現行の『婚姻制度』~その中身と成り立ち(6) 家庭とは何か?1930年、高群逸枝はかく語る。 |
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2010年03月12日
『家庭って何?』~人類の新たな活力源=圧力源~
前回『家庭って何?』~市場の拡大限界は、国家の統合限界でもある~では、市場が縮小、限界を向かえた現在、国家も統合限界を迎えてしまった!!ということがわかりました。
そして、家庭も限界を迎えつつあるようです。それは、さまざまな問題を抱えている事からも分かります。その一つが先週紹介された、本来持っていた教育機能を完全に外注化(保育所や塾など)している現状から見ても、教育機関としての役割を果たせてない!ということです。
なぜ、家庭は教育機関としての役割を失ってしまったのでしょうか?
今週は、お母さんが子供たちに勉強させたい けど、いくら『勉強しなさい!!』 👿 って言ってもなかなかな勉強しない 🙁 って悩んでいるお母さん必見の内容
今、勉強するためにも必要な時代の活力源は変わっているのです
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『超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源』より引用しました
では、人類の新たな活力源⇒圧力源は何か?
それは、すでに実現論4_1_00『人類500万年のパラダイム転換』に明示されている。
>サル→人類が共認機能→観念機能を武器に進化してきた動物であり、その生存と進化の前提条件の一つであった物的生存圧力(自然圧力と外敵圧力)⇒物的生存課題をほぼ克服し得たのだとすれば、あるいは少なくとも動物的な生存圧力はもはや主要な活力源たり得ず、従って物的生産はもはや第一義課題たり得ないとしたら、残るのは同類圧力の活力源しかない。人類は、これまで500万年に亙って自然圧力・外敵圧力だけを対象とし(そして期待・応望の同類圧力を生命源として)、共認機能と観念機能を進化させてきた。そして5500年前(日本は2000年前)、同類闘争圧力が加わるや否や、わずか数千年で、自然圧力・外敵圧力をほぼ克服してしまった。
これから先、人類は同類圧力(同類闘争圧力も含む)を主活力源として、共認機能・観念機能を更に進化させてゆくしかない。元々サルは、同類圧力を主活力源として共認機能を進化させてきたのだから、それは基本的には充分に可能である。
>また、既に動物的な生存圧力を克服した共認社会では、環境その他の人類的課題に対する期待・応望の同類圧力=共認圧力が解脱充足と並んで主活力源となり、人々の期待に応える政治や哲学や科学や芸術が主活動となる。そして、期待・応望を主活力源とするそれらの活動は、評価収束によって必然的に創造闘争=共認闘争の圧力を形成し、それが期待・応望の主活力を加圧する。
つまり、共認社会の同類闘争は、人類的課題に応える創造競争=共認闘争となる。(政治であれ哲学であれ科学であれ芸術であれ、提起された認識は共認の獲得を目的としており、最終的には社会共認となることを目指しているので、創造競争は本質的には共認闘争である。)
但し、あくまでも人々の期待に対する応望が主目的であって、闘争が主目的なのではない。闘争圧力は、評価収束によって期待・応望から必然的に派生する期待・応望の強化圧力であり、それによって人類的課題に対する期待・応望の活力は、極めて強力なエネルギーを持つことになる。
>人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢想だにできなかった社会である。
にも拘らず、同類圧力=共認圧力を生命源とする社会であるという根本パラダイムは、極限時代と同じである。ただ人類は、動物的な生存圧力の場を超えて、超動物的な同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えただけである。それは、共認動物が到達するべくして到達した必然的世界であり、実は滅亡の危機に瀕した今こそ、動物的限界を引きずっていた前史が終わり、真の人類史が始まる、その起点となる時なのである。
学びあいの様子
子供たちを勉強させるために『勉強しなさい!』とか『いい大学は入れないわよ!』とか言っても、響かない訳がわかりましたね。かつて勉強は、私権獲得課題として、いい大学→いい就職→幸せ!!と目的がはっきりしていましたが、豊かになった現在周りの友達を蹴落としてまでいい大学にいきたい!って思えない から勉強する活力が沸かなくなっているんですね~ 🙄
最近の子供たちに勉強理由を聞くと 『みんなと一緒にがんばりたい☆』 といいます。『自分発の課題⇒みんな発の課題』へ子供の意識は転換してしまっているから、お母さんの言葉が響かなくなっていたんですね~。
むしろ子供たちの収束するものがそうした、みんな発の期待に応えること(勉強で言ったら学びあいとかで説明すること)を活力源にしているから、暗記とかテクニックにはしるより、何でこうなっているの?原理は?と根本に向かっていたりします。むしろそうした、潜在思念とつながった原理原則を押さえる勉強が将来的には答えを出す思考の元となって行くように感じます。
みんなの期待圧力=活力源にしている子供たちのほうが勉強意欲が高い のです。
投稿者 shijimi : 2010年03月12日 TweetList
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コメント
投稿者 みちお
>みんなの期待圧力=活力源にしている子供たちのほうが勉強意欲が高い のです。
みんなの期待に応えられる勉強なら、子供達のやる気があがる!
だから学校や家庭の役割は、子供達に今行っている勉強がどういう目的で?何の役に立つのか?を伝えることが重要になってくるんですね。なるほどです☆