日本語の魅力-1@日本語の成り立ち |
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2009年07月27日
日本語の魅力-2@形容表現にみる、日本語表現の豊かさ
こんにちは。hajimeです。
まだ学校の生徒だったころ、「国語」がチョー苦手 😥 で、テストでは苦労した記憶があります。先の記事でも、「学力の低下の本質は、言語能力=日本語力の低下にある」とか。もし、国語が得意だったら…。天才・秀才になっていたかも :tikara: …?。
仕事もそうですよね。ほとんどの情報交換・意思疎通は、やっぱり日本語。
でも、なかなかきちんとした日本語が、使えていないのも現実。ひょっとして、日本語って、難しい言語
・「かろ」「かっ・く」「い」「い」「けれ」
・「だろ」「だっ・で・に」「だ」「な」「なら」
覚えていますか
そうですね。形容詞及び形容動詞の活用です。中学校で習う文法のレベルでは、こんな感じ。当然、覚えていましたよね
これらは、単独で述語になる品詞で、命令形がない言葉です。ちなみに、命令形のあるものは、動詞ですね。動詞は、5段活用・下一段活用・等々、いろんな活用形があります。
覚えていましたか では、古文の場合はどうでしたか
そろそろ、わけがわからなくなってきましたね… 🙁 。
この記事では、日本語の文法を解説したいわけではありません。文法をもっと知りたい方は、専門書を参照ください。どうやら、文法にもいろんな考え方があるようですよ。
日頃ほとんど意識せずに使っている言葉ですが、その構成は結構ややこしいことになっています。しかし、それを違う視点で見ると、日本語は自由度の高い言語なのではないか と感じています。そのあたりを、形容表現という視点で、見てみましょう。
ポチッとお願いします。
品詞別の語彙量を見てみましょう。
・日本語:名詞:82,4%、動詞:9.1%、副詞:2.5%、形容動詞:2%、形容詞1.2%。(新選国語辞典)
・英語は、1/4が形容詞。(オックスフォード英語辞典)
日本語は、英語に比べ極端に形容詞が少ないですね。形容動詞がそれを補っているとされていますが、それを加えても、足元にも及びません。
しかし、日本語が物事を形容することが貧弱な言語か と言えば、決してそうではありません。
・名詞+だ、的だ:形容動詞
・名詞+らしい、っぽい:形容詞
・動詞+ない。
・動詞+わしい。
・名詞+の。
・名詞+らしい、っぽい。
など、いろんな形式で形容表現が可能なのです。 :tikara:
そしてこれらをよく見ると、語尾を変化させることにより、一つの言葉でいろんな使い方ができるように、なっています。おもしろい機能ですね。
さらにこの機能は、新語を造りやすいと言われています。古くは漢語、最近では外来語にたいし、「~だ」や「~らしい」をつけて、新語を創ってきました。
そう考えると日本語は、いろんな言葉を組み合わせて物事を形容表現する事が、得意な言語ではないかと、思われます。外国の言葉さえ、取り込んでしまいます。そうすることにより、時と場合に応じて、微妙なニュアンスを伝え合う事ができる。自由度が高いですね。日本人の同化能力の高さ故、使いこなせる言語なのかもしれません。
一方で、若者の言葉の乱れがよく指摘されます。流行語なんかは、ときに下品とも評されます。しかし、見方を変えると、日本語の持つ「自由度の高さ」故、そういう事も起こるということではないでしょうか。
話は変わりますが、日本語は、主語のない文を使用する頻度が高いと言われています。また、擬音語や擬態語が多い言語だと言われています。それらを使うと、文の意味が曖昧になりがちです。それでも、お互いの意志が通じ合うのは、それも、日本人の同化能力の高さ故かもしれません。
既存の観念(思想・哲学など)が、役に立たなくり(参考)、意識は収束不全という状況において、この自由度の高い言語:日本語は、新しい認識の創出・新しい社会の実現に向けて、力強い武器なのではと思います。
投稿者 hajime : 2009年07月27日 TweetList
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コメント
投稿者 モノリンガル
モノリンガルさん。コメントありがとうございます。
若者に限らず、日本語をちゃんと使いこなせている人は、少ないと感じます。だから、いろんな「ミス」「行き違い」「勘違い」が、日常茶飯事のように起こっている、とも感じています。
現時点では、国語=日本語教育を通して、同化能力を復活させていくということが、必要なのかもしれません。
しかし本質的には、持って生まれた同化能力にフタをすることなく、素直に発揮していける社会に転換していくことが、必要なのでしょう。
フタをしてしまう原因は何か?きっと、現存する私権制度やシステムなのだと思います。
投稿者 hajime
同化能力が高くないと使えない。同化能力が高いから使える。その通り日本人の同化しようとする心が生んだ言語が日本語で、その日本語故に更に同化能力が高まる、ということでしょうか。
その様なことに思いを馳せず、日本語を全てローマ字にしてしまえというよう議論が明治時代にもあったようです。
今の若者言葉どころの騒ぎじゃありませんね。
そうならなくて本当に良かった。
投稿者 K.G
K.Gさん。コメントありがとうございます。
若者言葉も、捨てたものじゃないですよね。
「ヤバイ!」なんて、その場の雰囲気とか、話の内容により、いろんな意味で使い回すことができます。便利ですよ。
子ども達と話すときなんかは、これが使いこなせないと、話が通じないですよね。(^_^;)
ちなみに、志賀直哉なんかは、「日本の国語は、フランス語にすべきだ」なんて言ってたみたい…。ヤバイですよネ。
まわりの声はどうであれ、日本語を自在に使いこなせるように、なりたいものですね。
投稿者 hajime
「日本人の同化能力の高さ故、使いこなせる言語」
とありますが、逆に言うと、日本語は同化能力が高くないと使いこなせない言語とも言えますね。最近は、学力低下=同化能力低下が進んでいるので、下手をすると日本語を使いこなせない若者が増えていってしまう。ますます教育面での言語能力、同化能力の育成が求められますね。