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2007年11月27日

学校崩壊―前夜~その後

子供に対して、教育・指導が出来なくなったら、最早、教師でもなければ、学校でもなくなる。
マスコミの報道に対して、教師からマスコミに寄せられた手紙、そしてインタビューという形で、教師と子供、親そして、それを報道するマスコミとの関係が綴られているHPより
教師が語る―体罰はなぜ―1998年7月
日付からすると、もう10年近くも経とうとしている。

その中から読み取れるもの

・子供の自己中⇔親の権利要求
・マスコミの事実を報道しない偏向報道
・戦後教育の個人主義思想+それに立脚したマスコミ報道

そんな中で、教師は、萎縮し、子供の指導・教育が出来なくなっている。
教師は、子供に何も手出しできない。授業で一言もしゃべらない教師も現れている(これは、極端な例だが)。

周りが迷惑しているとか、どう思っているのか、どうしたらいいのか、感じられない、解らない=自己中の子供。
そういう子供に育てた親も自己中の可能性が高い。

一部の子供であれば、周りの“白い目圧力”で封じられていくが、それが常態化したら、学級崩壊⇒(自己中なまま大人に成り、自己中だらけの社会→)社会崩壊に成りかねない。

10年が経って、

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益々、悪化の一途を辿っている≪親≫
本ブログでも取り上げられている教育現場に無理難題を要求してくる“モンスターペアレント”
増殖するモンスターペアレント

一方で、(まだ一部であろうが)体罰を犯しながらも、児童と保護者からの信頼を下に復職した≪先生≫の例もあがってきている
体罰教師、保護者の署名で復職 ~教育の場も変わりつつある?~

≪子供たち≫は?
るいネットより
授業収束、素直さ、仲間収束、表層化、遊びを企画できない・・・新世代の「主体性の喪失」

現在の30前後以下の若者達、引いては子ども達は、旧世代と比較して大きく変化し続けている。その違い・特徴は、以下の5点挙げられる。
・授業収束、資格収束
・異常に素直
・仲間収束
・表層的な仲間関係
・自分たちで遊びを企画できない

主体性の喪失から、主体性の再構築へ

喪失してしまった主体性を再構築しようとする。主体性を再構築しようと、潜在思念が『意味』の探索に入る。
(中略)
つまり、現在は主体性ゼロの状態から、主体性の再構築という過程に入っており、それはとりあえず意味の探索に向かう。この意味の探索において、最初に見つけた意味が仲間である。そして、仲間を飛び越えて、社会的に意味がありそうな課題(勉強、授業)への収束し始めた。この手順で主体性を再構築し始めている。

ネックは、モンスターペアレントを始めとする社会に向かえていない自己中な親や大人なのかも知れない。

投稿者 sodan : 2007年11月27日 List   

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