| メイン |

2007年11月29日

書籍紹介:『普通の家族がいちばん怖い』

305851.jpg本日は、書籍『普通の家族がいちばん怖い… 徹底検証!破滅する日本の食卓』(岩村暢子・著/新潮社)を紹介します。

これまで当ブログで、『書籍紹介:現代家族の誕生-幻想系家族論の死』『食の変化に見る家庭の実態』、で取上げられた岩村暢子氏の書籍です。

今回もこれまでと同様に現代家族を知るための実証考察。1999年末から翌年および2004年末から翌年にかけ、それぞれ約110の世帯とその主婦について2度実施した調査の結果報告書。主婦に食事日記(写真も添えてもらう)を書いてもらい、回収しあと、さらに半数強の60人の主婦を対象に集団インタビューを行ったものです。

先日読み終わったところですが、読み進めていくとタイトルにあるように現代の家族の「怖い」実態が浮かび上がってきます。毎日新聞にこの本を取上げた書評があったので紹介します。

その前にポチッ、ポチッとお願いします。 😀

 にほんブログ村 子育てブログへ

●毎日新聞:今週の本棚・松原隆一郎評

 ◇なぜクリスマスに情熱を傾けるのか

 これは、怖い本だ。著者もそう書名で述べている。まったく同感だ。

 だがそう言えば、多くの読者は反発するに違いない。「いやこれ、ウチの日常だよ。『怖い』なんて、ひどくない?」そう怒りの声が聞こえてきそうだ。というのも本書は、1999年末から翌年および2004年末から翌年にかけ、それぞれ約110の世帯とその主婦について2度実施した調査の結果報告書だからだ。ここに描かれるのは、現代のごくごく普通の家庭像なのである。

 たとえば第2次調査では、家にみんないても元旦の食卓に家族が揃(そろ)わない家庭は、4割に上っている。ある家庭では、元旦のテーブルに「袋入りのロールパン、菓子パン、シリアル、インスタントコーヒー、みかん」などが無造作に散乱している。11歳と9歳の子供が各自起きてバラバラに食べた跡である。そもそもこの家庭には、普段から家族で食卓を囲む習慣がない。

 では家族で食事が盛り上がる日はないのかといえば、実は存在している。クリスマスだ。中高生になってもサンタクロースがプレゼントをくれる(ことになっている)家庭は、第1次調査では2・6%。ところが5年後には47・8%と、20倍近くに急増した。「サンタさんに頼んである」という子供のリクエストに応え、ゲームソフトを「死に物狂いで東京中を探し回」る親、ご近所に頼みチャイムを鳴らして玄関にプレゼントを置いてもらってまでサンタの存在を信じさせようとする親も、稀(まれ)ではない。

 このデータを信じがたいと感じる向きもあるだろう。だが調査の手法には工夫がなされ、かなり手堅いものである。まず食卓の風景から当該家庭の性格が読み取れるとみなし、事例として年末年始の二大イベントであるクリスマスとお正月を取り上げる。選択式アンケートでは質問者が予期していない答えが拾えないから、回答としては食事日記を書いてもらう。しかし記述が本心を述べているのか定かではないから、物証として写真も添えてもらう。これらを回収し読み込んだあと、半数強の60人の主婦を7グループに分け、集団インタビューを行う。その発言録を再構成した成果が、本書である。

 近接する行事のうち伝統とされるお正月が疎んじられ、所詮は商業イベントでしかないクリスマスに驚くべき情熱が傾注される。この二面性には、現代家族の心情がむき出しになっているかのようだ。無数の引用からは、主婦たちの生の声が聞こえてくる。

