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2009年02月16日

婚姻史シリーズ(13) 新しい婚姻制度の答えは、日本の共同体の歴史にある

これまで婚姻史シリーズの追及をしてきた中で、日本における父系制婚姻の歴史はたった100年くらいしかなく、それまではずーっと母系制が基本だったということがだんだんわかってきました。

今後、これからの新しい婚姻制度を追求していくにあたり、一旦中間まとめをしてみたいと思います。

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●日本の婚姻は何故母系制だったのか?

明治時代や江戸時代、それ以前においても、農村の歴史を見ていくと、人々は共同体という集団で生きてきました。

農業という生産様式は、老若男女誰もが労働力となり得、また繁忙期には村中の皆が協力し合って作業することで成り立つものであることから、集団に根ざした生産様式だったといえます。

だからこそ共同体の中では課題や役割を村のみんなで共認することが必要でしたし、村の結束を高めるためのいろいろな規範を作って、それをみんなで守って生きてきました。婚姻もその内の一つであり、「夜這い」といった制度は集団規範として成立していたのです。

母系制であった理由は、出産、子育てを行うために女が家に残り、男は家の外に出て村のパトロールや共同作業にあたって集団を守るという形が最も理にかなった適応様式であったと考えられます。

明治時代に制度化された家制度や家父長権は、農村の共同体にとっては、全く意味の無いものだったために、受け入れられなかったのです。

●父系制の100年とは何だったのか?

婚姻制度が母系制から父系制に転換した理由は、武家社会では闘争集団化であり、農村にとっては戦争がきっかけになっています。

これらの私権闘争課題に対して集団適応するために、闘争集団を形成して存続していく必然性が生まれたことによって、婚姻は父系制である必要があったのです。

私権原理によって、男は私権獲得という新たな生産基盤を獲得し、逆に女は生産基盤を失ってしまいました。こうして、男は私権という力の基盤の元に権力(家父長権)を持ち、女は男の私権に依存するしかなく、性的商品価値を高めていく方向へと向かっていきました。

これは同時に共同体の解体を意味します。私権闘争が市場化を押し進め、共同体規範を喪失してバラバラな個となってしまったことで、ついに婚姻は、父系制一対婚という私権規範に転換してしまったのです。

しかし現在、貧困が消滅して私権そのものが崩壊したことによって、男が力の基盤を失って私権規範は崩壊し、あっという間に一対婚家庭はガタガタになってしまいました。

これは、父系制一対婚という婚姻制度そのものが無理やり作り出された制度でしかなかったことを物語っているのではないでしょうか?

●これからの婚姻はどうすればいい?

人類史500万年という永い歴史の中で、私権時代は5,000年程度の歴史しかありません。中でも日本においては、婚姻制度が私権原理によって幻想化してしまったのはたったの100年余りしかなく、これを除けば一貫して本源集団による集団婚姻規範であったといえます。

このように、日本には集団で村を守ってきたという歴史があり、その本源性は誰もが受け継いで持っているはずです。

だとすれば、この歴史の中にこそ、その答えがあるのだと思います。

歴史を紐解きながら、婚姻を含めた共同体規範を掘り起こして検証していくことが、これからの集団のあり方や新しい規範を創り出す可能性につながると確信しました。

投稿者 hiroaki : 2009年02月16日 List   

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コメント

学校では教えない本当の歴史。
知った人たちが、伝え、拡げてゆくことが必要ですね。

本当の歴史を知れば、いまの若者たちはどちらが可能性があるのか、直ちに理解すると思います。

投稿者 yamasho : 2009年2月19日 22:24

>学校では教えない本当の歴史。(yamashoさん)

学校で教科書通り無理やり教えようとせず、子どもたちが自分たちで調べて発表しながら知っていくというようなやり方がよいかもしれませんね。

それをネットで発信して本当の事実を発掘していけたら有意義ですね。

投稿者 hiroaki : 2009年2月24日 21:59

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