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2009年06月11日

しあわせなお産とは?

siawase.jpg
(画像はこちらから転載しました)

突然ですが、「しあわせなお産」って何だろう。
そんなことを深く考えさせられる本に出会ったので、その紹介をします。
『しあわせなお産をしよう―自然出産のすすめ』

吉村先生が実践しているしあわせなお産とは、自然にとことん身を任せ出産するという現代医療の観点とは対極に位置します。

現代医療は、帝王切開や会陰切開、陣痛誘発剤などあらゆる人工的処置を施します。
それはなぜか?
無事に出産できるように・・といえば聞こえは良いですが、実体は違います。死産などの(医者にとっての)リスクを出来るだけ軽減し、訴訟問題に発展するのを防ぐためです。そのため、不必要であろうが早め早めに医学的管理を施すのです。
そうするとどうなるのか。
多くの体験者が語っていますが、【産まれた・産んだ】という実感が湧かないのだそうです。
さらには、自分の力では産むことができなかったという思いから母親としての自信も失いそうになるのです。

新しい命の始まりであるにもかかわらず、出鼻をくじかれたような感じですよね。

一方、しあわせな出産とはなにか?
吉村先生はこう語っています。
「100%安全に生まれるということはありえない。自然の中には死という可能性も含まれている。死ぬものは死ぬ」
しかし、これらは裏を返せば「生きる力の可能性。生きるものは生きる」ということなのです。
人間のもつ生命力、すなわち“自然”に全てを委ねるのです。そうすると自然と母子ともに心がリラックスしった状態となり、結果的にお産がうまくいくのだそうです。(事実、逆子だろうとどんなリスクの高い出産だろうと、かなりの高確率で問題なく出産できている。)

「しあわせなお産」の体験者は、心の底からお産というものに悦びを感じまた産みたくなるとも語っており、その母の姿を見た子ども達は感動して涙を流したりもします。
このように性・命という神秘なるものを、お産を通して父親や子どもに伝えることも出来るのです。

最近の世の中は酷く物騒で、社会はどんどんと荒廃へと・・
親子間の暴力や殺傷事件が相次ぎ、子育てへの不安も募る一方ですし、少子化にも歯止めがかからない状況。

もし、「しあわせな出産」をみんなが経験していれば、これら諸問題は果たしてどれだけ生じていたのか・・。
深く考えさせられました。

「お産というのは、第一ボタンのようです。一番最初のボタンをうまくかけられると、次々にスムーズに先に進める。けれども、最初のボタンをかけ違えてしまうと、次もその次もぎくしゃくしてしまう」と、吉村先生は語っています。
幸せなお産のあり方を、今一度再考してみる必要がありそうです。

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投稿者 takatiee : 2009年06月11日 List   

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コメント

「しあわせな出産」にならない事例として、出産が母親一人の役割(意識)になっていることがあると想います。

それが自分でストレスを抱えたり、または出産の痛みを避けようとしたりというところにつながってたりするのではないでしょうか。

周りのみんなが出産を期待し、母親が安心して出産できる環境を再生することも重要だと想います。

投稿者 HHH : 2009年6月15日 19:46

>多くの体験者が語っていますが、【産まれた・産んだ】という実感が湧かないのだそうです。
さらには、自分の力では産むことができなかったという思いから母親としての自信も失いそうになるのです。<

命の始まりである出産さえ目先の安全性を求めるが故に、生殖役割による充足を得られず、結果として充足存在であることも殺がれる。

そして、
>(事実、逆子だろうとどんなリスクの高い出産だろうと、かなりの高確率で問題なく出産できている。)<
という事実さえ、見えなくさせている。

“自然の摂理”から学ぶことって、もっともっとたくさんあるのだと思います。

そして、“お産”というと、女性の課題のように思えるが、男性にとっても共有すべき課題なのだと思います。

例えば、女の人だけが自然分娩のよさを知っていて子供を生んで死なせてしまった場合、夫は、「だから総合病院(?)に任せておけばよかったんだ!」となりかねない。ずっと引きづることになる。
逆もしかり、夫の理解を得られずに、仕方なく総合病院(?)で生むことになり、無事出産。でも、実感も喜びも何も湧かない。ずっと引きづることになる。
なんてことにも成りかねない。

男女に限らず、どちらかとか、誰かのとか限定された課題なんてないのかも知れません。

投稿者 にっしん : 2009年6月16日 14:20

娘を出産する際、少々リスクがある事がわかり帝王切開になった者です。
確かに最初は「自分の力では産むことができなかった」という思いもありましたが、
吉村医師の否定する医療処置のおかげで、現在の健康で幸せな日々を送っている
私と娘がいます。私以上に高リスクがありながら命を救われ、幸せな新生活を
スタートさせた母子も少なくはないでしょう。
私達のように医療処置を受けて出産した人間を不幸と決めつけ、もしかしたら
救われたかもしれない命を「死ぬものは死ぬ」で片づけるこの先生の主張には
賛同しかねます。自然なお産は理想ではあるでしょうが、それができなかった人間が
肩身が狭い思いをするようなものであってはならないと思います。

投稿者 幸せな母 : 2009年6月16日 23:18

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