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2009年11月12日
子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題
最近、外で友達同士で集まっても携帯ゲーム機を手にしゃがみこんでいたり、習い事に通うのに忙しそうにしている子供達が目に付きます。自分が子供の頃と比べても、放課後に色んな世代の子供達が群れて遊びまわっているのを余り見かけなくなりました。そうした最近の子供達の様子は何となく気に掛かります。それは、沢山の友達と遊びまわる中で得られるものは、長じてからの現実場面にも通じるという感覚があるからです。
子供達にとって、「遊び」とはどのような役割を果たしているのでしょうか?
以下、「共認の輪 るいNETWORK 『子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題』」からの引用です。
子どもたちの「遊び」は、本能に根ざしたものであり、同時に集団で生きる術を学ぶものではないかと思う。
動物にとっても人類にとっても、遊びは子どもたちの最大の学習課題なのではないか。
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引き続き、「共認の輪 るいNETWORK 『子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題』」からの引用です。
■日本子ども学会「世界中の子供が鬼ごっこをするのはなぜか」より転載。
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鬼ごっこは世界中の子供たちが好んでする遊びである。もっとも単純なものであっても鬼ごっこには規則がある。しかし鬼ごっこが世界的に広まっている現状を説明するには「ヒトはもともと子供の時には鬼ごっこをする動物である」という仮説の方がそれが一つの地域から伝播したと考えるより合理的だ。餌付けされたニホンザルのコドモたちは一つの物を持ち手を交代しながら遊ぶ「枝引きずり遊び」をする。この遊びには「物の持ち手は逃げ、その他の持たない方は追いかける。物を奪ったら逃げ手になる」という規則があると考えられた。こうした規則とそれによって生じる構造上の類似性などから、枝引きずり遊びは鬼ごっこの原形の起源であると考えられるのである。規則のある遊びはサルでもヒトでも生得的にできるわけではないが、「ゆとり」がある集団では自然に生じると考えられた。枝引きずり遊びのような遊びが、ヒトという種が起源してからは様々なヴァリエーションを生じ、鬼ごっことして現在の世界的分布を保っていると考えられる。
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(引用以上)写真:スパイシ~・ホットコーラさんより引用
●「古今東西、子どもたちはみんな鬼ごっこをする」。この事実は大きいと思う。そこには必然性があるのだろう。136196 アメリカでは「鬼ごっこ」までが禁止され始めている…という話があるようだが、大人の勝手な都合は、子どもたちの本能に根ざした摂理を歪める可能性が高い。
●上記論文によれば、ルール化された(様式化された)遊びは餌付けされたサル集団でしか見つかっていないようだが、野生でも多くの霊長類の子どもは、「追いかけっこ」と「取っ組み合い」を繰り返す遊びを頻繁に行うことが知られている。
■NHK教育 地球ドラマチック「よく遊び よく学べ!~動物たちはこう育つ~」より転載。
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野生で生きる動物たちが最初に学ぶのは、「生き残る」コツ。
インパラ(野生の鹿の一種)がぴょんぴょんと横とびをして遊ぶのも、野生のヤギが山の急斜面を駆け上がって遊ぶのも、自分たちをねらう肉食動物から逃げる方法を自然と学ぶためなのです。人間の子どもたちが遊ぶとき、女の子はお人形さん遊びが好きだったり、男の子はプロレスごっこが好きだったりと、性別によって遊びの好みが違っていることがあります。
野生の動物たちも同じで、例えばチンパンジーのメスは、子ザルを抱っこして子育て遊びをしますし、オスはオス同士でレスリングをして力を競い、大暴れして遊びます。それぞれの群れでの役割を、遊びながら学んでいるのです。
