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2009年07月26日
日本語の魅力-1@日本語の成り立ち
最近『日本語』に対する関心が高まっているようです。
◆「「学力低下」は、単に試験の点数が取れないといったレベルの話しではなく、言語能力(日本語力)の低下を表している」(学校ってどうなってるの?69~「学力低下をどうする?!」第三弾!より)
◆「漢字の高い造語能力は日本語だったからこそ、高度な思考を母国語で出来るのも日本語だからこそ」
◆「国語はすべての知的活動の基礎である」(祖国とは国語より)
などなど、、、
そこで、『日本語の魅力』シリーズと題して計7回で、今、関心が高まっている『日本語』に迫まってみたいと思います。
「古今和歌集」仮名序(コチラから拝借しました)
漢字という表意文字と、ひらがな・カタカナという2種類の表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだそうです。それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力においても、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言われます。この日本語の特徴は、自然に生まれたものではなく、我々の祖先がさまざまな工夫を積み重ね生み出したものです。
では、シリーズ1回目では、そんな「日本語の成り立ち」に迫っています。
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■文字のなかった言語
そもそも日本人は長らく文字の無い生活をしていました。文字が無い代わりに、神話や物語・歌を言葉によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達していたようです。古事記として残されている神話は、古代日本人独自の思想と情操を豊かにとどめていますが、これも口承によって代々受け継がれていたのです。
そんな古代日本ですが、国家として国内を統合するために、文字が必要となります(その時期は定かではないですが漢字の輸入は5世紀から6世紀頃といわれます)。なにしろ文字がなければ、法も作れないし、記録も出来ないし、文書も交付することができません。
では、どうするか?
当時日本に入って来ていた文字「漢字」を使うのが一番てっとり早かったのですが、その漢字を中国語として使うのか?それをみんなが読めるのか?問題はそこにありました。
■万葉仮名の登場
古代日本人は安易に漢字を中国語としてまるごと受け入れることはしませんでした。なんとか日本語の言霊(言葉に宿ると信じられた霊的な力)を生かしたまま、漢字で書き表そうと苦闘を続けたのです。
そのための最初の工夫が、漢字を日本語読みにするとう大胆なもでした。【万葉仮名】の誕生です。
万葉仮名とは仮名(かな)の一種ですが、漢字の音や訓を使って表現するものです。「比登」であればヒトと読み、「波奈」ならばハナと読み、ミヤコならば「美夜古」と綴りました。(現代の「夜露死苦」(よろしく) もその流れの言葉?)
ただし、この万葉仮名でも、それまで文字に頼らず声や身振りや形や色で語り継いできた、古代日本人独自の思想と情操は表現しきれなかったようで、もっと良い日本語にするにはどうする?と工夫が重ねられます。
■日本文字「ひらがな」「カタカナ」の発明
当時、漢字を学習し、漢文を書けることは貴族や官僚や僧侶の重要な教養でした。そのためには漢文の読誦と書き取りは必須の作業でした。その内、漢字を書き写すときに、編やつくりの一部だけで本字を代用したり、略字にしたりすることが試されます。「村」を「寸」と略したり、「牟」を「ム」にするとか、その一部が自立して【片仮名(カタカナ)】を派生させます。
一方、万葉仮名で和歌や文章をしるすようになると、最初の内は楷書で綴られた文字がしだいに文字が行書化し、さらに曲線をともなって草書の部分がもっと柔らかくなっていくということがおこります。そして出来たのが【平仮名(ひらがな)】です。
松岡正剛著「日本という方法」より
■日本語の独自性と多様性
こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展しました。
それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えています。日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護られました。
第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」というような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」や「NGO」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導入され生かされました。
こうして、外国語をいくら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はなく、その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた文明を吸収できる言葉です。こうして、独自性と多様性を両立させる特性をもつ【日本語】が生まれました。
以下のサイト、書籍などを参考にさせていただきました。
・「漢字と格闘した古代日本人」
・「新☆日本語学」
・松岡正剛著「日本という方法」(NHKブックス)
どうでしたか?
日本語は、古代の人々がそれまで口承伝承で伝えてきた思いを「文字」として表すために、様々な工夫を重ねて生まれたものだったのです。
日本語は、一つの言葉を【漢字】【ひらがな】【カタカナ】という3つのフォント使って表現するようなものです。確かにこんな複雑な言葉は他にはない? でも、その複雑さゆえに多様な感情表現も可能になったのかも知れませんね。
では「口承伝承で伝えてきた思い」をどのように表現したのか?次回からは、日本語の独自性や多様性の具体例などから『日本語の魅力』をお伝えします。(さいこう)
投稿者 sachiare : 2009年07月26日 TweetList
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コメント
投稿者 匿名
日本語って、奥深いですね。
戦後すぐ、GHQから「教科書はローマ字にせよ」なんて指令が出ましたが、拒否できてほんと良かった。
大事に使って生きたいですね。
投稿者 hajime
コメントありがとうございます!
漢字をそのまま使うのではなく、その良さを取り入れながら次第に自分たちに合った言葉を作り出すところは、日本人ならでは。
日本語は複雑だと言われますが、それよりも「自在性」が高いといといった方が、日本語の本質を表しているように思います。
そんな自在性が高い言葉で考えることができる日本人だからこそ、「新概念をどんどん作れる」可能性が高い、のではないでしょうか。
投稿者 さいこう
>こうして、外国語をいくら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はなく、その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた文明を吸収できる言葉です。こうして、独自性と多様性を両立させる特性をもつ【日本語】が生まれました。
人間は言語によって思考し、言語によって創造し、言語によって共認形成を図る存在であることを考えると、共認社会に転換する今後、益々優れた言語を使う日本人に可能性がありそうですね。
しかし、なぜ外来の中国語をそのまま使わなかったんだろうか?
投稿者 kota
こんにちは、hajimeさん。
ホント、日本語のことを知ればしるほど、日本語の奥深さを感じますね。
ローマ字に変えられることはなかったけれど、古代の人々が日本語にこめた思いを、現代人は感じられなくなってしまっているように思います。
大事に使って、もっと日本語のことが知りたい、という気持ちです。
投稿者 さいこう
kotaさん、こんにちは。
中国語は、英語と同じで、文を作るときにSVO型(主語 (Subject) – 動詞 (Verb) – 目的語 (Object)だそうです。
一方日本語は、SOV型言語で、文を作るときに、一般に主語 (Subject) – 目的語 (Object) – 動詞 (Verb)の語順です。
この違いが中国語をそのまま日本語にしなかった理由の一つなのかも知れません。
投稿者 さいこう
韓国語は漢字を使うのを辞めてしまったようですが(比較的最近、数十年前のではなかったか?)、新しい概念を増やしていくのに非常に苦労するのではないか?と、感じます。
漢字あり、平仮名あり、カタカナありで新概念をどんどん作れる日本は本当に素晴らしいと思います。