婚姻史シリーズ(14)~中世日本における男女の役割~ |
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2009年02月18日
婚姻史シリーズ(15) ~男は偉いの?~
こんにちは。
前回の家庭ブログでこのような記事がありました。
確かに、現代、多くの人は男が偉いということに疑問を持ち始めている人は少なくないと思います。
最近では「草食男子」と言われる時代ともあって、男に権威を感じる人は少なくなってきています。
では、なんでこれまで男が偉いと思われていたのか?という視点で追求してみました。
「男が偉いと思うのはなんで?」と追求していく中で、なかなか興味深いことが見えてきました。
本編に行く前に、応援よろしくお願いします。
そもそも、男は偉かった?
こう思うようになったのは、明治以降に全国に広く浸透した家制度が一つポイントとして挙げられます。
家制度とは(Wikipediaより引用)
明治民法に採用された家族制度であり、親族関係のある者のうち更に狭い範囲の者を、戸主と家族として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度である。江戸時代に発達した武士階級の家父長制的な家族制度を基にしている。
家父長制とは(Wikipediaより引用)
家父長制の下では、ある男性の父親が既に死んでおり、その男性に既婚の息子 2人と嫁いだ娘 2人と15人の孫がいる場合、2人の息子が稼いだ金は、稼いだ本人ではなく、家族に分配され、その分配方法は家父長が決定する権限を持っている。同様の権限は、嫁いだ娘たちには及ばない。嫁いだ娘たちに対する権限は、彼女たちが嫁いだ家族の家父長が持っている。
家制度によって男(父親や長男)が、唯一家族の中で権利(私権)を持っている存在となり、そこから男が偉いというイメージがみんなの中に入り込んできたのでしょう。
現代はどうでしょう。少なくとも家庭には、家父長制をとっているところは存在しないでしょう。(そもそも家制度は、日本国憲法施行直後の民法大改正によって廃止されている)
しかし、家制度廃止後も、男(父親)が偉いというイメージは、今でも大半の人の中に少なくとも残っていたと思います。
それはなんでか?
’70年までは私権原理であったため、男の私権の獲得が、家族にとって必要とされていた。
→父親は絶対的存在=偉い
そこから、貧困の消滅→私権衰弱→私権消滅へと時代が進む中で、男が私権闘争に向かわなくなり始め、男が獲得する私権の価値が衰弱したことによって、男が闘争に向かう活力(自信)を失っているのが現状です。
そういう現象を通して見てみると、昔みたいに強烈に男(父親)が偉いという印象から、徐々にその意識が衰退していき、男(父親)が偉いということに疑問を持つ人が増えたのは、必然構造のように感じます。
では、これからの社会に求められる男の存在とは、一体何なのでしょうか?
大きなポイントとして、時代は私権時代から共認時代に変化したことです。
このことからすると、共同体(例えば農村生活)を基盤としていた明治以前の生活が、これからの社会で生きていくための答えになる可能性を感じます。
共同体の中での男の役割は集団を守るために闘うこと(=みんなの期待)、これは現代の社会に対しても同様で、答えを導くことこそがみんなの期待であり、それが男の役割なんではないでしょうか。
投稿者 kaneking : 2009年02月18日 TweetList
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コメント
投稿者 かわい
「偉い」ちゅー言葉の語源は、どうやらふんぞり返って居丈高、あるいは高飛車な様を表現した言葉のようですね。
ようは、無理矢理にでも偉そうに振舞う=本当は偉くもなんとも無いからこそ、そのような演出が必要だった、と解釈できます。
無理矢理肩肘張って偉そうに振舞う必要が無くなりつつある、というのはむしろ好ましい事ですな。