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2008年07月04日

家族(家庭)=血縁の集団 は常識か?

「江戸~明治期における親子関係の変化」(かわい さん)でまとめてくれた流れの、村社会での親子関係を探ってみます。

集団間外圧->村の大人=親達 ⇔ 村の児童=子ども達
          ↓       (取り上げ親、名付け親、拾い親、烏帽子親、
          ↓        仲人親、ワラジ親、職親等)                  
        村の財産-->【群れの教育】(生物学的親子関係)
                   若者衆・男宿・女宿

の部分です。

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この群れ写真はコチラから

現在では常識?かもしれませんが、その昔、村落共同体では、村の男(達)、村の女(達)、村の子供(達)であったわけで、集団が血縁である必要はなかった。
実際、村では、夜這い規範なども有り、どの子が親が誰なのか?良くわからなかったようですし、解からなくても何も問題はなかった。
かなり大らかで、何があっても安心な生活基盤だったようです。

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ちと話は飛びますが、動物の群れ(野生の馬や牛の大集団)の中では、我が子、自分の親は見分けられそうに有りませんし、その必要も無い。
「哺乳類の集団性は淘汰原理でもあるから進化原理である。」(るいネットより)にもあるように、子供は群れの中で、群れの(適応)原理に育てられているのです。

そういえば、昔テレビで、犬の母親が狸の子供に乳をあげているシーンを見た事が有ります。
同じ哺乳類であるというだけで、「育てる」という本能がしっかりと働くのでしょうか?
血縁家族に拘っている現在の人間達の常識は、何か根本的にズレているのかもしれません 😯
そもそも、現在の日本人が時たま拘りを持つ「血縁」は、私権に基く父系制が基礎になっている。その大元は、儒教の思想「孝行」ってやつです。
しかし、昔の村落共同体では、(先に触れたようにおおらかであり)血縁に対する意識は薄く、親子関係は共同体の中でやんわりと認識されていたに過ぎない。

どうも、時代が江戸から明治に移行する過程で導入された制度によって、「血縁家族」という常識?が認識(植えつけ?)され、強化されていった可能性が高い。

そういやあ 今でも、「親父(オヤジ)」と呼ばれる人は結構居る。
家族的な中小企業の社長もそうですし、親しみもてる壮年の方をオヤジと呼んだり、ヤ○ザの世界でも・・・・いっぱいいる。

ってことで、日本の、色んな親を調べてみました。
引用は、コチラからです。

まずは「親分子分」ってなに?
「親分子分」の発生
わが国の家族制度は、古代においては、大家族制度であり、一戸の戸主は、絶対的の主権を有し、なお家族全員の生活を保障していた。その大家族制度は、社会、経済のすすむにつれて、次第に崩壊して分家を生ずることになり、その分家は本家に対し従属的関係を結び、主家がその生活保障をするのに対し、分家は労役的仕事をするようになってきた。それは次第に小作人的に変化し、主家の土地をたがやし小作的物品を納入するようになったが、物納をしなくて労役を無償で行なう「なご」の制度が、土地関係や経済関係とは別に社会的にはいってきて主従関係を結び親分子分の関係を生じた。

この「親分子分」の親分ってなに?
親分とは
 親分には名付親取上親鉄漿付(かねつけ)親拾い親ワラジ親などがある。
 また、祝言の際には仲人の他に親分をとる。その親分を選ぶには、同族の有力者だから頼む、あるいは近所だから頼む、人物だから頼むなどいろいろあるが、親分となるといろいろ出費がかさむので、相当富裕な家でないと簡単には引き受けられない。

そしてこの親分の種類とは?

「名付親」
子どもに名まえを付ける場合に他の人に頼んでつけ、その人に名付親になってもらった。これは封建思想の遺物として親分子分の関係を残した。特に子どもが病弱であるとか、親の厄年に生まれた子どもとか、成長が危ぶまれるような場合に昔は「拾い親」「養い親」などの仮親をたて、その人に名付親を兼ねてもらうことが多かった。

「取上親」
子どもが生まれる時産婆の代りに取り上げる女で、親分の妻が普通であったが、最近は産婆さんにとりあげてもらうとか、妊娠すると定期的に産婦人科の医師に診察をといわれ、お宮の前や橋のたもとに捨て、それを予めお願いしておいた拾い親に「箕(み)」で拾い上げてもらうことをした。

「ワラジ親」
他所からこの村へ入った人がこの村に住みつくとき、誰かの厄介になった。屋敷のはなれ座敷を貸してやるとか、あき屋敷を買って入れてやるとか、村持山の入会山やそのほか共同の権利など早く取得できるように努力してやったりしたのでこの名ができた。

少し調べただけでもこれだけの「親」が見つかりました。

しかも、結構最近まで、この様な風習は残っていたらしい。

親と呼べる人が沢山いる事は、Well came OK! Pleaseなわけで、「血縁の家族」に拘っている方が、窮屈な気がしてきました。
しかも、動物達に視点を広げて、生物原理に同化してみれば尚更。
現代の家庭における数々の問題は、血縁の家族に拘り始めて以来、発生しているのかもしれません。

そもそも、明治時代は個人が原点、他人は信用できない、といった西洋の近代思想を移入し始めた時代。
周りがみんな敵に見え始める時代潮流の中で、「せめて肉親だけは裏切らない、裏切れない」と、すがり付いたのが「血縁家族」なのでしょうか?

投稿者 gokuu : 2008年07月04日 List   

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