| メイン |

2008年02月02日

学校ってどうなってるの?45~明治の教育・・・分析の視点

37-01.jpg
「福沢先生若き日本に西洋文明を教ふ」 北沢楽天画
(画像は「早稲田大学図書館WEB展覧会第33回」http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/shozo/よりお借りしました)

学校ってどうなってるの?シリーズでは、No.40以降、明治時代の教育の在り様について、江戸時代から連なる外圧状況の変化や家族制度の変化などを踏まえつつ、解き明かしてゆく所存ですが、45までの投稿を元に、今後分析してゆく上での視点や、更なる疑問点=追求ポイントをまとめてみたいと思います。

ポチっとお願いします

 にほんブログ村 子育てブログへ

<時代状況~外圧の変化>

※大きな流れを見ていくと・・・
・幕末にペリー来航。→鎖国終焉し開国。日米和親条約、日米友好通商条約などが結ばれる。
・福沢諭吉による「西洋事情」により、薩長、徳川幕府とも、中国に代る新たな外圧としての欧米諸国の脅威を認識。(←阿片戦争で清敗北)また、福沢の思想は、「富国強兵」「文明開化」などの国家戦略に影響を与えたよう。
・そんな中、薩摩藩、長州藩は生麦事件、薩英戦争、英米仏蘭連合艦隊との交戦などを通じ、欧米諸国の威力をまざまざと認識。⇒坂本竜馬(フリーメイソン?背後にロスチャイルド?)の仲介で、薩長同盟結成
・薩長同盟主導のクーデターによる大政奉還→王政復古の大号令→明治新政府樹立
・ロスチャイルド系グラバー商会からの購入した武器による優位を背景に鳥羽伏見の戦いなどを経、幕府敗北。江戸城無血開城。→幕府残党も降伏し戊辰戦争終結。
・福沢諭吉の思想を反映し(?)、明治政府より「五箇条の御誓文」が発布される。
・版籍奉還→廃藩置県により、幕藩体制終焉。地租改正(土地私有の開始)を背景に「家」制度開始。

・・・となるわけですが、教育を考える上では、以下の視点での整理が可能ではないかと思います。

■「国家」として、欧米による掠奪闘争という外圧にいかに適応するか?

・大きな流れとしては、黒船来航以来、欧米による縄張り闘争圧力、侵略圧力といった外圧に直接晒され、その力をまざまざと思い知る中で、その状況に適応すべく、試行錯誤しながら非常に短期間で教育制度も含め、あらゆる社会制度や文化を改変した時代と言える。
・・・体制転換の凄まじいスピードから、日本全体にかかる外圧の大きさを前に、下手に内部対立をしている暇も無かったのではないかと推測される。(敵同士の薩長、徳川両者が「西洋事情」を熟読していた点、あっさり徳川が江戸城を無血開城したあたりが象徴的。)
・そして、現実に明治維新より40年弱という短い期間でロシアを破るほどの軍事力を身につけるに至った背景には、江戸時代来の、お上から庶民まで教育を重視する姿勢や勤勉性が奏功したことは間違いない。
「学校ってどうなってるの?40」によれば、当初比較的自由な雰囲気の中でスタートした制度も、年を追うごとに 「国家のため」のものへと変遷してゆく。)
・また、身分に囚われずに全国民から有能な人材を登用できる“単線型”のシステムも、短期間での成長を可能にした一要因ではないか?

■国家戦略の背後に“金貸し”=国際金融資本の思惑

※こうした流れの中で見逃してはならないのは、日本を開国させ、近代国家へと変えてゆく中で金儲けを目論んだと思われる国際金融資本の存在。
・開国の原動力となる薩長はロスチャイルドの支援を受けていた。
・生麦事件や長州藩の連合艦隊との交戦も理由が明らかでんく、どこか怪しい・・・嵌められた?
・「富国強兵」「殖産興業」「文明開化」・・・これらは全て彼らの金儲けのネタとも言える?
・これら明治政府の基本路線に影響を及ぼした福沢諭吉って何者?どんな人?
・やがて金貸しによる支援で日清戦争、日露戦争へ・・・そして、満州国建国→太平洋戦争へ。

■共同体の解体→「家」制度へ

※国家レベルでの外圧適応のための諸戦略と関連し、庶民レベルでも意識の転換が進んでいく・・・
・土地の私有を許された「家」を末端単位とした序列制度、私権制度の開始。
・・・来るべき欧米との戦闘も視野に、全国民を統合するための序列体制の整備を急いだ?結果、共同体の崩壊が始まった?
当時の私権意識の状況は?庶民レベルでの学問への期待は?

■「教育」の変遷と理念

・福沢諭吉による当時のミリオンセラー「学問のすゝめ」の理念と、教育制度への影響とはどんなものだったのか?
(彼が設立した慶応義塾は現在も存続。当時の設立理念は?)
「学制」(M5年)や「教育令」(M12年)など、短期間に何度も修正された国家レベルでの教育制度の理念は?
また、「学校はどうなってるの?41」より、日本の教育制度の特徴として、 「身分に寄らない単線型」「高い義務教育就学率」「競争的性格」などが上げられているが、庶民レベルでは、どのような意識だったのか?何のために競争したのか?(・・・お国のためなのか?己の私権獲得のためなのか?)
・明治(M13年)から昭和前半における筆頭教科である「修身」とは、どのような中身だったのか?国民教育の目的は?
・明治の教育の根幹を成すものとして発布された「教育勅語」(M23年)とはいかなるものだったのか?理念、目的は?(一般的には軍国主義化を目的としたものだとされているが、本当?)

■江戸(近世)⇒明治(近代)へ・・・転換の早い日本人

・ちょんまげ、刀、着物を捨て、一気に欧米化し、短期間で彼らと肩を並べるに至る日本人の転換の早さには驚かされるが、急激な変化に国家として持ちこたえられたのはなぜか?
⇒政府主導で取りあえず形から西洋的な体制に転換してみたが、実は庶民の生活はそれほど変わらなかったのでは?実際、戦後も夜這いなど、村落共同体の規範は一部に残っていた。当時の庶民生活の在り様は?
・しかし、短期間で近代工業国家へと成長したのは紛れもない事実であり、日本人の勤勉性がその一要因であることは間違いないが、こうした国民性への教育の影響は?

そして、現代・・・貧困の消滅によって、明治以降の序列体制はみるみる力を失い、国家の統合力はガタガタに・・・また、国際金融資本による日本支配は確実に進行・・・しかし、明治期と異なり、現在の政治家はかれらに盲従するばかりで無力そのもの。
こうした状況下、私権原理から共認原理へのパラダイム転換期に、この“転換の早い日本人”は再びその特質を発揮できるのだろうか?

投稿者 kota : 2008年02月02日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2008/02/461.html/trackback

コメントしてください

*