生物進化史から学ぶお産と子育て8~オスの性闘争本能と集団適応~ |
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2008年07月03日
江戸~明治期における親子関係の変化
先日から追求している江戸~明治にかけての親子関係の変遷を追うに当って、とてもよくまとめられた論文が見つかりました。
明治近代以来の法制度・社会制度にみる
児童の養育責任論とその具体化に関する分析
明治期の法制度を元に、当時の親子関係がどのように推移して行ったのか?
時代区分と当時の集団・社会を取り巻く外圧、という視点を交えながら、ざっと流れをまとめてみました。
人力車のように駆け抜けた明治時代とは、現在の国会のウダウダ論議とは異なり、目に見えて社会構造が激変していった時代であったようです。画像はZ旗ブログさんからお借りしました。
さて、まとめを見る前にいつものクリック、お願いします。
時代区分 外圧 親子関係
江戸時代 自然外圧-->村落共同体規範
集団間外圧->村の大人=親達 ⇔ 村の児童=子ども達
↓ (取り上げ親、名付け親、拾い親、烏帽子親、
↓ 仲人親、ワラジ親、職親等)
村の財産-->【群れの教育】(生物学的親子関係)
若者衆・男宿・女宿
明治時代 対外国圧力->軍事力増強
→ 国民国家(法治国家)形成⇒国家統合力増強
市場拡大-->徴税制・徴兵制
→共同体規範解体+家父長権制定:明治4年戸籍法
序列圧力-->国家を頂点とした圧力を末端(子ども)にまで適用
キリスト教-->家族(ホーム)論 婦人宣教師による私権観念教育
個人主義-->子どもの扶養・養育=親の責任(親権)
1898(明治31)年 身分法
未成年者喫煙禁止法(親の児童喫煙の制止義務)
良妻賢母の育成=国家の為に良く教育された子どもを
育てるのが女の役割として評価される仕組み
1899(明治32)年 高等女学校令
家制度の確立=近代家族の成立
戦争圧力-->感化法(明治33年):国家>家父長>児童
近代化圧力->工場法(明治45年)
女工・幼年労働者は親の許可不要
(国家としての生産力UP優先)
家事・子女教育を目的とする女子教育振興
昭和初期 国策としての養育を制度化
1937(昭和12)年 母子保護法
二次大戦 GHQ統制-->家制度の解体
→1946年 男女平等、父母共同の親権
核家族制度の確立:婚姻家族が家族の基本
養育に関する自己決定権を親が有する仕組みへ
経済成長-->都市化・核家族化の進行 |
豊かさ実現->貧困圧力・生存圧力の消滅 ↓
収束不全-->各家庭が養育責任⇒何に対する責任なのか?
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『人それぞれ家庭の誕生=自己中増産装置』
落合恵美子によれば、近代家族の概念は①家内領域と公共領域の分離、②家族成員相互の強い情緒的関係、③子供中心主義、④男は公共領域、女は家内領域という性別分業、⑤家族の集団性の強化、⑥社交の衰退、⑦非親族の排除、⑧核家族、の8 点に特徴づけられる(9)。落合の言説を養育責任論の視座から読み直せば、共同体内に分散していた養育機能を、まず身分関係法が「家」の内部に集め、それ以後、社会諸法と近代化によって変容した人々の考え方や習慣が女性が我が子の養育に専心することで「家」運営に参画していくよう方向づけたと整理できる。
以上、ざーっと現代までのセンテンスを含めて一気に羅列してみましたが、上記の流れの中にも沢山のなんで?が見受けられます。
そこで、まずは上記項目の中から、なんで?の抽出+追求によるリレー記事を投稿、それらを再度まとめた図解を完成させて行きたいと思います。構造化の為には、まずは事実追求から。みなさん、気付きや情報をドンドンお寄せいただけたら、と思います。
ちなみに、今日引用した論文は、厚生労働科学研究成果データーベースというサイトの一部です。相当な数の論文が掲載されており、今後も参考にできる優良サイトとしてお勧めです。色々と検索してみて下さい。
かわいでした。
投稿者 kawait : 2008年07月03日 TweetList
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