感」をイメージすることが極めて困難である。しかし、ごく稀にそれに近い感覚を体験することはある。例えば阪神大震災の時に、多くの関西人が体感した感覚が、それである。大地が割けたかと思う程の大揺れに見舞われ生きた心地がせず、足が地に着かないような恐怖に慄いている心が、外に出て誰かと言葉を交わすだけで(それ以前に、生きている人々の姿を見るだけで)、すーっと安らぎ、癒される感覚、その時作動していたのが意識の深層に眠る原猿時代の共感充足の回路ではないだろうか。特に留意しておきたいのは、その凄まじいほど強力な安心や癒しの力は、自分の家族や知人からではなく(そんな意識とは無関係に)、誰であっても誰かが居りさえすれば湧き起こってくるものであったという点である。

   ph04.jpg

 われわれ人類が、人の気持ちが解る、いてくれるだけで感謝の気持ちが湧いてくるというのは、この共認回路があるからですね。この共感回路を使いわれわれは、自然圧力に適応してきました。まさに、人間の根底にあるのは、相手+、仲間+、充足+共感を形成することになるんですね。
 だからこそ、『子育て』とは、この『共認力を育てること』だというのが、自然の摂理から導かれた事実だと思います。そのためにも、お母さんを中心とした廻りの人々の充足、愛情があってこそ、その充足の中で子供は深い充足を感じ、その関係の中で生かされていく(成長していく)のだと思いました。
(逆に考えると、スキンシップが不足した場合に、子供の精神的障害、例えば、サイレントベイビーが生じるのだと考えられます。)

 では次回以降は、もう少し、この共感機能について調べていく予定です。

投稿者 hoop200 : 2010年03月25日 List   

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