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2010年01月02日

試験制度の弊害 ~試験制度に変わる新しい教育の可能性は?~

あけましておめでとうございます

試験制度の弊害は、12月30日の投稿でご理解いただけたと思います。
今回は、試験制度に変わる“新しい可能性”を探っていきます
まず、今後の可能性を探る上で必要なのは、今の外圧の状況をつかむこと

なぜなら・・

『外圧=内圧』
外圧(外部世界)に適応すべく内圧が生じること。
あらゆる存在はすべて単体ではなく、外圧に対応する形で存在している。例えば、進化史上では外圧(環境)の変化に適応すべく新機能が形成され、新たな外圧状況に適応し得たものだけが生き残ってきた。人々の意識も同様で、やる気や活力なども様々な外圧に対応する形でしか生じない。

外圧の把握なくして、適応できる“可能性”を見出すことはできません
というわけでさっそく、『今はどういう時代なのか?』から、はじめます :nihi:

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■今は、どういう時代なのか?

’70、貧困の消滅(=生存圧力の消滅)に伴う私権の衰弱は、国家を閉塞させ、市場と企業を閉塞させ、学校と家庭をも閉塞させてきた。この30年間、そうして全ゆるものが行き詰まり、活力が失われ続けてきた
新概念を使いこなせて、はじめて供給者になれる
すでに、私権欠乏の衰弱(or崩壊)は誰の目にも明らかであり、私権圧力も衰弱(or崩壊)している。私権原理が崩壊してゆく流れは、もはや変えようがない
潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流

貧困を克服した以上、己の私権を獲得するための“試験制度”は、もはや解体せざるを得ない状況と言えます。

■では、新しい可能性の萌芽 とは・・・?

1970年ごろに貧困を克服した先進国は、過去3千年の人類史を覆すほどの大転換期を迎えました。それは一言で言えば、自分第一の社会から、みんなで作ってゆく社会への転換です。そこでは、自分第一の時代を導いてきた認識群はまったく役に立ちません。みんなの時代を導く新しい認識群(新理論)が必要になります。
勝ち組ほど、阿呆になる時代

“自分からみんな”
これからは、みんなの役に立つことに頭を使うことでみんなの活力が上昇する時代
試験制度は“自分の成績・肩書きだけ”、つまり“自分第一”。
可能性は、新しい制度をみんなのために、みんなで作っていくことに、あります。

それを教育という場面で再生させていくために必要なものは、2つあります。
ひとつめは、学ぶ中身である“新しい認識群”
現実の問題に答えを出すための“概念装置=新認識”を学ぶことが必要となります :nihi:
ふたつめは、それをみんなで共認するための、“共認形成力”
みんなの時代においては、みんなが認められることが答えであり、共認形成することが何より重要となります :love:

■学ぶ中身= “新しい認識群(新理論)”。

学力の本質とはつまり、社会で生きていくために必要な能力の獲得
現代では、学ぶべき必要な能力とは「社会をどう認識するか?」「答え(可能性)を提示できるか?」「どうやって実践するか?」といった社会認識、構造認識群。

そのためにはその構造認識を使って成果を出している人や企業という存在に触れる事が重要となる。教育の役割のひとつはその「場」を提示していく事なのかもしれません。  
例えば「構造認識」を身に付けることでどうなるのかという充足可能性を提示できているか、あるいは真似したいと思えるような存在がいるのか(なっているのか)ということを問うべきなのではないでしょうか?
学習の原点

■“共認形成する力”を育む、「遊び」。

子どもたちの「遊び」は、本能に根ざしたものであり、同時に集団で生きる術を学ぶものではないかと思う。動物にとっても人類にとっても、遊びは子どもたちの最大の学習課題なのではないか。
知能が高いといわれる動物ほど、同性同士で遊ぶor遊びも性分化する傾向が高いそうだ。これは大人になったとき、集団の中で果たす役割と連動している。
動物は集団の中で(遊びなどを通して)育たなければ、生来の機能をまともに発揮できないことを示していると思われる。
子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題

子どもは、現実社会の制約(受験制度など)を受けず、主体的な遊びを通して、工夫思考(本能⇒共認)を発達させていく可能性を持っています
子どもにとっては、これらの、人固有の「社会体験遊び」や「生活体験遊び」、「仕事体験遊び」、「技術・文化体験遊び」が重要ですが、幼児期や児童期の肉体的・精神的な形成には、それ以前の「動物遊び」がより重要なように思います。
幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験

これらを活かした取り組み
上中町企画需要分析③体験教育(農が教育に及ぼす効果)
なんでや露店が作り出す路上空間は、新時代の生産と教育が融合する場
社会との繋がりの中で子ども達が成長していく(野菜販売体験より)
本格コース…現実の問題に対してとことん追究してゆく「なんで?思考」こそが、次代に通用する本物の思考力を培ってくれます。

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これからの時代は、旧認識にしがみつく必要のない素人が、みんなで答えを考え、社会を変え、国を動かしてゆく時代です。(勝ち組ほど、阿呆になる時代

子どもも大人も、みんなで新しい認識をつむぎ、学んでいくことが必要です :nihi:
この家庭を聖域にしてはいけないブログでも、新しい認識を発信していきます
2010年もみんなで一緒に追求していきましょう☆+゜
今年もよろしくおねがいします

投稿者 staff : 2010年01月02日 List   

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コメント

本当に幼少の頃からの学習内容や場を全面的に見直さなければならない状況なのだと感じました。

過渡期的には、現時点でより可能性のある事を次々実現しながら試験制度の枠に囚われない教育を目指す事になると思いますが、現状の環境から大小の集団の有り様に囚われず、より多くの人と大きな実現イメージを共有し続けていく必要がありそうですね。

投稿者 ういろう : 2010年1月7日 22:50

あけましておめでとうございます!!

お正月、実家に帰って学生時代の友達と会ったとうい同僚のある話ですが、
その友達の職場では、出身大学でかなりの派閥ができているのだそうです。毎日のミーティングの中でも「○○大学のヤツは子どもっぽい―」なんて、議題に持ち出すそうです(傍から見たらそんな事を言い出すほうが子どもっぽいですよね^^;)。

私の職場では考えられないようなことですが、現実にはまだそのような会社もあるのかと、生々しく感じる事ができ、試験制度に捉われている日本社会の問題の大きさを直視させられました。

投稿者 mame : 2010年1月7日 22:58

ういろう様
コメントありがとうございます!

問題点の固定と可能性の方向をみんなで共認することが重要ですね☆

大きな課題ですが、絶対に必要な課題なので、しっかり考えていきたいです!

投稿者 yamajun : 2010年1月8日 23:55

mame様
コメントありがとうございます!

生々しいですね。。。
学歴と仕事能力なんてあまり関連がないなというのが実感ですが、学歴が評価軸となっているということは、まともな仕事能力を図る評価軸がないということなのではないでしょうか。

あくまで事実に基づいた評価軸を広げていきたいですね。
今の経済危機状態は、企業、そしてそこで働く社会人にまっとうな圧力がかかるいい機会なのではないかと思います。

投稿者 yamajun : 2010年1月9日 00:03

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