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ピンコロに生きるには?

この写真はデイサービス施設の七夕の願い事短冊だそうです。(リハブログ2 [1]さんより)

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死の直前まで、元気で皆の役に立ち、コロっと逝ける。ある意味、皆が望む姿ではないでしょうか?
孤独死の話題に引き続き、今日はここん処を考えてみたいと思います。

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孤独死の真逆で、話題に上がる「尊厳死」と言う物があります。これまでマスコミで扱われている議論は、少々、価値議論に傾いている様ですが、先日こんなデーターが発表されています。

「延命治療望まない」が大幅増 厚労省調べ(JCASTニュース2008/10/28 [2]

厚生労働省が2008年10月27日に公表した終末期医療に関する意識調査によると、延命治療を望まない人の割合が大幅に伸びていることがわかった。
一般国民で「延命治療を望まない」と答えたのは37%で、03年の前回調査を16ポイント上回った。医師・看護師で「望まない」と答えたのは、それぞれ52%、54%で、一般国民を大きく上回った。調査は08年3月、一般国民5000人と医師・看護師ら9000人を対象に行われ、回収率は46%だった。

5年前に比べて、延命治療を臨まない(≒尊厳死)人が急増している。
「人権」等の観念で思考停止していた層が、「必要か否か?」と思考起動してきたかと思わせる結果であります。
金融危機、そしてその後に続く、縮小経済下での圧力の高まりは、この傾向を加速させていくと実感している今日この頃ですが、もう少し立ち止まって考えてみたいと思います。

これまでの尊厳死議論が、価値観念止まりだったのはなぜか?
この部分だけを取り出して議論をしてしまうからである。尊厳死を実行するのは医師であり、他人が生命維持装置をはずしたりするわけで、「殺人」という事も、「リビングウィルに従う正当な業務」とも言える。
※リビングウィル:Living Willは、生前の意思という意味の英語の音訳。

写真の短冊の様に、ピンコロな生き様を期待する人は多いでしょう。
これが尊厳なのだと思います。
ところが、周りを見渡して出てくる状況判断は、「不可能」としかならない。
自分の老後をシミュレーションすると、良くて、「定年退職金+年金」→老人フリーター→ボケ→老人ホーム→病院・・・・やがて来る死
でしかない。老人フリーターの初期は少し楽でいいかもしれないが、それ以降はどう考えても灰色。
最近では、年金需給を諦めている若い世代は増加しているし、契約社員、フリーターで過ごしていると、退職金も、年金も当てにならない。
最近のOLが、老後を危惧して貯金に走るのも良くわかる。

老人に何を期待するか?
どう役割を分担していくか?
そのために必要となる組織は?制度は?

ここの議論、施策を抜きにして、「尊厳死」などを議論しても価値観念論争にしかならない。
ましてや、家庭発で老人をどうするか?を考えても答えは出てこない。
家庭という消費の場から、医療を消費と捉えて議論するから「権利」思想に絡め取られてしまうのです。

金融危機を踏まえて考えれば、今後求められる、国力維持、増強の為にも、中心に据える課題なのだと思います。

1つの答えとして、「共同体社会の再生」(るいネット [3])が上げられますが、今後更に具体的に追求して行きたいと考えています。一緒に考えて生きましょう。是非ご意見ください。

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