婚姻史シリーズ(6)~西洋婚姻史 1~ |
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2008年12月20日
婚姻史シリーズ(7) 妻問婚は集団婚だったのでは?
画像はコチラからお借りしました。
12/8記事「婚姻史シリーズ 母系婚姻様式(4)~妻問婚~」では、集団婚から個別婚への大きな転換と書きましたが、「妻問婚は個別婚(私婚)なのか?」という疑問を感じましたので、改めてそこに突っ込んでみたいと思います。
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妻問婚は平たく言えば「夜這い」ということになります。今でこそそんな風習は存在しませんが、考えてみれば地方の農村ではごく最近まで続いており、昭和の初期頃まで残っていたことが明らかになっています。それこそ最後はごく限られた地域だけだったのでしょうが、江戸~明治くらいまではほとんどの農村で行われていたのです。
「夜這い」とは、若い娘がいる家では自分の娘の性を村の男たちに解放するということです。もしそれを拒否すれば、村八分にされてしまいます。村集団における女の性というのは、男たちの共有財産であり、一方でそれが集団の連帯感を強め、団結して行動できるための制度でもあったわけです。
つまり、婚姻様式としては集団婚的色合いが残っていたと言えるのではないでしょうか。
女が集団の共有財産という意識は、私有意識が前提となる個別婚(私婚)とは間逆の位相にあります。だとすれば妻問婚は個別婚とは言えないですね。
しかし、明治になって日本の西洋化が進んでもなお「夜這い」が残り続けたというところに、改めて西洋とは違う日本の集団意識を感じることができます。
かつて弥生時代に渡来人が私有意識や個別婚という婚姻様式を持ち込み、人口増加も相まって氏族集団がいくつかの集合体となり、集団間の闘争が始まったようですが、元々掠奪もなく私有意識が芽生えていない農村ではその意識は全く浸透せず、その後は近代まで、ずーっと集団婚だったのではないでしょうか。
だとすれば、日本における婚姻制度の大転換は、明治~昭和初期以降、やはり戦後のアメリカ支配の影響だと考えるべきだと思います。
投稿者 hiroaki : 2008年12月20日 TweetList
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