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2009年06月08日

【性教育って・・・?!】その6~性の衰弱~

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“その5”では、恋愛結婚(=1対1の婚姻)という「まったく社会とのつながりを失い、
だれの期待も受けない性」が登場したことによって「性教育」の存在意義が失われ
たことを書きました。

ここでは、恋愛結婚が登場した背景とその裏で進行している深刻な事実を明らかにします。

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るいネットの『実現論』より引用します。

 だが、貧困を消滅させた結果、私権の強制圧力が衰弱し、これまで私権の強制圧力を
最大の活力源にしてきた人々の活力も急速に衰弱してきた。それに伴って、国家も企業
も家族も個人も、自らを私権の強制圧力によって統合することが難しくなり、遂に3千年に
亙って社会を統合してきた私権統合が機能不全に陥って終った。その結果、全ての存在
が目標を失い、フラフラと迷走し始めた。更に、性権力の最大の抑圧物であった私権(占
有権)の強制圧力≒男原理を去勢したことによって’80年頃には性権力の全面支配が完
了し、社会は女原理一色に塗り潰されていった。女支配は子供や男たちを去勢して、(私
権の衰弱によって衰弱した)活力を更にとことん衰弱させてゆく。その結果、ますます統合
不全が深刻化し、社会の混迷と衰弱は年々ひどくなってきた。とりわけ’90年以降、事態
は加速度的に悪化しつつある。  

 ’70年頃に日本は豊かになり、貧困を克服しました。その結果、私権(=金や地位や異性
などの私的権益あるいは私的権限)を求めることに活力が見出せなくなり、さらにその結果、
規範や秩序が崩壊していきました。その流れの中で、恋愛結婚が登場してきました。

 それだけではない。社会を全面支配した性権力は、実はそれ自体では自立して存在する
事が出来ない。なぜなら、性権力は自由な性市場を母胎にしており、自由な性(性の自由
欠乏)は性的自我を源泉にしている。そして、自我は共認圧力(集団圧力や闘争圧力や規
範圧力)に対する否定をバネとする反or 破のエネルギーでしかない。従って、自我を源泉と
する性の自由欠乏も、性の抑圧力(上記の共認圧力)に対する反or 破のエネルギーでしか
ない。換言すれば、性権力の土壌を成す性の自由(欠乏)は、性の抑圧を前提にしている。
従って、性権力が集団を破壊し性規範を解体し私権圧力を去勢して、全ての抑圧力を消去
させて終うと、自らもエネルギー源を失って消え去るしかない。

 つまり、豊かになったことで、性の活力も衰弱してしまったのです!

 性の衰弱は、既に私権が衰弱し始めた’70年頃から始まっている。心中物語に代表される
様な、私権の強制圧力との緊張関係から生じる性の自由への強力な収束力が衰弱したこと
によって、’70年頃から情熱をかき立てる様な恋愛が成立しなくなり、性をムキ出しにした官
能小説やポルノ映画が主流に成っていったが、それは性の火(活力)が消える直前の最後
の輝き(活力)だったのである。私権の衰弱が顕著になった’90年代に入ると、性はSMや3
Pに最後の活路を求め、その刺激にも飽きると、もはややることが無くなって終った。こうして
’95年頃から、遂に性の自由欠乏→性闘争(恋愛)そのものが急速に衰弱し始めた。

 セックスレス、性欲障害、未婚、離婚、晩婚など、性にまつわる社会現象が数多く出現し
ています。
 最近では、婚活や草食男子・肉食女子という言葉がドラマや雑誌でも多く取上げられてい
ますね。

 性闘争(恋愛)を土壌として肥大してきた性権力にとって、これは致命的である。全ての抑
圧力を解体して終った以上、性権力もまた消え去るしかない。だが、私権統合から性権(力)
統合へと移行した途端に(or 移行途中で)、当の性権力自身が消滅すれば、社会は全面的
崩壊状態に陥る。だがそれは、同じく性闘争を究極の活力源としてきた私権社会が消滅す
る日と時を同じくする。それは、性権(力)こそが私権の原点であったことからも、当然の成り
行きであろう。

 非常に怖い話ですが、人間としての拠り所を今まさに失おうとしているのです。婚活に励む
女性や肉食女子は、潜在的にこの危機感を感じているのかもしれませんね。

 このように、 『性』は非常に重要なことであり、その教育としての『性教育』の位置づけは本
来、最重要でさえあるべき
 なのです。

投稿者 shushu : 2009年06月08日 List   

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