婚姻史シリーズ(13) 新しい婚姻制度の答えは、日本の共同体の歴史にある |
メイン
2009年02月17日
婚姻史シリーズ(14)~中世日本における男女の役割~
にて紹介されていた本の表紙には、農村での楽しそうな作業風景が描かれています。
これは月次風俗図屏風(つきなみふうぞくずびょうぶ)と言う物で、室町時代/16世紀に描かれた当
時の年中行事の様子を示すものです。リンク先で大きな画像を是非ご覧下さい。
この絵の中に描かれている農村における男女の役割が、以下のように考察されています。
続きの前に、応援協力お願いします。
・鳴子を鳴らして鳥を追う子ども達
・食事や飲み物を運ぶ男女
・苗運びをしている男達
・大鼓、小鼓、田楽をする男達
・華やかな早乙女達などなど
そして、苗運びは男の仕事、田植えは女の仕事として分業されていた事が示されています。
この「田植」というのは農耕儀礼の最も重要な段階であり、早乙女はハレ 😀 の役として神に奉仕する神役でもあるそうです。これは、現在でも大田植・花田植と呼ばれる年中行事として、日本の各所にて受け継がれているようです。
写真はWikipedia「田の神」の早乙女さん。
「史料にみる日本女性のあゆみ」の分析では、性差や分業が強調されていますが、それよりも老若男女が協働で生産に関わっている姿が、印象に残りました。
さて、田植えという共同作業を営む上では、村の中での決め事=共認形成がいかに成されていたか?
が重要になってきますが、その一例として惣村についての史実が示されています。
中世後期~1384年「今堀日吉神社文書」によると、村の最も重要な年頭祭祀の直会の場には、村人の妻達も参加していた事、祭祀の頭人(責任者)は夫婦でつとめなければならなかった事などが描かれているそうです。この祭祀の場は、単なる祭りではなく、文字通り村の政(まつりごと)、即ち村法や村人の身分を取り決めるなど、政治・生活・生産活動などを規定する取決めを行う為のものであり、男女共に生産~規範形成に携わっていたようです。
さらには、下司にはむかった百姓が夜討ちにあった事例では、犠牲者5人のうち2人が女性であったなど、上層部との闘いにも男女で共闘した姿も描かれているそうです。
中世の歴史書では、北条政子や日野富子など、政治の世界で活躍した女性も描かれており、庶民に限らずあらゆる階級で、状況に応じて男女が共闘していた姿が見られる事は非常に興味深い史実であると思います。
前項でも書かれていますが、日本においては、古来「生殖と生産活動」とが一体となって営まれてきた歴史が長く存在し、それは男女の性規範・役割規範共にお互いに充足をもたらすものとして機能してきた歴史なのではないでしょうか。
また、当時の日本も大きくは戦乱の時代ではあったが、その闘いの主目的は私権の獲得というよりも、村や地域を守るための闘い、即ち集団維持こそが主目的であり、その場合男女共に期待・応合の掛け合いから、互いに活力を持って外圧に立ち向かっていたのではないかと推測されます。
真の政とは、このような共認形成の場であり、万人参加は不可欠なのだと、改めて認識させられると共に、「生殖と生産の場」とが切り離された 現在の核家族は、なんとも無力な存在 だと思わざるを得ません。
あるいは、男女共が私権闘争に向かえばその距離は開く一方であり、共認闘争に向かえば、その存在は一体化する。
この構造は、行き詰った男女関係を再生する上で、とても重要な認識となりそうです!
引き続き、男女協働の重要性を探って活きたいと想います
投稿者 kawait : 2009年02月17日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2009/02/760.html/trackback