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2009年11月27日

経済破局間近!・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?~最終章:男女の引力を基盤にした社会変革というスタイル~

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『経済破局間近!・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?』シリーズもいよいよ 最終章 を迎えました。これまで読んでいただいた方々、どうもありがとうございました 😀 ここで改めて、過去の記事の主要な論点をまとめておきたいと思います。

■今までのまとめ
プロローグでは、
今後訪れるであろう経済破局に対して、日本の可能性と危機について言及し、危機回避のためには、治安維持がなされるかどうかが一つのターニングポイントとなることに着目しました。その際、「自我発の否定と破壊」に反転すれば、日本の治安も危ういという状況認識の基、「自我」の発生要因を辿っていくことになりました。

No.1:人類の本性は共同性では、
自我は三千年前の真猿の時代に、共認機能と同時に獲得された機能。
しかし、人類にいたっては、その500万年の歴史上99%以上は、共認機能に全面収束することにより、徹底的に自我を抑制・封印してきたということで、その本性は集団における「共同性」にあるという重要な認識に至ります。

No.2:自我は複層社会の集団発では、
人類の「自我」の発生の時期とその要因を仮説として提起しました。

そこでは、人口増大説と生産様式の転換説に分け、採取生産から遊牧生産への転換が自我の発生の契機となった可能性が高いこと。
遊牧という生産形態の特殊性に加え、地球規模での乾燥化による相対意識が集団自我を発現させたこと、つまり、人類の自我の発生は集団発であったのでは?
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No.3:縄張り意識の上昇と集団自我による略奪闘争では、
No.2での仮説を検証してみました。

遊牧とは、
1.自分達のことを見守ってくれている特別な守護神がいる【守護神信仰】
2.同族集団が複層集団化されたことで各集団で独自の共認形成が行われるようになり、集団を共認統合できなくなる【拠点集団と複数の遠征集団という構造】
3.拠点集団と遠征集団の共認内容・評価の差異が明確→不満・不平など評価不全上昇【相対意識上昇=集団自我の卵が生まれる】
4.母系制から父系制へと転換【女の存在不安と蓄財意識→縄張意識上昇】

新たな認識として、集団自我が他部族の殺戮=略奪闘争へと進展したのは守護神信仰という「自集団の正当化観念」があったから、ということ。
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No.4:国家私権の時代(明治~1970年)とは何か?企業私権の時代(1970~1995年)とは何か?  では、
集団自我が現代に至ってどうなったか?を押えていきました。そこでの新たな認識として、「国家私権」と「企業私権」。

「国家私権」とは、市場社会において、国力=経済力という国家間の相対意識△の状況で、富国強兵の名の元に、国家、企業から庶民まで「私権獲得の主体」として、縄張り闘争へと収束⇒統合される意識状況

「企業私権」とは、1970年貧困の消滅により国家の相対意識が衰弱、それに換わって、モノが売れず一段と企業競争が激化して企業間の「相対意識」が上昇し、豊かさ追求の名の元に、企業や庶民が市場での私権追求へ一斉に向かった意識状況
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No.5:企業私権の衰弱(1995年)と家族私権の時代(1995~2003年or2008年)では、
企業私権の衰弱と家族私権(意識)の台頭を押えました。

90年バブル崩壊や97年山一證券の倒産などで、大企業ならば安心という意識も薄れ、企業間の相対意識(競争意識)が低下。加えて、派遣社員やフリーターが増加などによる企業に対する依存意識の低下から、企業私権が衰弱。

98年頃「格差社会」に代表されるように、家庭間の相対意識が高まり、家族が私権追求に向うようになった。これが、「家族私権」。お受験ブームや教育パパ現象に象徴されるように、“横並び”意識故にその勢いは感じられない。
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No.6:家族私権の衰弱と、その後?では、
タイトルの通り、家族私権の衰弱から現在までを押えました。
家族私権という意識も、「もったいない」に象徴されるように「必要か否か?」を問う意識と、昨年の経済危機によりあえなく衰弱。家庭という存在自体がもはや無意味化している。

勢いという意味では、勝ち組と言われたトヨタやホリエモンや、小泉-自民党や検察・マスコミといった特権階級だけでなく、下の方でもモンスターペアレンツやネット右翼などいわゆる「偽ニッチの住人」が台頭。この勢力の「自我意識」→暴走が、経済破局→治安維持に向けた危険勢力。その構造:絶滅種構造から、放っておいても衰退していくが、間近に迫った危機に対しては厄介。

