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2008年10月02日

学校ってどうなってるの?74~映像化の歴史と映像離れ現象

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「日本テレビのデモンストレーション」~「テレビCM史研究拠点」 さんからお借りしました

学校ってどうなってるの?73~「活字」から「映像」へ→同化能力衰弱 では、明治以降の市場化が映画やテレビなどの映像化の流れを促進したこと、その結果同化能力や思考能力の衰弱を招いたことについて考えてみたが、今回は、こうした映像化の歴史の背後にあったアメリカの戦略と、最近の映像離れ減少について考えてみたい。

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③映像化の歴史とアメリカの戦略 

「映像」と言えば「映画」 「テレビ」が代表的。

映画は戦前前後が全盛期であり、人々は熱狂的に収束した。
テレビについては、1953年にNHKと日本テレビが相次いで開局し、1960年代が全盛期。因みに日本テレビは正力松太郎によるが、彼はA級戦犯容疑をかけられながらも裁かれなかった見返りにCIAのエージェント(コードネーム:ポダム)としてアメリカの反共政策、日本支配政策に従って日本テレビを開局した。
以下は、戦後テレビを使ったアメリカによる日本の共認支配戦略について。

■「アメリカの反共政策「ヴィジョン・オブ・アメリカ」」より

戦後においてVOAは、ソ連のジャミングにより共産圏への効力が失われ、こうした勢力に対抗すべく、アメリカは1950年に新たに「ヴィジョン・オブ・アメリカ」 という計画の構想、発表を行う。この提唱者がカール・ムントである。

この計画は、反共政策としての防衛ラインに位置する東アジア地域に、映像メディアを流すことによって、共産主義勢力に対する心理戦上の防波堤とする もので、ムントはその内容を以下のように述べている。

『要約しますと、私が該当地域(トルコ、日本、インドネシア、フィリピン)に提案している通信システムは、テレビを含む包括的なものであります。(中略)適切なテレビ番組を持った通信システムは、国家の統合と発展を約束し、共産主義に対する効果的で強固な防壁を築くでしょう。

大統領閣下、私はテレビというメディアを占領下の日本やドイツに設置することによって、どのようなことが可能になるかを考えずにはいられません。(中略)これらの人々の哲学を議論やラジオ番組や印刷された本やパンフレットで変えるということは難しいことです。

ですから、彼ら自身の目で見るように仕向けようではありませんか。(中略)彼らに民主主義と、それがアメリカのなかでどのように機能しているかを見せようではありませんか。これとの比較によってアジア型の専制政治と無神論的物質主義とを持った共産主義が彼らに何をもたらすのかを見ようではありませんか。』

 

しかし・・・1990年代テレビに対する収束力は衰弱し、その後、テレビをはじめ、特に若い世代での映像離れが進行しつつある。

④映像離れと「実物収束」の潮流 

そして、それに代って新たな共認形成ツールとして台頭してきたのがインターネット。
当初は単なる便利情報探索や娯楽のためにした使われていなかったネットも、昨今の事実収束⇒勉強収束の潮流下にあって、テレビをはじめマスコミが流さない事実や認識を追求するサイトがぞくぞくと登場しつつある。
テレビからネットへの移行は、映像化によって破壊された観念機能の再生を促していく可能性がある。

■「感応回路を刺激する⇒TV、 観念で危機を認識する⇒ネット」より

TVは、肉体的に感応しやすい形で報道する。共感(多くは自我刺激の)や笑いを伴って、または肉体的な危機感を直撃する事件などを映像と音で訴えかけてくる。
しかし、TVが普及して40年も立つが、現代的な危機・課題は解決するどころか、

>支配観念に絡め取られて突破できずに終わるor専門家(統合階級)に委ねられてしまう。(同上)

・・・の通りで、傍観者を大量生産している。この傍観者達は、今や、身近な肉体=健康のことしか眼中にないような人も多い。

>感応観念(価値観念や規範観念)はもはや無用になったのである。

感応観念をばら撒くTVも、もはや無用になったのだ。

今ネットから様々な危機発信(マスコミ不信、日本の危機etc)がなされるのも、観念によってしか認識できない問題の位相を察知し、可能性収束しているからだと思う。可能性はネットにある。

 

そして、若者を中心に映像離れが進行しはじめた・・・

以下はWikipedia「テレビ」より

NHKの行った「国民生活時間調査」によると、日本人のテレビ視聴時間は平均4時間、日曜日は5時間以上。70代以上は平日でも男女共に5時間以上テレビを見ている。一方、20代男性だけはテレビを見る割合が5年前と比べてはじめて8割を下回り、「全く見ない」という人も20%存在した。
10代から20代の若年層については、テレビの視聴時間は年ごとに減少している[1]。昨今の若者にとって、あくまで受け身のテレビというメディアは魅力に薄れ、その時間を携帯電話やインターネットを用いての他者とのコミュニケーションに使う傾向、また『YouTubeやMixiのほうが遥かに魅力的』であることなどが背景にあるものと見られている。

それは、豊かさが実現したことによって、そもそも映像化が進んだ背景にある市場拡大が停止したこと。そして、それに伴いかつて失われた本源的な共認充足が現実世界の中で再生されてきた・・・つまり、映像を代表とする代償充足を求める必要が無くなってきたからではないだろうか。

■「人々が幻想刺激(テレビ)を捨て、観念体系(≒知の結晶物、鑑、経典)に収束する基盤は、【現実、実物収束】の潮流にあるのでは?」より

次代に必要とされる観念体系(≒知の結晶物、鑑、教典)は、「事実認識の体系=生物史を含む歴史認識体系」である。<

現状、観念収束の主たる敵対物、競合物である映像刺激、幻想刺激(テレビなど)は、視聴率を低下させてきてはいる。
しかし、改めて、それはなぜなのか。人々の収束不全に対して全く答えを出せないからと、これまでは考えてきた。しかし、もっと別の力が働いているのではないか?まだ、掴んでいない実現基盤(テレビ衰退の根拠)があるのでは?

>実は『実物収束』によって大きく包括されているという事が最近分かった。 具体に言うと、映画を見ると感情移入して見入る旧い世代に対し、客観的に非現実と捉えながらその背後等に肉薄して見る若者達。そういった若者達は、同じ金額を払うなら非現実の映画より、友人と食事をして会話を楽しむといった実物を選ぶというのである。<

かつて、映画にしろ、テレビにしろ、映像刺激、幻想刺激への収束が成立した根拠は、共同体の解体→解脱基盤の喪失にあった。しかし、現実の仲間関係→共認充足に収束する若者は、最早たいして幻想刺激(代償物)を求めてはいない。

’70共認原理へ転換し、’90~仲間収束、規範収束、そして今や人々は現実課題収束している。これは幻想刺激から離脱し、現実の中に充足基盤を求める『現実、実物収束』の潮流である。そして、開かれた現実に向かっていく以上、現実を真正面から対象化した観念体系が求めらるのは当然だ。

この【現実、実物収束】の潮流こそが、テレビ(幻想刺激)を無用のものとし、観念体系(≒知の結晶物、鑑、教典)への収束を生み出していく のではないか。

 

・・・今や『映像』⇒『観念』の流れが生起しつつある。市場化によって衰退した同化能力と観念機能が再生されていく実現基盤は既に整っていると考えて良いのではないかと思う。

投稿者 kota : 2008年10月02日 List   

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