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2010年03月18日
こんな子育てがしたい♪~共認充足がなければ生きられない
「ウチの子ども落ち着きがないけど心の病気なのかしら?成績が悪いのは親の育て方と関係あるのかしら?読み書きが苦手なのは学習障害という脳の病気なのかしら?」子育てを巡る親たちの悩みの種は、尽きません。子どもをいかに育てればいいのだろうか? :nihi: :nihi:
よく子育てというと育児手法を追求することが多いですが、子育てを通じて母親も成長していきます。母親も自然の摂理⇒子育ての本質:を学び、育み、また、それを子供に伝えていくということ(本源時代の共認力を身につけていくこと)が重要です。
どんな子育てマニュアルよりも、自然の摂理を学ぶことの方が、大事&役に立つのではないでしょうか
このシリーズではこれから【こんな子育てがしたい♪】というテーマで追求していきたいと思います。 🙂 🙂
・15年ほど前(1983年頃)から小児科にいる赤ちゃんがおとなしくなったといいます。
泣くことはおろか、笑うこともなく、ただ無表情。そして親と目を合わさない。医師たちはそういう赤ちゃんを“サイレントベビー”と呼んでいて、幼児期の親のスキンシップが足りないのが原因で起こると考えているそうです。 :blush:
この
「サイレントべビー」については
母親に放っておかれたため 「泣いても無駄」と泣かなくなってしまった赤ちゃんのことです。
教室に来ている幼児の中に 自分の意思表示ができない 感情を表さない男の子がいました。言葉掛けをしても無表情。
お母さんにお家での様子を聞いてみると「手がかからない子。一人で遊んでくれるので楽なんです。ビデオ見せていればいいし・・・。」
その後 そのお母さんがお当番になった時、自由遊びの時間のお母さんの様子を観察(失礼)すると ただ子供のそばに座っているだけ。子供たちと遊ぶという行動はみられませんでした。
あ~ このお母さんは子供の相手をする方法を知らないんだな、と思いました。
「抱っこして」と言わない子供が増えてきているようです。これがサイレントべビーが成長したサイレントチャイルド・・って言うんでしょうか。
どうせ言っても何もしてもらえない、と意思表示をしなくなってしまうのでしょう。
一番スキンシップのしてほしい時期にしてもらえないのは不幸なことです。
お母さんにとっては手のかからない良い子でしょうが その良い子がずっと思い通りの良い子でいるでしょうか・・・。
本来赤ちゃんはその笑顔や泣いているのをみれば誰もが、手を差し伸べたくなります。
ところがこの”静かな”赤ちゃんは、どうしてこうなっているのでしょう。
成長過程に於いて大事な何かが欠けているのではないでしょうか。
それが何か?を考える上で非常に参考になる投稿を【るいネット】より紹介したいと思います。
以下続きます
相手の喜び=自分の喜び」という感情・感覚が人間に備わっているプラス感覚の本質ではないかと思います。日本の「脳型コンピュータ」開発の第一人者で、「愛は脳を活性化する」を持論としている理化学研究所・脳科学研究センターの松本元氏は、次のようなことを述べています。
『ヒトは欲求が充足されると、快な情報として受け取ります。反対に欲求が充足されないと、不快な情報として、受け取り、回避や攻撃といった行動をあらわすようになるわけです。この欲求は大きく分けると、第一次、第二次、第三次の欲求に分類できます。
第一次欲求というのは、個体や種族の維持欲求で、食欲とか性欲、睡眠欲と呼ばれる肉体維持の欲求(肉欲)です。さらに、私がここで強調したいのは、この肉欲以上に強い第一次欲求(遺伝的欲求)として、「人は自分の存在が他の人から意義深いと思われないと生きることができない」という精神的な欲求(精神欲)をもっているということです。』(日経サイエンス社主催シンポジウム「第2回サイエンティフィックライブ・サピエンス」講演より)
高木貞敬著「子育ての大脳生理学」(朝日新聞社)によると、昔、ドイツのフレデリック二世が言語獲得に関する自説の検証のため、赤ちゃんの生理的な欲求は満足させるが、泣いても、話しかけや抱き上げや愛撫などの関係欲求を充足させることは一切しないよう保育係に命じたところ、赤ちゃんは、言葉を出す前に次から次へ亡くなってしまったのだそうです。
「相手の喜び」とは、自分の存在が相手から肯定的に受け止められていることの現れです。それが感じられることが、人間の生存にとって、食欲や睡眠より遥かに重要なのです。だからこそ、自分の喜びとイコールで結ばれるのでしょう。共認充足が人間の命綱であることが、脳科学の見地からも明らかにされようとしています。
彼はこうも述べています。『「愛する」ことは、脳自身が、脳の設定する目標に対し、ポジティブの関係を持つことである。・・・・「愛する」とは対象に対する自己の同化(関係寄せ)であり、「愛する」回路は「愛される」経験なしには獲得されない。そして「愛する」ことは、「愛される」ことより脳の階層の上位にあるので「愛する」ことは「愛される」ことより感動が大きい。
・・・・・・他人を愛することが出来ない人は自分も愛せず、したがって、真に輝くことは難しいだろう。』(雑誌「言語」のエッセイより)彼の「愛する」という言葉は、佐藤さんの引用した実現論の「応望する」という言葉にそのまま置き換えられるように思います。
共認充足とは共認機能(=相手と同化できる機能)を使って充足を得ること。
生まれたときは誰もがこの“みんな発”(=共認充足)の存在です。それをどう育んでいくのが子育てを行う上で最も大事なポイントだと言えそうです。
他にも今週のメルマガるい NO.382に参考になる投稿がありました
:love: このメルマガは本当に参考になるので購読してみてください :love:
◆◇ こんな子育てがしたい♪ ◆◇「心を育てること」を主眼とする風の谷幼稚園。
子供たちは、リーダー決めや工作やラグビーetcを通じて、
「他人からの指摘をアドバイスとして受け止められる感性」
「仲間と一緒に行動することとはどういうことか」
「問題は必ず解決できるという思考力」
を育んでいきます
◇ 【批判じゃなくてアドバイスだよ】 ◇
その1
その2
◇ ☆こどもたちに可能性が広がる実感を☆ ◇
その1
その2
◇ 「協力するっていうのは、こういうことだよね♪」 ◇
その1
その2
これら子供たちの問題現象の根低には、【共認充足がなければ本当に生きてゆけない】ということがわかります。昔は、母親の共認充足を育む土台ができていたのではないでしょうか。
ではそもそもそのいつから共認回路がどう形成されてきたのか。
次回はサル時代にさかのぼって追求していきたいと思います。
投稿者 tennsi21 : 2010年03月18日 TweetList
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コメント
投稿者 ShalP
子育てには、スキンシップ、愛情が重要とよく言いますが、これらの行為により引き起こされる安心感こそが、共認充足を育むことになるのではと思いました。