No.7:充足発の可能性探索へ、私権追求に代わる次の集団の目標を探るでは、

「個人自我・私権」に対して、“否定発”では彼らの術中にハマルだけ。共認収束・充足基調の大潮流にのって、実現思考で「充足発」の可能性を探索→提示していく必要がある。

人類史のほとんどが、個人の自我・私権意識は集団の共認により封鎖されてきた。改めて、シリーズNo.1で提起された「人類の本性は共同性にある」が可能性。つまり、共認収束・充足基調を体現する集団(の再生)が可能性
となる。

生産集団=企業の可能性の「社会貢献(みんなのため)」、「自給自足」、「子育て」の可能性事例紹介。

と7回(プロローグを入れると8回)に亙って『経済破局間近!・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?』という問題を扱ってきました。

開かれた可能性は、生産集団=企業、それも共認収束・充足基調を体現する企業の再生ということになります。
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■みんなの役に立つことを目標とする企業の再生へ
その前に、家庭ブログとしては、「なんで家庭という集団の再生ではダメなのか?」が当然の疑問として登場するでしょう。中間でそこを押えておきます。

《前略》
いまや国家は、鳩山の「友愛」や「環境」、オバマの「核廃絶」など、みんなの役に立つ大義名分でないと世界に受け入れられない段階にきている。
日本では、すでに企業の過半が、利益追求を半ば以上放棄する中から、直感的に「周りの役にたつ」方向へと頭を切り替えている。
そして、自己中アメリカは世界中から嫌われ出しており、トヨタなどの自己中企業もそう成りつつある。
このように国家も企業も、みんなの役に立つことを目標にしないと成り立たなくなっている。
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では、最後の集団=家族はどうだろうか?「周りを充足させる」ために「自分たちは結婚します」というような理屈はとうてい成り立たない。つまり、一対婚家族では周りの充足という目的など成立しようがない。これは、もはや現在の一対婚家族は変革不能であり、抜本的に新たな婚姻制度に変えるしかないことを示している。おそらく、現在の家庭には共認収束の可能性がないことを、若者も薄々わかっているから結婚しない男女が増える一方なのだろう。

ところが、婚姻制度は社会の最基底部にあるので変革には長い時間を要する問題である。打つ手はないのか?

なんでや劇場レポート(3) 私権追求に代わる集団の目標は周りの充足、そして男女の共認の輪が認識収束の母胎

というように、みんな課題に向えない現代の家庭には可能性が見当たりません。しかし、男女関係は社会の再基底部にあるので、第一課題として考えておかなければならない。それに関して前回のなんでや劇場では、さらに重要な認識が提示されています。

そこで、もう一つの概念「女原理の充足基調」の潮流を基盤に据えて考えてみたらどうか?
少なくとも、その潮流が来るべき新たな婚姻制度の土台になることだけは間違いないと考えられる。
では、女原理の充足基調と男原理の闘争基調はどう結びつくのか?(この結びつき方が来るべき婚姻制度の土台となる)《中略》

婚姻制度が社会の最基底部にあるのは、哺乳類では雌雄の引力が最大の引力(活力)であるからだが、全文明史を覆すほどの今回の社会の大転換も、男女の引力を基盤にした社会変革というスタイルになるのではなかろうか。言い換えると、男女の問題を捨象している政権交代や社会派とは無関係な、偽ニッチを吹き飛ばすような、もっと根底的な変革になるということだろう。

今回の変革の土台となるのは男女共認である。そして、男女共認の核となるのは、充足存在という女規範、闘争存在という男規範である。この男女規範を認め合うことが男女共認の原点(卵)である。∵女(男)だけが充足存在(闘争存在)と思っていても無意味。
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そして職場において男女共認の輪を広げていくこと。これが主軸。副軸となるのが感トレをはじめとする女共認の場(男共認の場)。これが最初の共認形成⇒認識収束の形である。

