婚姻史シリーズ(22)~許婚と見合結婚~ |
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2009年03月05日
婚姻史シリーズ(23)~処女規範~
現在恋愛結婚が中心となっていますが、家族史の100年を遡って見ていくと、この100年で婚姻形式が目まぐるしく変化してきたことが見えてきました。
今回は、大正時代以降見られ始めた処女規範について追求したいと思います。
ちなみに画像は、純潔そうな方を選んでみました。 :blush:
是非、応援よろしくお願いします。 😀
■処女規範って何?
結婚まで異性と性行為を行わないこと :confused:
■大正時代以降に処女規範が広まったのはなんで? :blush:
婚姻形式が母系制→父系制に転換したことで、女性の財産は、自分の性以外、他にない。
そうなると、私権獲得に向かう男たちをどうやって引きつけることができるのか?
⇒自分の性の価値(処女であること)を高める方向へ向かった。(=性に頼らないと生き残れない)
■性権力VS私権
その当時、男性にとってその処女を獲得するというもの一つの私権であり、一つのステータスでした。
逆に言えば、処女規範(性権力)を高めることが、女性の唯一の私権獲得を目指すことのできる唯一の拠り所だったともいえます。
■恋愛婚
明治→大正→昭和になるにつれて、処女規範はより輝きを増し、女性の性権力によって以下の婚姻形態に変化していきました。
①許嫁(いいなずけ)婚⇒②見合い婚⇒③恋愛婚が主流に
①は、家父長によって決められた許嫁同士が結婚する。(本人が決めることができない)
②は、処女規範が強まったことによって、家父長の縛りが弱くなり始め、お見合いを通して本人たちの意思で結婚する。
③は、恋愛観念が導入され家父長の力は全くなくなり、本人たちの自由に相手を選び結婚する。
この流れによって、共同体によって形成された婚姻形態は徐々に解体され、核家族形態が誕生していきました。
■私権衰弱によって性権力▼
70年貧困が消滅して、私権が衰弱すると同時に、性権力も徐々に低下していきました。それは、私権の中だけで組み込まれた権力であったため、私権が衰弱すれば処女であるという性権力も同時に衰退していくことは必然構造です。
現に、今の時代若者にとって処女である女性を求めている人は少ないと思います。今の若者はお互いにいて充足できればそれでよいという考え方の方が強いのではないかなと思います。
■これからの時代
現在は共認による時代です。男女ともに充足できるような関係が結ばれることが第一になり、その中で価値観など無用。しかし、現在は核家族として家庭を形成し、密室化しています。家庭の中を密室化しても問題はなにも解決しません。
今後の密室という空間から脱却し、周りを対象化することに転換することができれば、新たな外圧に適応した新しい婚姻形態が生まれてくるのだと思います。 :nihi:
投稿者 kaneking : 2009年03月05日 TweetList
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