| メイン |

2008年11月13日

ピンコロに生きるには?

この写真はデイサービス施設の七夕の願い事短冊だそうです。(リハブログ2さんより)

%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AD.jpg

死の直前まで、元気で皆の役に立ち、コロっと逝ける。ある意味、皆が望む姿ではないでしょうか?
孤独死の話題に引き続き、今日はここん処を考えてみたいと思います。

応援もお願いします

いつもありがとうございます

 にほんブログ村 子育てブログへ

孤独死の真逆で、話題に上がる「尊厳死」と言う物があります。これまでマスコミで扱われている議論は、少々、価値議論に傾いている様ですが、先日こんなデーターが発表されています。

「延命治療望まない」が大幅増 厚労省調べ(JCASTニュース2008/10/28

厚生労働省が2008年10月27日に公表した終末期医療に関する意識調査によると、延命治療を望まない人の割合が大幅に伸びていることがわかった。
一般国民で「延命治療を望まない」と答えたのは37%で、03年の前回調査を16ポイント上回った。医師・看護師で「望まない」と答えたのは、それぞれ52%、54%で、一般国民を大きく上回った。調査は08年3月、一般国民5000人と医師・看護師ら9000人を対象に行われ、回収率は46%だった。

5年前に比べて、延命治療を臨まない(≒尊厳死)人が急増している。
「人権」等の観念で思考停止していた層が、「必要か否か?」と思考起動してきたかと思わせる結果であります。
金融危機、そしてその後に続く、縮小経済下での圧力の高まりは、この傾向を加速させていくと実感している今日この頃ですが、もう少し立ち止まって考えてみたいと思います。

これまでの尊厳死議論が、価値観念止まりだったのはなぜか?
この部分だけを取り出して議論をしてしまうからである。尊厳死を実行するのは医師であり、他人が生命維持装置をはずしたりするわけで、「殺人」という事も、「リビングウィルに従う正当な業務」とも言える。
※リビングウィル:Living Willは、生前の意思という意味の英語の音訳。

写真の短冊の様に、ピンコロな生き様を期待する人は多いでしょう。
これが尊厳なのだと思います。
ところが、周りを見渡して出てくる状況判断は、「不可能」としかならない。
自分の老後をシミュレーションすると、良くて、「定年退職金+年金」→老人フリーター→ボケ→老人ホーム→病院・・・・やがて来る死
でしかない。老人フリーターの初期は少し楽でいいかもしれないが、それ以降はどう考えても灰色。
最近では、年金需給を諦めている若い世代は増加しているし、契約社員、フリーターで過ごしていると、退職金も、年金も当てにならない。
最近のOLが、老後を危惧して貯金に走るのも良くわかる。

老人に何を期待するか?
どう役割を分担していくか?
そのために必要となる組織は?制度は?

ここの議論、施策を抜きにして、「尊厳死」などを議論しても価値観念論争にしかならない。
ましてや、家庭発で老人をどうするか?を考えても答えは出てこない。
家庭という消費の場から、医療を消費と捉えて議論するから「権利」思想に絡め取られてしまうのです。

金融危機を踏まえて考えれば、今後求められる、国力維持、増強の為にも、中心に据える課題なのだと思います。

1つの答えとして、「共同体社会の再生」(るいネット)が上げられますが、今後更に具体的に追求して行きたいと考えています。一緒に考えて生きましょう。是非ご意見ください。

投稿者 gokuu : 2008年11月13日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2008/11/670.html/trackback

コメント

仕事柄、「尊厳死とは?延命治療とは?」と考えることが多いです。
一般国民は、それらをどのように捉えているんだろう?

医療現場では、本人の意思確認ができない状況であれば、家族の意思が本人の意思となることが多いです。
たとえ本人が「延命治療を望まない」と考えていたとしても、家族がそれを理解・受容していなければ、本人の意に反して延命治療を選択される場合もあります。

生とは?死とは??
今後の追求に期待しています。

投稿者 ふぇりちゃん : 2008年11月16日 00:37

すいません・・・
なぜか同じコメントが2つ載ってしまいました。
お手数ですが、1つ削除して下さい。。

投稿者 ふぇりちゃん : 2008年11月16日 09:16

ふぇりちゃんさん、コメントありがとうございます。ダブルコメントの分は、削除しました。

投稿に時間がかかるので、たまに2つ入っちゃうんですよ。

さて、本題ですが、「生とは?死とは??」を考える上で、人間の価値観って一番邪魔だなー、と私は思います。

あるいは、「死=個としての終り」としか捉えられないから、すぐに価値論争になってしまうんだとも感じています。

生と死、いずれも種としての連続性に大きな意味があり、続いている限り全ては終りではない、という自然の摂理に倣って物事を捉えると、段々本質が見えてきます。

今後も、追求は続きますので、ご意見よろしくです♪

投稿者 かわい : 2008年11月18日 17:14

リハブログのおぬきです。
この話題を取り上げていただきまして、ありがとうございます。

つい最近まで全然知らずにおりました。
なかなか有意義なことを書かれていますね。

正直言って、すぐに結論の出るようなものではないですが、
考え続けることが大切なのだと思っています。

また機会がありましたらよろしくお願い申し上げます。

投稿者 おぬき : 2009年5月23日 22:48

コメントしてください

*