なんでや劇場レポート(3) 私権追求に代わる集団の目標は周りの充足、そして男女の共認の輪が認識収束の母胎より

■男女の引力を基盤にした社会変革というスタイルの実現に向けて
「男女の引力を基盤にした社会変革というスタイル」ということが提起されました。それを実現していくにはどうしたらよいのでしょうか?
この課題は人類史500万年で過去一度も実現したことのないまさしく未明中の未明課題です。

しかし、その実現基盤は既に整っているのです。しかも、男女共認の輪を広げていく、そして共認原理に導かれた共認社会実現の方向性も実はあるのです。

経済破局下においては、何よりも『食料の確保』『仕事の確保』etc実現能力が問われる。しかし、盲滅法に動くのは危険である。そこで、行動を導く道標が必要になる。
その時、初めて「どうする?」という根源的な当事者意識が生起し、みんなの期待に応えて、その答えを求める潮流=認識収束の潮流が生み出される。(新たな認識収束の潮流は、すでに若者の先端層に顕在化してきた。)
そこで求められるのは、経済危機を突き抜けてゆく確かな見通し=この危機を導き出した近代市場と近代思想を根底から突き抜け、乗り越えてゆく新理論である。
ここにおいて、’70年、生存圧力の弛緩によって生起した40年に及ぶ充足・安定志向(女原理)は、目前の危機を突破する新理論の実現期待を男原理に委ねることになる。

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かくして、男女を包摂した実現期待⇒認識収束の潮流は、当然、充足発の実現方針(⇒答えを出せる新理論)へと収束してゆく。そして、実現方針への収束が進むにつれて、’95年以来の危機発の秩序収束も、実現方針に基づく充足発の新秩序の中に完全に吸収されてゆく。
しかし、暴走を制止し、共認原理に基づく新秩序が確立されるには、少なくとも10年は要するだろう。その間、残存する私権派(とりわけ第一権力たるマスコミ)との闘いは続く。おそらく、マスコミの解体=マスコミに代わるネット上の統合サイトの実現をもって、この闘いは終るだろう。その時、はじめて、共認原理に導かれた共認社会が実現する。

潮流9:経済破局を突き抜けてゆく充足・安定・保守の潮流より

図解でまとめると
○『食料の確保』や『仕事の確保』はまさしく集団課題。
      ↓↓
○見通し(新理論)の提起とその期待
      ↓↓
○女の安定期待⇒男の闘争共認  →※この共認が個人の自我を抑止⇒充足可能性から答えに収束
      ↓↓
○集団課題⇒社会課題へ(「みんなのため」)
      ↓↓
○社会へ広げるには⇒ネット:るいネット
      ↓↓
○共認社会の実現へ

最後まで読んでくださりありがとうございました。
次回のシリーズ投稿も楽しみにしておいてください

投稿者 sashow : 2009年11月27日 List   

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コメント

>「なんで家庭という集団の再生ではダメなのか?」

>「周りを充足させる」ために「自分たちは結婚します」というような理屈はとうてい成り立たない。つまり、一対婚家族では周りの充足という目的など成立しようがない。これは、もはや現在の一対婚家族は変革不能であり、抜本的に新たな婚姻制度に変えるしかないことを示している。おそらく、現在の家庭には共認収束の可能性がないことを、若者も薄々わかっているから結婚しない男女が増える一方なのだろう。<

これ、かなりなるほどでした☆
家庭は、まっとうな集団とは到底いえないんですね><

投稿者 チロル : 2009年12月2日 16:27

これまでのシリーズをまとめてくださってありがとうございます(*^^*)

こうやって改めて振り返ってみて、シリーズ2の何故、自我が発生したのかといったあたりの構造なんかは、現代にもあてはめて使えそうと思いました。

>人類の「自我」の発生の時期とその要因を仮説として提起しました。

そこでは、人口増大説と生産様式の転換説に分け、採取生産から遊牧生産への転換が自我の発生の契機となった可能性が高いこと。
遊牧という生産形態の特殊性に加え、地球規模での乾燥化による相対意識が集団自我を発現させたこと、つまり、人類の自我の発生は集団発であったのでは?<

生産様式の転換と合わせて、自然外圧の変化による、相対意識の△。
戦後の生産様式の変化と、私権意識の上昇の関係と似てくるのかもって思いました。

次のシリーズに向けて、もう少し構造的に押させておきたいと思いました☆

投稿者 たてこ : 2009年12月2日 16:39

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