 「お正月に夫の実家へ行くと、うちの母なら『いいよ』って言ってくれるのに、義母と台所でカニとかタコとか切ったりするんで『女って辛(つら)いなあ』って涙が出そうになります」<32歳>、「クリスマスにロブスターを焼いたら、もっと海老が大きい方がいいと、丶お子様(11歳・10歳)から丶アドバイスがありました」<35歳>、「子供が足を投げ出して食べているとうるさく注意するし、箸(はし)の上げ下げも言う。せっかくご飯食べてる子が、それじゃあ美味(おい)しくなくなっちゃう」<37歳>……。

 夫の実家で「お客様」でないと涙が出る嫁、自分の子のワガママを「お子様のアドバイス」と表現する母、夫の躾(しつけ)を疎ましく感じる妻。勤め先で人間関係に気を遣う夫には聞かせるのもはばかられる発言だが、いつの間にこうした主婦が登場したのか。著者は、雑煮について夫の家の味に配慮するか「私好み」で通すかの境界が1955年生まれ(現在52歳)にあると推定している。40代以下の主婦は、「私の好み」を家族に優先する傾向が強いという。

 そうした主婦たちは、奇妙な家族像を抱いている。お節は食べるものでなく「見せる」もの。お手伝いは「思い出づくり」。家族は本来バラバラで、イベント日に楽しく盛り上がる「ノリ」によりかろうじて繋(つな)がっている。子どもの「ノリがいい」とは中高生になってもサンタを信じることであり、現実に目覚め思い出や夢に燃えなくなれば繋がりは絶えてしまう。いつまでもディズニーランドで楽しめるノリが家族の構成要件であるらしい。

 もっともこれは、伝統や慣行よりも個人の自由を尊重してきた戦後社会の然(しか)るべき成り行きであり、携帯電話が登場した頃から現実化しつつあった事態ともいえる。たとえ食卓を囲んでいても、子供たちの気持ちは目の前の親よりも自室からメールする友だちに向かうようになっている。親たちはうるさく口出しして嫌われるのを恐れ、かろうじて夢や思い出に繋がりを託すようになって、この陽炎(かげろう)のような家族が現れたのである。

 主婦たちは子どもに対し、躾ければ嫌われる、行事のいわれを説明すれば疎んじられると感じている。これは、裏を返せばコミュニケーションへの信頼が極端に低下したということでもある。親が子どもの心を推し量れないのも、当然だ。

 あなたはこの現実を怖いと感じますか、普通と感じますか。

’70の貧困の消滅とともに“豊かさ実現”が社会や家族の目標・課題となりえなくなり、そして現代の家庭では、「自分の好き嫌い」で食事が作られ、家族いっしょを実感するには特別な“楽しい”イベント(クリスマスなど)ぐらいしかなく、嫌われるのを恐れ子供に媚び売る親たち、という現代の家庭の実態が浮かび上がってきます。

まさに、現代の家庭は、「モンスターペアレントの巣」であり、「自己中な子供」を量産する場でしかないことを実感してしまいました。

みなさんも是非読んでみてください。最後に本書の目次を紹介します。

プロローグ 普通の家族を知りたい
  サンタに手紙を書く18歳の男の子
  「夢」のない子って怖い
  殺伐とした元旦の食卓
  「フツウの家族の実態調査」について

第一章 してもらえる「お客様」でいたい
  上げ膳据え膳してもらうお正月
  「女って辛い」主婦の本音
  伝わらない御節
  いまどきの嫁の気遣い
  お年玉を貰う親たち
  テレビに門松、ポプリのお屠蘇
  お正月なんて「やめたい」

第二章 好き嫌いで変える
  キッチンもトイレもクリスマス
  クリスマス料理は舞台装置
  やりたいことだけ「伝承」
  雑煮の味も「私の好み」
  「決まってること」は苦手
  自分ペースで「一緒」に
  無理しない、頑張らない
  反転する「私」

第三章 子供中心、私中心
  子供を「喜ばせたい」親たち
  「子供」はツール
  「お子様」は主役
  子供に媚び売る親たち
  「子育て優先」の実態

第四章 うるさい親にはなりたくない
  「見せて」伝える伝統
  語らない親たち
  みんなと同じにしてあげたい
  「好きにさせる」お手伝い
  思い出作りしたい親たち