写真:みはら保育園のブログより引用 写真:井上氏のギャラリー・「父のアルバム」より引用ある動物園に、人間によって育てられたシロクマがいます。この若いメス、ティグワークはほかのクマを全く知りません。
ある日、オスのシロクマ、エディと対面することになりました。ティグワークは警戒し、なかなか友だちになろうとはしません。
しかし、母グマに育てられてクマ同士のコミュニケーション方法を知っているエディは、仲良くなるコツを身につけていました。おもちゃを持ってきたり、水に飛び込んで追いかけっこしようと誘ったりしたのです。そのうちティグワークはエディと一緒に遊ぶことがとっても楽しいと気づき、2頭は友だちになっていくのです。
写真:フォト蔵さんより引用生きていくための知恵を、遊びならが身につけていく野生の動物たち。それはもちろん、人間の私たちにも言えることなのです。
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(引用以上)
●チンパンジーの例にもあるが、知能が高いといわれる動物ほど、同性同士で遊ぶor遊びも性分化する傾向が高いそうだ。これは大人になったとき、集団の中で果たす役割と連動している。子ども時代に遊ばなかった動物は、集団のルールが分からず、暴力的になったりして、群れから外されることもある。
●動物園のシロクマの例は、動物は集団の中で(遊びなどを通して)育たなければ、生来の機能をまともに発揮できないことを示していると思われる。
現代では「遊び」はともすれば、与えられた枠組の中で矮小化された「(試験)勉強」の息抜きや阻害要因のようにさえ捉えられ兼ねませんが、上記引用からは、動物を貫いて本能機能を発揮する為の重要な学習過程である事が良く分かります。
また、学習課題という視点に立つと、昔ながらの主体的な遊びには、充足課題を創り出し実現する創意工夫、その過程での課題や役割分担の共認形成、本源的な性的役割の認識など、その後の現実社会で担う生産課題で求められる能力にに直結する学習課題が含まれている事に気づかされます。
近代以降の観念や教育が行き詰まりを露呈している現在、教育を見直していく上では、近代の価値観を突き抜けた認識で、子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題と捉えなおす必要があります。
投稿者 willow : 2009年11月12日 TweetList
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コメント
投稿者 黄色のタイは期待の証
遊びと勉強は別物だと思っていましたが、「遊び」が最大の学習課題という視点は新しいです。
逆に、遊びと勉強を切り離した教育というのは子供のためにならないということになります。学校の勉強がつまらないのはここら辺に原因があるのかもしれないですね。
投稿者 スズムシ
>人間の子どもたちが遊ぶとき、女の子はお人形さん遊びが好きだったり、男の子はプロレスごっこが好きだったりと、性別によって遊びの好みが違っていることがあります。
生まれた時から、男は男、女は女。
男として、女として、みんなの役に立つこと。
それが可能となる“男女役割規範”の再生、そして“本源集団”を作っていくことこそ、本当にみんなが充足できる社会の実現に他ならないですねっ☆
投稿者 ☆tink☆
子供は生まれてからすぐ、それぞれ(男・女)の役割を学ぶのですね!!
(確かに私も、おままごと・お人形の着せ替えごっこが大好きでした☆)
それが、現代人はそれぞれの役割を発揮する場(例えば、職場・家庭)に出るまでの時間が長くなり(大学進学率の上昇)、しかも、その間に“男女平等”を教育されて、それぞれが役割を果たすことが出来なくなっているのでしょうね、、(;_;)
“「遊び」は最大の学習課題”の意味がよくわかりました!!
投稿者 mame
>また、学習課題という視点に立つと、昔ながらの主体的な遊びには、充足課題を創り出し実現する創意工夫、その過程での課題や役割分担の共認形成、本源的な性的役割の認識など、その後の現実社会で担う生産課題で求められる能力にに直結する学習課題が含まれている事に気づかされます。
確かに!
「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と言われてきた子供は多いだろうけれど、昔ながらの遊びはそれ自体が社会への勉強、学習課題だったわけですね。
昔ながらの自然発生的な遊びにはこんなにも深い意味があったことが大きな気付きですね!