経済破局間近…家庭という枠を超えた問題をどうする!?-6~家族私権の衰弱と、その後? |
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2009年11月12日
どうする?!家庭と未来 ~万人が半専任(副業)として参画する
大変ご好評をいただいております『どうする?!家庭と未来』(実現論の紹介)シリーズもいよいよ最終回です。
過去のシリーズはコチラ↓
どうする?!家庭と未来 ~集団を超えた社会をどう統合し直すか?l
前回、集団を超えた社会を統合するためにはどうする?という未明課題に対して、統合階級はまったく答えを出せていないということを見ていきました。
今回はいよいよこの社会をいかにして統合すべきかというその答えに肉薄していきたいと思います!
それでは早速・・・とその前に応援クリックよろしく!
ト.万人が半専任(副業)として参画する
彼らに代わって、万人が参画して、社会を統合するための新しい組織が必要である。今や誰もが、行き詰まったこの社会を変える必要を、感じている。しかし社会の統合と改革という仕事は、それでメシを食っている政治家や官僚や学者やマスコミ等、統合階級の手に握られており、人々には社会を変革し、統合するという役割を担う場が与えられていない。従って、人々は殆ど行動できず、動けたのは、ごく一部の何やら難しそうな思想・信念に固まった政治集団(革命集団・市民集団)や宗教集団の人たちだけであった。
だが、宗教集団や政治集団はもちろん、マスコミも学会も国家(行政組織)も、夫々は単一の集団でしかない。ところが、集団というものは自己収束(もっと言えば自己閉鎖)性が強い。従って当然、彼ら官僚や学者やマスコミや政治家たちの、自集団の利益が第一になってしまう。そもそも、各集団を超えた次元にある社会を統合する組織が、実は単一の集団でしかないというのでは、社会を統合する資格などない。
ここでも示されているように、そもそも集団を超えた社会をある単一集団が統合するということ自体がおかしいということですね!
だからこそ自集団第一になってしまう。では一体どうすればいいのでしょうか?
万人が属している社会を統合する仕事は、万人によって担われなければならない。それに本来、社会を変革し、統合してゆく仕事ほど、面白い、充実できる仕事は他にない。その大切な社会統合の仕事を、国民に選ばれた訳でもないのに、官僚や学者やマスコミが独占し、自集団の利益を第一にして甘い汁を吸っているという仕組みが、根本的におかしいのだ。そうである以上、当然彼ら夫々の集団の利益第一となる方向に、社会は歪められてゆく。その結果が、どう仕様もないところまで行き詰まった(そして大破局が迫っているにも拘わらず、誰一人解決策を提示できない)この末期状態だったのである。
これは大きな気付きです!つまり万人が属している社会の統合は、万人によって担われなければならないのです!
ではその万人参加型の社会統合組織とはどのようなものである必要があるのでしょうか?
集団を超えた次元に存在する社会を統合(もちろん変革も)する為には、単独の集団原理とは全く異なる原理の統合組織が必要なんだという事に、未だ誰も気付いていない。しかし、万人が参画できる、社会統合組織の条件は簡単で、二つだけである。社会統合は、全員が担うべき当然の役割=仕事だとすれば、その仕事に対してそれなりの収入が保障されなければならない。しかも誰もが何らかの専業に就いているとしたら、この組織は誰もが副業として担うことができる半事業組織でなければならない。例えば、社会を統合する上で重要なのは、人々に参加を呼びかけ内容を説得して共認の輪を広げてゆく仕事であるが、この様な仕事に対して収入が保障されるシステムさえ作れば、誰でも副業として社会統合に参画できる様になる。収入保障は万人が社会統合に参画する為の不可欠の条件であって、私益追求の為の仕事は収入になるが社会統合の為の仕事は収入にならないというのでは、特殊な思想・信念に固まった人しか動かないのも当然である。
それに、全員の社会を、特定の思想に固まった集団が動かすというのは、大きな間違いである。万人の属する社会を導くことができるのは、万人が認める事のできる事実に基づく理論体系(=科学)だけであって、特定の思想などに社会を統合する資格はない。これが社会統合組織の、もう一つの条件である。即ち、金儲け主義者であれ、共産主義者であれ、あるいは全くのミーハーであれ、いかなる思想の持主であっても、そんな事は全く自由であること。また、企業であれ、市民集団であれ、宗教集団であれ、他のいかなる集団に属していようが全く自由であること。これらの条件を充たす、集団原理を超えた社会統合システムの原型となるのが、半専任(副業)の人々で組織されたネットワーク集合である。共認の輪を広げてゆく仕事の成果に応じて収入を保障するシステムによって組織されたネットワークの下では、各人の思想や集団の違いなど、どうでも良くなる。また、このネットワーク集合なら、皆等しく半専任なので官僚化(=専任特権化)の危険を完全に無くすことができるし、常に強い成果圧力が働いているので、公務員に見られる様な「親方日の丸」に陥る危険も完全に払拭できる。
なるほど社会統合組織とは半専任(副業)の人々で組織されたネットワーク集合なのですね!
