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2009年06月09日

【性教育って・・・?!】その7~「自我の性教育」から、「本源の性教育」へ~

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後半戦第2段の始まりです、その前に今までのおさらいです

【性教育って・・・?!】その1~性教育って何?!~
【性教育って・・・?!】その2~性教育の歴史①~
【性教育って・・・?!】その3~性教育の歴史②~
【性教育って・・・?!】その4~自分発からみんな発へ~
【性教育って・・・?!】その5~性の時代変遷~
【性教育って・・・?!】その6~性の衰弱~

【性教育って・・・?!】その5 ~では
>結婚が「個人の好き嫌いのみ、いわゆる価値判断のみで決定されている」ということです。

と、いわれていたように、性の教育の意味を失って以降、’70年、’80年代では、性、恋愛市場華やかな時代が繰り広げられてきました。しかし、性の自由を謳歌したはずの現在に至っては当時のように熱い人はまったく見ません。どちらかといえば、低温恋愛という言葉があたり、草食男子に肉食女子といわれる方が多く、性・恋愛に対して消極的な人が多くなった印象です!!

今、『性』に対して周りがどんな意識の変化が起こっているのでしょうか?!皆さんはご存知ですか?
【性教育って・・・?!】その6では
>全ての抑圧力を解体して終った以上、性権力もまた消え去るしかない。

と書いてあります。つまり抑圧に対して反のエネルギーでしかなかったから、今、自我の性にまつわる、恋愛や結婚が今ひとつもりあがってないのです。

その、意識の変遷について書かれたものがありましたので、 『 「性」を巡る意識潮流の変化に、「性再生」の可能性を感じる 』を紹介します☆

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『 「性」を巡る意識潮流の変化に、「性再生」の可能性を感じる 』

>性の再生可能性は「自我の性から本源の性への転換」しかないが、今現在は「自我の性のリセット中」という段階であり、しかも、私婚制度が残存する以上、この転換は容易ではない。従って、この経済恐慌は、決して一過性のものではなく、性意識の転換という最基底のパラダイム転換が起こるまで、物的市場は縮小を続けるしかない。(リンク)

08年年末のなんでや劇場では、「商品市場の背後に性市場あり」「経済恐慌の最基底部にあるものは性の衰弱」の認識の下、性の衰弱現象から「自我の性から本源の性への転換」まで深く掘り下げて議論された。

今回、このなんでや劇場に参加して最も驚いたのは、参加者の恋愛、より根源的には「性」への意識が大きく変化していることである。

実現論及びるいネットでは、人類の最大の活力源である「性」の追求及び、集団・社会の統合システムとも言える「婚姻制度」について、徹底的に追求を行ってきた。

その追求の中から見えてきた事実は、現在我々が唯一絶対と信じ込んでいる1対1の婚姻制度=1対婚制度は、たかだか私権時代3000年程度の歴史しかないこと、そして、それ以前の人類は、自我・私権に基づく1対婚制度ではなく、集団全員が「性」を通して活力を得られる婚姻制度(首雄集中婚又は総偶婚制度 詳細は実現論1_8_03参照)によって集団を統合しており、そこでは”自分発”の自我の性ではなく、”相手発”の本源の性によって、文字通り皆が充足を得ることができていたことである。取り分け、日本の農村部においては戦後直後まで、この本源の性に基づいた婚姻(夜這い婚)が行われていた。

これらの認識は、市場原理・私権制度の先鋭とも言える識者・マスコミによって追求され、語られることは決してないが、在野の探求者達のフィールドワークや、数々の未開部族の研究によって紡ぎあげられた、紛れもない「(歴史)事実認識」である。

これらの「性」「婚姻制度」に関する事実認識は、現在の常識である「1対婚制度」及び「恋愛」に真っ向から反しているので、「事実追求」のスタンスに立たず、「価値意識」に捉われると、往々にして価値対立を招く。
ほんの数年前までは、性が衰弱したとは言え、恋愛観念が強固に残存していたので、価値対立に陥るケースは少なくなかった。

しかし、今回の年末なんでや劇場に参加した人々(初めて参加した人を含む)の反応は全く違った。価値対立を起こす人など皆無に等しく、皆がその事実認識に驚き、そして可能性を感じていた。劇場の後のサロンでの語らいでも、「婚姻の話しは凄く面白かった」「もっと深く知りたい」「本源の性に可能性を感じる」と言う声が多数聞かれた。

なんでや劇場に参加した人は、日本全体から見ればごくごく一部であるが、その多くは路上=社会空間で知り合った、見ず知らずの人々であり、ある意味でアトランダムに抽出された人々が皆、「本源の性」に可能性を感じたことは、真に注目に値する意識潮流である。

もはや人々は、自我の性・恋愛や1対婚制度には可能性がないことを、潜在的に強く感じているのだろう。今や30%に及ぶ離婚率、恋愛に冷めた若者の意識、セックスレス現象等を見ていれば、誰もがその限界性を感じ取っていても、全く不思議はない。
潜在思念で、その限界性を感じ取っているが故に、事実認識=新観念を得ることで、一気に可能性収束したのだと感じた。

市場が破綻し、性がとことん衰弱した現在、改めて人類本来の「性」のあり様と「婚姻制度」の歴史事実を追求し、事実認識を広めていくことが求められている、そしてそれが「性の再生」の可能性を開いていく、と強く感じたなんでや劇場だった。

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自分発の好き嫌いを前提とした恋愛、結婚がわずらわしいと感じる人の「性」がとことん衰弱し、このままでいったら少子化どころじゃない・・・という状況の中で、自分発の「性」から、相手発の「性」可能性を感じる人が出始めているのが、最先端の状況のようです。

今まで当たり前だと思っていた婚姻形態がしんどいなら、「人類本来の性ってなに?」「婚姻制度ってなに?」「相手発の本源の性ってなに?」というような素朴な疑問を持って歴史事実の追求に向かえば新しい可能性に繋がりそうです☆

そして、その事実追求に先に、社会の中でみんなに期待される男女の『性』(=それぞれの役割)が認識されることで、「性」が再生されていくのだと感じます。
そこが、性教育で求められている中身のように感じます。

性教育で教えられる中身、これからの「男女の役割って?」「いい男、いい女って何?」など、を次に扱いたいと思います。それでは、長~くなってしまいましたがありがとうございました☆

投稿者 shijimi : 2009年06月09日 List   

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