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2009年08月05日

【子ども危機】3少子化は必然?

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江東園HPより

前々回から始まった、週刊ダイヤモンド(2009/07/25)の特集『子ども危機』を題材にします。
特集の第3弾【危機3】では、『少子化は必然 貧弱な子育て環境』が取り上げられています。

冒頭にある、 「保育園不足に共働き夫婦の悲鳴」 では、政府の少子化対策が育児休業や健康保険・社会保険の免除等に向かったものの、共稼ぎ夫婦の求める保育園の増設へ向かわなかったため、待機児童が2万人にも及んでいると書かれています。

確かに、共働き世帯は ’80年に614万世帯→’07年に1013万世帯に増えている事からすると、保育園にあずけたい家族が増えているのはうなずけます。しかし、保育園自体の数がそのニーズに追いついていないため、恒常的に待機児童がいる状態のようです。

それは、保育料が1、7万/月の認保育園(国から補助金が出ている)でも、保育料が7万/月(年収450万の人の場合)の認保育園(国から補助金が出ていない)でも、なかなか入れない状況で、常に売り手市場なため、サービスが落ちる可能性があると挙げられています。

なら、保育園を増やしたらいいと単純に思うのですが、それも、なかなか難しいようです。その理由としては、
・既存の保育園の運営主体=社会福祉団体が株式会社の参入を猛反対に合って実現が難しい。(社会福祉法人が一族系のため、新規参入に否定的)

・’04年に公立保育園の補助金が一般財源化され、国の予算としては大幅に減額された。

・日本の就学前の子供にかける国費の割合は先進国24ヶ国で最低レベル。

そのような状況から、日本では少子化対策されているとはいえず、多くの親が、子供の教育を軽視している国ととらえるだろう。とまとめています。

しかし、少子化なのは事実として、国費財源や、子供を預けられる収入が潤沢にあったからといって保育園の問題が解決するように思えません。解決するには何が必要なのでしょうか

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ずばりそれは、人間関係を作ればいいんじゃないかな?!って思います。

市場社会だから、 「何をするにもお金がかかる」のであって、市場社会を前提に考えなければ、お金をかけなくても、子供を預かりあったり、遊びに連れて行ったりができる人間関係を作ればいいんじゃないかな?!って思います。

むしろ、核家族では自分の代わりにやってもらわなければならないときにお金で解決するしかないことが問題のように感じます。人間関係の構築が根本解決につながるのでないでしょうか!

逆に、そんな、人間関係をどう作ったらいいの?という不全をみんなが抱えているのかも知れません。家族以外で、お互いに協力しあえるのに課題が必要なのか?システムが必要なのか?施設が必要なのか?全部なのか?
取り組みの例として

『老人ホームと保育園が同居する施設 (『江東園』)①』


>共働きの家庭が増え、子供の世話をどうしようかと悩む人びと。
その一方で、生きがいを失いつつある高齢者。
この両者をくっつければ、お互いが支え合う活力ある地域社会が形成できるのではないでしょうか。  

ネットで見つけた社会福祉法人『江東園』のお年寄り達は、そういった役割を担い凄く活力を持っているみたいです。

江東園は、東京江戸川区のある社会福祉法人。
特別養護老人ホーム(定員五十人)、養護老人ホーム(定員五十人)、保育園(一才~五才、定員八十人) が同じ屋根の下に同居する複合施設<

(中略)
>ここ江東園では、毎朝の体操から始まり、子どもたちがお年寄りの部屋に遊びにいったり、施設のあちこちで、お年寄りにだっこしてもらう子の姿や、絵本を広げている姿を目にします。子どもたちの行動範囲は全館といいますから、まさに「一緒に暮らしている」といえます。<

老人ホームと保育園が同居する施設にすることで、お年寄りには役割を、子供には安心感をおじいちゃんおばあちゃんから与えてもらえる。『江東園』がお年寄りと子供たち(共働き夫婦)の間を繋ぐ仕組みとなっているのが すごくいいな☆て感じました。この施設自体はとても立派なところで、それとあわせてのものなのだけど、お金がなくても、こうした関係は、実現できるんじゃないかな!!って思います。

お金がないから、国が悪いから…「少子化は必然貧弱な子育て環境」になるのではなくって、こうした、子育てどうする?ってみんなで考えて人間関係作ってこなかった ことが原因だと感じました。

気づいたら作ればいい☆ってことですね~☆意識さえ変えられれば、誰でもできるんでしょうね。

投稿者 shijimi : 2009年08月05日 List   

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コメント

>同じ屋根の下に同居する複合施設

と言うのが、“ミソ”なんでしょうね。

かつての村落共同体であれば、地域で一体化していて、自然と世代を超えて交流があったのでしょうが、現在、人口の流動化による繋がりの希薄化や家(マンション)をはじめとして施設という物理的な分断化などあらゆる面で分断化が進んでいます。

世代を超えた“複合施設”は有りそうでなかなか無い施設。

“ソフト面”や“しかけ”が重要視された一昔前は、そうでもしないと人の繋がりが出来なかったのでしょう。潜在思念=意識は“人との繋がり”を求める方向に転換しています。

そういった意味からも“ハード面”での転換は必要不可欠=可能性なのかも知れません。

投稿者 にっしん : 2009年8月6日 11:58

にっしんさんコメントありがとうございます☆
>潜在思念=意識は“人との繋がり”を求める方向に転換しています。

そういった意味からも“ハード面”での転換は必要不可欠=可能性なのかも知れません。<

潜在思念で感じているつながりを形にする仕組みや課題が必要なんでしょうね☆それを可能性と捉えると、なんだか楽しそう♪って感じます。

投稿者 shijimi : 2009年8月8日 14:52

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