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2010年02月25日
『家庭って何?』~市場は社会を統合する機能を持たない~
皆さん、最近何か大きな買い物しましたか?最近改めて考えると、大きな買い物してないなーと思っている今日この頃です。
とはいえやはり企業各社は家庭を対象にした様々な商品を日々開発して、市場に発表しています。
これはやはり社会において家庭のひとつの役割として「消費者」というのがあるからなのですが、・・・あまり「消費」自体最近していないような?
おそらく「こんな社会も経済もどうなるか分からない時代に、おちおちと消費にうつつをぬかすなどどは・・・」というのが多くの人の感覚なのではないでしょうか。
とすれば、「一体何にお金を使ったらいいの?」というのが切なる疑問。この疑問のヒントを得るためには、そもそもお金とは?そしてお金が絶対的な指標となっている市場とは?というあたりを明らかにする必要がある!ということで今回はるいネットの超国家・超市場論より、「市場は社会を統合する機能を持たない」を紹介したいと思います。
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それでは早速引用です。
「身分」も「お金」も、評価指標として夫々の社会で固く共認されており、その共認圧力が夫々の社会での最大の圧力源=活力源にもなっている。しかし、この両者には大きな違いがある。
その違いは、根本的には、身分を作り出す国家が闘争圧力に対応した「集団(統合)適応」の存在であるのに対して、お金を作り出す市場は闘争圧力からの抜け道としての「共生(取引)適応」の存在である点に由来している。
身分(という評価指標)は、肉体的に備わった統合原理である力の序列共認を下敷きにしており、それが上から下まで貫通する身分という観念に置換された事によって、社会全体を統合する機能を持ち得ている。
それに対してお金は、私的な交換の場での評価指標にすぎず、交換の行われる局部・局部では統合機能を持ち得ても、社会全体を統合する機能は持ち合わせていない。「闘争(能力)適応」や「集団(統合)適応」なら、その最先端の闘争機能や統合機能は、闘争圧力に対応する最先端機能であるが故に、全体を収束⇒統合することが出来る。しかし、もともと市場は、「共生(取引)適応」の存在である。共生(取引)適応は、あくまでも闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では、(闘争圧力が消えて無くなった訳ではないので)闘争圧力に対応することが出来ない。つまり、共生(取引)適応はあくまで抜け道機能しか生み出さないのであって、それは闘争圧力に対する真の最先端機能ではない。従って、全体を収束⇒統合することはできない。
これが、市場が社会を統合する機能を持ち得ない、究極の理由である。事実、市場は社会生活を営む上で不可欠の社会基盤(道路や港湾や上・下水道etc)さえ、決して自らの手で構築しようとはしなかった。それどころか、自ら(=市場の拡大)が作り出した貧困(⇒福祉)や戦争さえ、その遂行と尻拭いの全てを国家に押し付てきた。そして自力で拡大することが出来なくなった今では、自分自身の拡大さえも国家(国債)に押し付け、国家(地方を含む)は700兆もの借金で首が廻らなくなって終った。
ここまで来れば、市場が国家の寄生物でしかないことは、誰の目にも明らかだろう。要するに、市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。カビがどんどん繁殖すれば、やがてカビ同士がくっつく。世間では、それをグローバル化などと美化して、そこに何か新しい可能性があるかのように喧伝しているが、それも真っ赤な嘘であって、市場が国家の養分を吸い尽くせば、市場も国家も共倒れになるだけである。国債の暴落をはじめ、その可能性は充分にあると見るべきだろう。
ポイントはというと、やはり市場と市場を評価指標であるお金は「共生(取引)適応」の存在であるがゆえに、私的な交換の場での統合機能は持ち合わせているものの、社会を統合する機能は持っていないということですね。
そして家庭もあくまで、そのお金を使って私的な充足価値にしかお金を使っていないというのが現状です。そしてそれが消費なのです。
しかし一方で、みんなの中に「今、こんなに社会がガタガタなのに消費などしているときではない」という感覚があって、お金を使っていないのならば、お金の使い方を、「共生(取引)適応」の形から、「集団(統合)適応」の形に変えていかないといけないということを意味しているのです。
「じゃあ一体何に使えば、社会の役に立つの?」というのは当然の疑問ですが、まだまだその判断軸があやふやだという事も事実です。
更なる事実追求で、その判断軸をみんなで紡いでいくのが重要なのではないでしょうか?
投稿者 daichi : 2010年02月25日 TweetList
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コメント
投稿者 家庭教師
なるほどな、と思わず唸る内容でした。
判断軸という言葉が非常に印象に残っています。
じっくり拝見させて頂きます。有難うございます。