旧い社会統合組織は左側のようなイメージです。このような序列体制だと、官僚化が進みます。それに対して新たな社会統合組織は、右図のようなイメージです。
その条件はここでも示されているように大きくは以下の2つです。
1.社会統合は、全員が担うべき役割=仕事とすれば収入補償が必要
2.万人が認めることのできる事実に基づく理論体系によって統合されるべきである
1は確かにという感じ。
2に関しても、事実に基づくというのはなるほどですね!
社会統合理論もこのように事実に立脚しないと、特定の組織や思想の影響を受けてしまうのです。
ではこの2の社会統合組織を導く事実に基づく理論体系はどのようにして構築していくのでしょうか?科学のように実験と弁証を繰り返すわけにもいきません。
この全く新しい万人参加の社会統合組織を導き、新時代を拓くみんなの統合理論は、それ自体が(これまでの様に一人の天才によってではなく)大衆の叡智を結集して構築される必要がある。それを可能にしたのがインターネットである。例えばLinuxは、OS=基本ソフトの中身をネット上に公開した事によって、それを使った様々な追加や改良が可能になり、研究者から学生までが幅広く参加して今やWindowsを凌ぐまでに進化してきた。同じ様に万人を導く統合理論も、志ある人々の協働によって、進化しつづけてゆくべきものであり、その為にはこの統合理論はあらゆるイデオロギーから脱却し、確かな事実だけに立脚した科学的な理論体系でなければならない。
個々の即自的な価値観念(頭の中に内在する本源価値を言葉化しただけの、古代宗教や近代思想)では、相互対立を孕んで統合できないことは明らかであり、諸々の思想=即自観念を超えた事実の体系こそが、万象を照らす鑑となり、社会統合の要ともなる。(注:現在、社会科学と称されているモノは、究極の所、ドグマを固める為のニセ科学に過ぎない。自由、個人、権利、市場原理等、学者やマスコミが拠って立つ根本の概念は、どれを取っても、それが生物史上あるいは人類史上の基底事実であると言える様な根拠が全くない、単に「そう思っていたほうが、都合が良い」というだけの欺瞞観念であり、とうてい科学と呼べるような代物ではない。)
事実の体系だけが、万人による『みんなの統合理論』の構築を可能にする。我々が30年を費やして体系化した事実の史観『実現論』を、その最初の結晶核(OSに相当するもの)として、ここに提示したい。もともと実現論は、共同体・類の仲間が会議を重ねて、みんなで作ってきたものである。それを延長して今回、実現論はサイト上でも公開され、各時代毎・テーマ毎の投稿板が用意された。多くの人々の手で実現論が改良され、成長して『みんなの統合理論』へと進化してゆくことができれば、これに過ぎる喜びはない。
ここでいわれているようにその統合理論は、みんなで事実を追求し、紡いでいき、体系化していくしかないのです。
そしてその実現基盤はインターネットにあります。インターネットはどこからでも双方向に繋がることのできるので、そこでみんなで追求を塗り重ねていくことができます。
そうやって既に追求を始めているサイトが「るいネット」なのです!
そしてるいネットには事実に基づく統合理論である実現論を全文公開して、さらに事実を塗り重ねて進化させようと多くの人が日々追求しています。(週間アクセス数は100万件を超えています!)
この閉塞状況の家庭やひいて社会をどうするのか?その答えを出すためには、より多くの人が、自ら考え事実を発信し追及するということが求められています。
このシリーズで可能性を感じた人は、ぜひ「るいネット」をご覧ください。そして一緒に事実を追求し、みんなで統合理論をより進化させていきましょう!
投稿者 daichi : 2009年11月12日 TweetList
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コメント
投稿者 ( ̄▽+ ̄)
単一集団⇒自己収束→自集団の利益第一→社会統合を任せると社会が歪められる
“単一集団”には社会を統合する資格などないという構造事実から、新たな社会統合の仕組みの考案と実験が始まるんですね!