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2010年02月18日

『家庭ってなに?~何をするにもお金がかかる社会~』

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一等地で大きくて快適な家 に住んだり、珍しい食材 を食べたり、綺麗に着飾る のに、お金がかかるのと同じように、
何か病気 になっても、教育を受ける にも、食事をする にも、話をする にも、お金が必要不可欠になったことは、決して“当たり前”のことではないようです :roll:

「なぜ、何をするにもお金がかかる社会になったのか?」についての記事をるいネットより紹介いたします :nihi:

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超国家・超市場論10 何をするにもお金がかかる社会

市場時代を通じて、市場を拡大させた主動因は、私権の強制圧力による抑圧からの解脱としての、快美幻想への可能性収束=快適さや便利さの希求である。
逆に云えば、人々が私権の強制圧力からの解脱手段としての快適で便利な快美生活を手放せないことが、何をするにもお金がかかる社会が出来上がった原因である(そしてそれこそ、人々が精神を破壊し、環境を破壊して止まない原因でもある)。

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このように、市場拡大の原理的なテコとなっているのが価格格差の幻想共認だとすれば、具体的なテコとなったのは交換手段とりわけ交換取引の評価指標としてのお金の共認である。
もし、万人に共認された評価指標があれば、交換取引の成立機会は飛躍的に増大する。実際、交換の為には指標が必要⇒交換効率を上げるには普遍指標が必要という流れで、万人に共認された評価指標(=お金)が確立されたことによって、市場は飛躍的に拡大していった。

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そして、いったんお金が万人の共認する最先端価値=評価指標となってしまうと、(国家によって施される場合を除いて)芸能であれ、情報であれ、全てはお金と引き換える事の出来る形に商品化しなければ供給できなくなり(∵メシが喰えない)、国家の施しの元を成す税も、お金で徴収される様になる。

ところが、市場(交換取引)は私権闘争を原動力としており、従って、お金が万人の評価指標として社会的に共認されたものであるにも拘わらず、それは専ら私的な充足の為にのみ使われ、社会統合の為には(国家以外)使われない。従って、市場は社会統合には、殆ど寄与しない。(そこで、もし人々が、私的な充足の為だけではなく、社会統合の為に、例えば『認識形成の場』にお金を使う様になれば、大変面白いことになる。近く、それを提起したい。)

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今回の注目ポイントは2つ!

●お金がみんなの認める評価指標になれば、全ての供給はお金と交換できる形になり、お金を1円でも多く獲得する方へと向かっていく。
その私権闘争の果てが、すでに顕在化した精神・環境破壊

⇒一方で、お金に縛られた日々の生活や手放せないと思っていた快美生活に、「必要あるの ?」と疑問視する意識も高まっている

●市場(交換取引)は私権闘争を原動力としているので、獲得したお金は、専ら自分たちのためにだけ使われ、「社会をどうするのか?」という社会統合に使われることはない。また、払っている税金も「強制的に取られている」という意識の方が強く、その税金に当事者としての意志は全くない

⇒一方で、「行き詰まっている!」という焦りや「社会のことを知りたい」という危機感から社会系の本やブログなどの情報媒体への注目度は高まりつつあるし、自主的に勉強会へ参加するなど場を求めている人も増えている

自分のためのより便利・快適も、人よりいい生活も、そんなに求めていないし、それどころではないし、もっと大切なもの(=社会・みんな)があるのでは?という意識は強まっており、
また、沢山の情報や商品があるあるからこそ、何を評価する(される)のか?何にお金を払う(われる)のか?という意識も高まっている。

つまり、社会=みんなへの注目・関心がこのまま高まっていくにつれて、“社会”のためにお金を使う人が増えていくということ
お金は「自分たちのために」から、「社会のために」へ変化しつつあるのだと思います :P

投稿者 nakamenta : 2010年02月18日 List   

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コメント

たしかに!自分のための物っていつでも買えるや☆って買わないけど、友達のプレゼントとかなら、「買いたいな!」喜ぶ顔が見たいから…って人が多いような気がします。
それがもっとたくさんの人の喜ぶ顔がイメージできたら社会の為にお金を使うのって当たり前になるように感じます。

投稿者 shijimi : 2010年2月20日 00:24

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