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2009年02月06日

学校ってどうなってるの?98~学力低下の原因【旧観念】ってなんだろう?

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旧観念ってなんだろう
ここでいう【旧観念】とは構造認識=根概念の一つです :roll:
具体的には【恋愛・自由・個人・人権】などを指します :roll: :roll:

るいネットの定義集を見てみます

旧観念(きゅうかんねん)
古代宗教や近代思想(恋愛・自由・個人・人権etc.)のこと。旧観念の深層には、私権闘争が生み出す苦の現実(戦争や支配や貧困)への否定意識や変革不可能視が刻印されている。つまり、現実の中に可能性を求めるのではなく、現実(の自分や人々)を非充足のまま放置して頭の中だけで代償充足を与える倒錯観念・代償観念である。

古代宗教における倒錯観念と近代思想における欺瞞観念には頭の中だけの充足という共通点があります。そこを追求します。

近代思想は宗教と同根

旧観念の代表は古代宗教と近代思想です。元々キリスト教は武力支配の時代に生まれたもので、苦の塊、かつ変革不可能な武力支配の現実に背を向け、頭の中だけを充足させる(苦痛を和らげる)ためだけに創られ、普及した観念です。(神や愛)
その現実否定性はものの見事に近代思想の諸概念にも継承されています。
全て現実のアンチ、つまり「反」に基づいて頭の中に理想状態を描いた空想観念に過ぎません。

この枠組みを打ち破るのが「根拠」や中味をトコトン問い詰めること。実現不可能性が刻印された時代の思考の枠組みを崩すには、まず改めてこれらの旧観念を頭の中の閉じた世界から現実世界に引きずり出し、その無効性を明らかにすることが不可欠だと私も思います。同時にそのことが新観念に必要な条件(事実の根拠と中味=対象の構造を解明したものであること)も明らかにしてくれるはずです。 以下略

どちらも現実に背を向けて、その状態をもっともらしく正当化した観念ですね。 :lol:
こういう言葉は使った時点で、思考停止してしまう構造を持っています。 :cry:
私は現代では《近代思想》の中心概念である【個人主義】思想が形を変えて蔓延していると思います。

それは「相手の気持ちを考えなさい」「自分がされて嫌なことは相手にしないように」という言葉です。 :roll: :roll:
学校では特によく使われますね。それはどういうことなのでしょうか。

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あらゆる圧力を排除する個人主義 

近年学校現場では我々の世代ではあまり聞かなかった言葉が教育されているようだ。「相手の気持ちを考えなさい」「自分がされて嫌なことは相手にしないように」。一見もっともらしい言葉である。しかしよく考えれば、これらの言葉は実に危険であることに気が付いた。一方で相手への配慮を呼びかけると同時に、何であれ相手に不快を与えること=相手に踏み込むことをや圧力をかける事にブレーキをかける言葉でもあるからだ。

実際若い世代の話を聞くと、これらの言葉群は、何かを嫌がっている子供に対して、例えそれがいかに自己中心的なものであっても「そんな、その子の気持ちも分かってあげなければ」という形でその子への圧力を排除する役割を果たしている事例が多い。

収束不全が進行する中、取り分け’90年以降学校現場では観念支配が強まっていく。その中核観念が個人主義である。その中でもとりわけ個人主義の派生物たる人権観念は「個人の幸福」を最高価値とする観念である。そうであるが故に「個人に不快」なものをとことん排除していく。今学校で語られている上記の観念群は、一見本源風を装いながらも、実はこの個人主義思想をベースとしているが故に、この様に単なる圧力の封印装置に摩り替わるのである。

しかし、’70年以降、社会的に生存圧力は衰弱するばかりで、共認圧力こそが唯一の圧力源へと変化している。その中にあってこれらの観念群は明らかに、その最も重要な共認圧力を排除する役割を果たしている。その結果、本来まともな人間に育てていく任務を持つはずの学校が、旧観念支配によって、逆に無圧力空間を自ら創り出し、「自己中」の生産に荷担する場と成り果てつつあるのだ。

現在の教育は、言うまでもなく、旧観念の代表である“個人が原点”“自分は絶対”とする個人主義・自我教育であり、「まわりが原点」であるという認識は完全に捨象されてしまっています。しかし、“個人が原点”“自分は絶対”であればあるほど、全体のことなどどうでもよくなり、従って、他人の命さえどうでもいいものになってしまう。現代学校でいじめが起きる背景はここにあるのだと思います。

個人主義」と言えば聞こえはいいが、本質は単なる「自分が原点」の「自分主義」です。それを突き詰めればついには同化対象を見失い、同化能力が衰退してゆく。
学力低下とは言語能力≒観念能力及び、同化能力(共認機能)の衰退現象であり、人類にとって重大な危機であることをこの間理解してきました。(参照学校ってどうなってるの?76 個人主義の拡大に伴う同化対象の喪失

近代思想の中核観念である個人主義思想は、この学力低下の原因の一つなのだと思います。

本来教育というものは、「自分のため」にあるのではなく、「みんなのため」にあります。
「自分が原点」から「周りが原点」に転換し、みんなの期待圧力を活力に変えられるような仕組みが実現できれば、教育を再生してゆけるのだと思います。

投稿者 tennsi21 : 2009年02月06日 List   

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