江戸の教育を探る-1-寺子屋の歴史と意義 |
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2009年01月04日
江戸の教育を探る-2-寺子屋のカリキュラム
「江戸の教育」の続きです
今日は、寺子屋の読み書きのカリキュラムについて紹介します。
子どもたちは、どんな勉強をしていたのか?
『江戸の教育力』 高橋敏(著)(ちくま新書2007年12月)を参考にまとめています。
※本文中の事例やデータは注記なき限り、この本からの引用です。
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■村の寺子屋のカリキュラム
・上州原之郷村(現群馬県勢多郡富士見村)の寺子屋「九十九庵」の筆子64人の手習テキストからみた、カリキュラムの考察。
・農村の寺子屋は、稲作その他で忙しい夏~秋にかけては休業し、農閑期に開かれるのが通例であった。
「けいこは事は冬、春の両期にすべし、書物は小満(5/21)より白露(9/7~8)までは封じ置くべし」
・登山(入門)する子どもは、数え7歳~14歳。
–初級–
●いろは(学習済みとしてテキストとされていない)
↓
●源平(名頭字尽)(名頭字)
↓
●村尽(村名)(村名尽)
↓←十干十二支
●国尽(国尽・郡尽)(郡尽)
↓←証文類
–中級–
●年中行事(名にしおふ)
↓←寺子教訓往来
↓←源氏文字鎖
↓←教訓類
●五人組条目
↓←妙義詣
↓←手紙
↓←古人手習
–上級–
●商売往来
↓←百姓往来
●世話千字文 or徒然草、万葉集、千字文
資料から追跡できる筆子、伊八の事例によれば、7歳で登山(入門)。12歳までに、「名頭字」(人名集。人の名前を覚えさせる)、「村名」(生活圏の村名集。村の名前を覚えさせる)、「国尽」(日本国66カ国と2島)の初級、つづいて中級の「年中行事」(一年の行事のあらまし)、「借用証文」(金銭の貸借証文)、「御関処手形」(関所超え等旅の通行手形)、「田地売券」(田畑売買証文)、「東海道往来」(東海道の名所史跡案内)、「五人組条目」(村人が守るべき基本法令)、「妙義詣」(妙義山参詣の名所史跡案内書、上州の郷土地理教材)、「手紙」(手紙の書き方)を履修。
ここまでで基本的な読み書き算用を身につけた。
12歳になった伊八に師匠は、「商売往来」を学ばせ、翌年「百姓往来」、翌々年一人前を控えた14歳の伊八に仕上げの「世話千字文」を与え、これをもって下山(卒業)となった。
(伊八の妹のなほは9歳に入門、『名頭字』『村名』『国尽』の後、雅文体の『年中行事』と女子専用の道徳書、『女今川』を14歳までに履修。伊八よりはゆっくりした進度)
もうひとつ、町の寺子屋の事例を紹介します。
■町の寺子屋のカリキュラム
・上州在郷町桐生(現群馬県桐生市)の寺子屋「松声堂」の筆子の手習テキストからみた、カリキュラムの考察。
・師匠田村梶子はかつて江戸城大奥へ出仕、祐筆を勤めた女丈夫。恐い女師匠であった。
●いろは
↓
●近道子宝
↓
●源平(名頭字尽)
↓
(●「村尽」は省略)
↓
●国尽
↓
●妙義詣
↓
●商売往来
■近道子宝(ちかみちこだから)とは?
「上は天共空とも云、中を通るは雲なり、月日の出る方を東とし、入方は西、ひがしに向て、右の方を南とし、左の方を北と云、正二三月を春と云、四五六月を夏といふ、七八九月を秋といふ、十霜極月を冬と云、十干とは、甲乙丙丁・・・」と続く。
単純な自然現象から東西南北の方位、1年12ヶ月と四季、十干十二支、日本国の地形、山川谷海島池沼の説明、衣食住の大切さ、禁裏・城・寺社・町宿の違い、武士と農民の入用の品々を次々と言葉で連鎖させた読み物。
リズムも言葉も大変美しい。いろは47文字を習い覚え、好奇心にあふれた子どもたちが喜びそうなテキストである。
※実物はこちらを参照→http://ir.u-gakugei.ac.jp/handle/2309/7379
→http://ir.u-gakugei.ac.jp/handle/2309/9290
以上の事例から、いくつかのポイントをまとめてみます
★寺子屋の学習は一貫して、素読すること、書くことの反復を土台に進められた。
★テキストの編成を見ると、読み書きと同時に、モノを知る→段階的に社会を知ることがカリキュラムに組み込まれている。
あくまで実践的で小説のようなものは少ない。
★町の寺子屋には商家の子弟が多いゆえの工夫もみられるが、基本的に村の寺子屋のカリキュラムと大きくは変わらない。テキストやカリキュラムの基本は、寺子屋ネットワークで広範に流通していた模様。
こうしたネットワークの中でテキストも精錬されてきたのだろう。
★(九十九庵伊八の事例でも)在籍は8年、現在の義務教育に1年足らないだけであるが、これで十分に大人として役割を果たせるようになった。
寺子屋を出たあとは、もう子どもではない。
村の若者組に入り共同体の即戦力となる、商家なら丁稚奉公、職人なら年季奉公などへと進むわけだが、寺子屋で上級まで学べば、農業の傍ら商売も出来、村役なども十分務まる程度になったようである。
つづく 😉
投稿者 iwaiy : 2009年01月04日 TweetList
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