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2009年08月17日

働くことって何?

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画像はこちらからお借りしました。

最近の日本、ほんとうにヤバイなと感じます。

経済状況とか、子どもの問題とか、いろいろヤバイことがありますが、今日は「労働」の問題について考えてみたいと思います。
というのも、コイズミ政権以降、特に酷くなったアメリカ追従の結果、日本社会の根本部分が破壊されようとしていると思うからです。

集団性とか勤勉性とか、かつて日本社会の特徴・強みとして言われていたことがなし崩し的に破壊されようとしています。それも、法律・制度というかたちで強制的・拙速にすすめられています。

そこで、働くことについて本来どうあるべきなのか、といったあたりを改めて考えてみました。

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とても参考になる投稿がありましたので、まずそれらを紹介します。
(引用文中の文字の着色は私がおこないました。ご了承下さい。)

時代遅れな労働法を断罪し、働く意味を考え直す時代 より引用

日本企業は、高度成長期に大量生産体制を実現し、80年代頃、質の実現とあいまって貿易摩擦を起こすほどになった。その結果、欧米の脅威となった。このころ、日本企業の強さの秘密が賞賛され調査された。その中心は、勤勉性に代表される労働者の質の高さ、集団帰属性の強さだ。
これ以降、さまざまな日本企業弱体化政策が引かれる。その一つが労働関係法の改悪だ。週休二日制、労働時間の短縮、非正規社員雇用の規制緩和などが代表的な政策だ。その結果、日本企業の勤勉性や集団帰属性は解体され、彼らの思惑通り弱体化した。

その中でも、権利を主張することを是とする、労働関連法を貫く価値観は最悪だ。これに収束してしまうと、会社のことなどどうでもよく、自分の金だけが目的で、そのためならありとあらゆる権利を主張するという人間が増える。そして、経営者も雇用者も仕事をすることでの充足から遠ざかっていく。

「労働の解放」を目指す労働者の最大の敵が労働基準法 より引用

>人生の過半を費やす生産活動やその場(企業)を、働く人々が充足できる様式や場に作りかえていくことが求められているということです。この労働=生産活動を時代の状況に合せて自在に作り上げていく「自由」を働く人々に対して開放することこそ、「労働の解放」です。(リンク

>つまり、自ら経営に参画しその生産体を動かす機会をあたえることが、本来の労働解放にほかならない。「経営に参画することが本来の労働の解放」(リンク)

働く僕らが求めているもの、それは上記の「労働の解放」に他ならないと感じる。
そもそも労働基準法の理念は「不当な抑圧からの解放」である。しかし、現在の労働基準法が、それを遵守させたい労基署が働く僕らに「強制」してくるのは、「あなたは労働者です。時間外賃金がもらえます」である。「労働の解放」ではなく、むりやり「かわいそうな労働者である」と決め付けてくる。言い換えれば「時間外をもらっている労働者である以上、経営には参画できないよ」ということと同義である。「労働の解放」を目指す働くものたち(労働者)の最大の敵は労働基準法および労働基準監督署なのだ。

(最近は税務調査が入ってあげられたり、ヤミ専従があげられる労働組合が増えている。実際、この法律に守られた労働組合に参加したいという成員が急激に減り、衰退の一途をたどっている。それはこの道が、けして「労働の解放」にはならないとみなが気付いたからだ。)

ある会社の日常会話(労働時間について) より引用

 私の派遣されている職場では、今月から残業時間が45時間を越えた場合は人事に「残業理由書(いわゆる始末書)」を提出することが決まりました。これが残業時間を減らし、社員に活力が出るようになるのかというと全く逆で、正社員の方々には全くの不評です。

「理由って言ったって、きっちり仕事を回そうとしたらこうなるよな。」
「始末書を書くのにまた時間かかるよ。一言ってわけにもいかないし。」
「みんなの理由書をチェックして報告に行かないといけなくなった。(課長)」

 協力会社もこのところ労働基準監督署の監督指導が厳しいらしく「今までのような迅速な対応(深夜までの残業)はやりにくくなった。ご配慮をお願いしたい。」と言ってきています。 

<中略>

>来年4月に労働基準法が改正されるようです。(リンク)、(リンク
 時間外労働の割増率が25%から50%に(月60時間以上)。
中小企業に対する猶予期間はありますが、いずれ全企業に適用され、締め付けはますます厳しくなるでしょう。
 労働者保護と言いながら、日本の企業は衰退していくばかり。そして社員の活力が上がるわけでもない。(リンク

>何かおかしい!現代は共認充足を皆が求めている時代。だから、仕事にやりがい(役割充足)をもとめている。しかし、この旧い法に従うと、ますますやりがいから遠ざかる。そして、その中核である権利主張をますます強化する法改正になっている。 これは全く時代に逆行している。本当の充足は、主張ではなく共認からしかえられないという視点で、働く意味を考え直す時代に入ったのだ。(リンク

 働く人の活力に全くつながらないどころか、かえって疲弊させている法律ってやっぱりおかしい。

いかがですか。今回紹介した投稿のように、庶民の実感からすると最近の国の進める法・制度の改正は違和感だらけですよね。

しかしマスコミは、国が進める労働法関連の制度改正については諸手を上げて賛成している感があります。「労働者の権利を守る」といった全く古い観念に基づいて、「国民のためにもっと進めるべきだ…」といった論調です。
わたしたち日本人は疑うことが苦手ですから、国やマスコミがこぞって流す論調につい流されてしまいがちです。しかし、それではマズイということですよね。

働く場がどういう場であるべきなのか、それを実現するにはどうしたらよいのか、といったことについて、私たち自身で、みんなで、考えていかなければまっとうな答えには行き着かないとつくづく思います。

byわっと

投稿者 wyama : 2009年08月17日 List   

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コメント

国家もマスコミも、せっせと日本の労働力の弱体化に励んでいるようですが、一方で若者の間ではプラスの潮流もあるようです。

例えば、モノや娯楽は衰退しつつあるが、「社会貢献」に関連する消費・・・「ソーシャル消費」は伸び、個人の欲望よりも他者の幸福のために消費する人が増えてきたり、若者の「起業」においても、儲けではなく世の中の求める仕事に向かいはじめたり・・・。

これは、共認原理の再生や、本来の仕事・・・社会やみんなの役に立つこと・・・の再生を意味しているようで、可能性を感じています。

投稿者 kota : 2009年8月26日 23:56

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