家族を取り巻く環境の変遷~郊外ニュータウンと公共性。 |
メイン
2007年11月23日
【図解】家庭の密室化が生み出したものとは?
先日の【図解】家庭が密室化したのはなんで?
に引き続き、密室家庭が誕生して以降、その空間から生まれてきた現象をざっくりと図解化してみます。
【図解】家庭の密室化が生み出したものとは?
1970年~
密室家庭=過保護空間 社会空間=要求主義
∥ ∥・人権、福祉、平等などの
∨ ∨ 社会運動
子どもの囲い込み開始 マスコミの第一権力化
∥ |
∨ ∨
密室第一世代が親となる マスコミ・学校による自我教育 😈
∥(80年~) / |
∨ / ∨
子育ての自己流化<― いじめ・学級崩壊 🙁
|(自己中化)\ |
| \ ∨
∨ ―>マスコミの学校叩き=私権序列の完全崩壊
子供のペット化 |
囲い込み(超過保護) ∨
放任主義(自分第一) 教師の権威失墜
∥ |
∨ ∨
我が子第一、と見せかけて自分第一の親の台頭
| |
∨ ∨
モンスターペアレンツの誕生 = 要求主義の塊
∥ |
∨ ∨
自分も周りも自己中=完全な無圧力化―>学校もお手上げ
∥
∨
過保護な親と表層的な仲間関係の中で、主体性を失った子ども達の増加
| | |
∨ | |
ニート ∨ |
シュガー社員 ∨
子供の軟体動物化
さて、結局密室家庭の過保護空間から生み出された潮流は、世代を追うごとに無活力化する子ども達。
ひどい親は、モン・ペアとなり、我が子に降りかかる様々な圧力を次々と排除し、自己中化を一層増進させている。
この世代の親達は、核家族第二世代以降。密室家庭の中で育った子が親となり、消費者然としたクレーマーとして、社会に飛び出してきた。
村落共同体、あるいは高度経済成長初期段階では、まだ隣近所や周辺からの白い目圧力も働き、体裁を維持するだけの親への圧力=規範形成力も残存していただろう。
しかし、核家族化が完成形となった1970年以降、いよいよ家庭を取り巻く圧力は衰弱の一途を辿り、社会的な私権圧力の衰弱と相俟って、いよいよ密室家庭は聖域と化して行った。圧力の働かない空間で育てば、当然ながら活力、あるいは主体性を失った子ども達ばかりが増えて行くのは必然の流れ。
さて、そこから生まれた無活力な若者達が、親の世代となって行くこれからの社会は、果たしてどうなって行くのだろうか
ぼちぼち、親の認定制度が必要になってくるかもしれませんね。
かわいでした。
投稿者 kawait : 2007年11月23日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2007/11/398.html/trackback
コメント
投稿者 こん
こんさん、コメントありがとうございます。
密室家庭の問題性は、世代ごと再分化すればもっと細かい図解が沢山必要になるだろうと感じています。
また一方で、根本原因が見えてくれば、次に「どーする?」を考えるダシに使えるはずなので、今後は可能性図解に取り組んでいけたら良いな、と想っています。
引き続き、「気付き」をコメント頂けたら幸いです。
投稿者 かわい
よくまとまってますね、分かりやすいです♪
ところで、シュガー社員、、、って何?
単純質問ですみませんが、教えてください。
投稿者 チバ
チバさん、コメント+質問、ありがとうございます。
シュガー社員ってのは、簡単に言えば「甘えん坊」って事です。
社員といえば、ほぼ一人前の社会人なイメージですが、未だ親元にべったりで甘えん坊なお子様社員が、近年増加傾向にあるらしいですよ。
会社を休むのに親から代理で連絡が来たり、入社説明会や面接に親が付き添いで付いてきたり、などなど。過保護も度が過ぎると、いつまでも自立できない大きな子どもが育ってしまう、という事でしょう。
投稿者 かわい
シュガー社員って新しいですね!
けっこう有名なんですね。
裕福な日本特有って感じでしょうか・・・
投稿者 trshugu
シュガー社員は、
「甘えん坊」ってそんなかわいいものではありません。
その自己チュウ振りが、組織を混乱・崩壊させる=
会社をも、溶かしてしまう。
という様相も含んでいます。
投稿者 にっしん
よくできた図解ですね。
最近、中高年のボケと若者のアホという言葉を聴きました。
どちらも活力がでないということですが、中古年はいままでの私権獲得という方法が通用しなくなったための警戒心低下→活力ダウン・成果不良という構造ですが、
特に重要なのは、若者。この密室家庭で作られる過保護空間と仲間の表層的な空間で作られる過保護空間は、どうも、若者の活力を殺いでいるようです。
結局、対象欠落→単純ミス、活力が沸かないなどの現象をしめしているのではないでしょうか?
この状況を打破するのは、子供を親が囲い込まないこと。
徹底して、共認という期待・応合の原理を教え込むことなのかも知れませんね。
でも親たちにそれができない。親も勉強と転換が必要なのでしょう。