婚姻史シリーズ 母系制婚姻様式(番外編) ダチョウ |
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2008年12月19日
婚姻史シリーズ(6)~西洋婚姻史 1~
現在の婚姻制度とは、私的所有概念をたぶんに含んだ結婚観を基に形成されているが、その大元を辿るには、西洋の婚姻史を押える必要がある。
そこで、今回はその西洋の婚姻史が組み立てられた背景を探索してみたいと思います。
まず、皆さんにとっても身近なところから追求して行きましょう。
結婚式 といえば、思い浮かぶものの一つに、
教 会
があります。しかし、なんで結婚式の時だけ突然キリスト教の式典を行うのでしょう?
まぁ、単にウェディングドレスを着たい から教会式の結婚式を挙げる、というだけの方が殆どのような気がしますが、この教会での結婚式には元々どんな意味合いが込められているのか?なんて考えた事も無い方が多いのではないでしょうか? 🙄
「西洋結婚史」というサイトにまとめられていた内容などを元に、整理してみます。
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■キリスト教と婚姻
紀元前1世紀頃、キリスト教がローマ国教として認められ、その後教会において婚姻関係を結ぶ二人に神の祝福を与える儀式として定着。その儀式によって一夫一婦として夫々が神との契約(誓い)を行い、その後は貞操を守り離婚は禁止、生涯を共にする事を神によって義務付けられる、というもの。
つまり、教会の権力を示し、宗教的儀礼を通じて神=教会の権力に従わせる為のものであり、例えば遺産請求などの際にも、その裁定を下すのは宗教裁判所の決定が必要である、といった契約までもが含まれていた。
後に上記慣例は少しづつ形を変えながら、いずれ近世辺りで民事婚へと形を変え、現在に至るようです。
少なくとも現代の日本での教会式結婚式というのは、まさに形だけの儀式に過ぎず、法的効力は一切持たないが、そもそも神の元での契約行為を導入するに至った背景は何なのか?が気になります。
ローマ帝国の時代とは、大戦乱期であり、多民族間の戦争と統治がひたすら繰り返されていた時代です。戦時中には、落ち着いて結婚式を挙げるなんて悠長な事は言ってられなかったでしょうね。そして、戦乱期においては最も力を持つものが部族を統合しています。この時代の婚姻制度は、全て首長の権力の元に定められていました。闘争圧力の高い時代には、首雄集中婚、そして圧力が低下するごとに、勇者にも嫁を与える形で勇者嫁取り婚へと形を変えていきますが、いずれも首長による裁定 :tikara: が必要でした。
しかし、国家の成立とは、力の序列による安定秩序の成立と同義でもあります。
戦乱期には散々 略奪行為 が繰り返され、周りは全て敵、いつ襲われるかも解らない日々 が続きます。 🙁 このような状態が常態化すれば、人々の意識は必然的に安定秩序を求め始める。そこで、力の序列による身分が制定され、勝者が敗者を従える形で身分を共認する事によって、国家による支配関係が成立する。
この支配関係が一旦形成されれば、私権闘争圧力は低下し、比較的自由な婚姻関係が見られるようになった。初期ローマでは、男女がお互いの同意のもと、同棲を行い、不和が生じれば別れる 、といった状況だったそうです。
さて、これだけでは教会による神への誓いが強制されるに至った背景には繋がりません 。
上記過程において、男女間の意識にはどのような変化があったのか?を、同時に押える事で繋がると推定されます。
という事で今日はここまで。次回をお楽しみに~。
かわいでした。
投稿者 kawait : 2008年12月19日 TweetList
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