第五章 一緒にいられない家族たち
  麦茶、牛乳のお屠蘇
  バラバラが嬉しいお正月
  子供の数だけツリーとケーキ
  喪中より受験
  みんなが触れ合う日
  ハレの日だけ「家族一緒」

第六章 ノリで繋がる家族
  「楽しい」ことがいちばん大事
  現金掴み取りで燃える
  盛り上がれば「一緒」
  子供を躾けない理由
  偽装する家族

第七章 普通の家族がいちばん怖い

エピローグ 現実を見ない親たち

あとがき

投稿者 sachiare : 2007年11月29日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2007/11/403.html/trackback

コメント

目次を見るだけでも、するどい考察が沢山並んでいる事が見て取れますね。

<エピローグ 現実を見ない親たち

ここが、本書の言いたい最大のポイントでしょうか。そのような家庭環境で育つ子は、将来モンスターチルドレンとして世に憚るのが目に見えている。

かと思う一方で、そんな家庭に愛想を付かした子ども達が、新しい社会を家庭の外に築いていくのかもしれませんね。

投稿者 かわい : 2007年11月30日 13:31

興味を持って拝見いたしました。

各ご家庭は、家族をつなぎ止めるための話題=課題作りに必死なのだと思います。

最近では、お受験に精を出すお父さんが増えてきましたが、これなども家庭という集団を維持するための共通課題なのでしょう。

しかし、無理矢理作り出した課題はどこか無理があり、社会から必要とされていることは何なのかを親が把握することなしに、「課題」を作り出したところで、亀田親子が大量生産されてしまうだけなのだと思います。

投稿者 watami : 2007年12月1日 21:47

元旦の食卓に、ロールパンとシリアル・・・^^;

以前、NHKスペシャルで「好きなものしか食べたくない」という、ドキュメンタリーをやっておりました。http://www.nhk.or.jp/special/onair/060604.html
その中では、子どもの朝食にロールケーキを与える親が出ていました。同じです。
その親の言葉は、
「朝は起こして学校に行かせるので精一杯」
「仕事に行くので朝食を準備する時間はない」
「これなら食べてくれるから・・・」
といったものです。

正月も日常と一緒、クリスマスは出来合いのもの買込み食卓にならべるだけ。
「子どもが喜ぶものを・・・」と、我が子の顔色ばかり窺う親が築く家庭。

そこに見えるのは、取り繕いながら何とか関係を装っている“家族”、形骸化した人の集まりだけです。

投稿者 pochi : 2007年12月1日 23:18

紹介した本によれば、家族が一緒にいるには「ノリ」が必要なようです。

「ノリ」とは、「ノリが良い、ノリが悪い」という「ノリ」。まるでコンサートやイベントです。

>そこに見えるのは、取り繕いながら何とか関係を装っている“家族”、形骸化した人の集まりだけです。

確かにそのようです。「ノリが良い」といっても、そこから充足感は伝わってきません。今、改めて“家族”って何?が問われているのだと思います。

投稿者 sachiare : 2007年12月6日 21:42

るいネットから参りました。
勉強になる記事ばかりで共感させられるものも多く、理想を追い求める事の素晴らしさを感じます。また、実際に子育てを終えたばかりで記憶も新しいことから、子育てや教育の記事を特に熱心に読みました。
家族、親子など血縁に関係なく、人間関係の基本は相手の尊厳を踏みにじらない配慮と信頼で構築するしかありません。難しいことですが、家族も同じです。女性(母親)は長期間悩んだり迷ったりする暇などありません。一日一日が真剣勝負です。子どもはすぐに成長してしまいますから。男性が悩んで理論的に結論を出すのでは遅いのですよ。脳の機能の役割りが違うのでしょうね。

投稿者 まあ : 2013年9月4日 00:22

コメントしてください