| メイン |

2007年09月22日

「人とかかわる力」を育てるには?

最近、「人とかかわる力」を育てることが必要だとよく聞きます。

うんうん、確かにその通り。では「人とかかわる力」って何でしょうか?どうしたらそれが育つのでしょうか?気になります。

そこで、人と人のかかわりの原点となる「赤ん坊と母親」の関係に立ち返って、まだ言葉のないやりとりから始まり、次第に言葉によるやり取りへと成長していく過程を追って見ます。

るいネットの投稿『「ともに見ること=共同注視」と観念機能の獲得 』と『共視論~母子像の心理学』(北山修著)を参考に紹介します。

乳幼児の発達段階では、1対1の向かい合う関係から、ある対象をともに見る関係(共同注視)への移行が見られ、それは同一視機能の発達(共認充足)、ひいては迅速な語彙の獲得に寄与しているようです。

続きの前にポチポチっとよろしく :D
         

 にほんブログ村 子育てブログへ

●乳児

ヒトの乳児は他の霊長類と比較して、養育者(親)の目をじっと見つめ、親子間の相互凝視が際立って多いそうです。ただしその際、新生児は相手の目は見ていても、相手の目とその先にある対象との間の目に見えない”線”を察して、相手のその対象に対する心の状態を読み取ることはまだできていない。

●生後2ヶ月頃

相手の顔の二つの目に特別な関心を寄せ始める。目の開閉に反応する(開いてる方に活発に反応する)。

A.jpg←クリックで拡大

このころの乳児は、この世にこんな面白いものがあるのかしらというでもように、人の顔、特に目を、じっと穴があくほど長く見つめます。乳児期の初期から「ことば」がなくとも、表情としぐさと声によって、かなりのやりとりができます。「人とのかかわり」の原点です。

そのときは、対面して互いに視線を交わす「目と目の見つめ合い」が大きな役割を果たしていて、ここで、もっとも大切なのは、「アァー」といえば「アァー」と応える、見つめれば見つめ返す、微笑には微笑みで応えるというよな共鳴的にひびきあう快い関係性です。

●生後3~4ヶ月頃

他者の視線の動きに連動して、自らの視線をすばやく動かす(視線追従)。他者の視線が正面か脇かを区分できる。

●生後6ヶ月頃

乳児は、それまでは、ばたばたお上下に腕を振る程度にしか使えなかった手を、精密な道具にして、手操作によって外界とかかわるという別の楽しみを発見する。自分の操作できる事物の世界に関心を向ける。そうなると関心の対象も変わってくきて、このころから、モノの世界に興味をもつようになる。

B.jpg←クリックで拡大

モノは、人とちがって、微笑みかけても、びくっとも動いてはくれません。しかし、自分が操作した分だけは、確実に動いてくれる。乳児はモノとの操作的関係のなかで主体の意思によって自在に対象を目的に合わせて道具を操作する関係を学びます。

ただし、まだこのころは、人-人の二項関係か、人-モノの二項関係かどちらかの関係性しかつくることができません。

●生後9ヶ月頃

指差しが始まる。これはモノを取って欲しいというような要求機能とは違って、自らが関心をもったモノを相手と共有し、同じモノを並んで眺める行為。このころから1対1の二項関係でなく、三項関係へと移行。

C.jpg←クリックで拡大

●生後1年目の後半

視線が二項(1対1)関係の外側にある第三のなにかについてのものであることを理解しだす。→視線を通じて、相手の意図が現在どこに注がれているのか、場合によっては相手がどんな心の状態であるかを知り得るようになる。特定の対象をはさみ、相手とともに注意を向けることで、その対象に関わる心の状態を相手と相互に理解するようになる。

●生後2年目後半

なんらかの言葉を耳にしたときに、自分の視線の先ではなく、話し手の視線の先にある対象と結びつけて理解しだす。特に共同注視をした際にモノの名前などの語彙を与えると、その獲得がスムーズ。語彙が爆発的にこの頃増加する。

D.jpg←クリックで拡大


「人とかかわる力」と言うとき、つい「人と人の二項関係」に目が行きがちになりますが、実はその関係とともに不可欠なのが「共同注視」する対象の存在のようです。

目の前にある対象を通じて、相手が何を感じているのかを知りたい、自分が感じていることを伝えたい、そして相手と自分が同じであるという安心感・充足感を感じたい、という潜在的な想いが原動力になって「人とかかわる」ことが始まるのだと思います。

そして、子供の成長と共に「かかわる人」は、母親→家族→友達→仲間へと広がっていきます。相手と「共同注視」する対象は、身近なモノやおもちゃ→遊び道具→勉強などの課題や目標へと広がっていきます。そして、やりとりの方法も「目と目の見詰め合い」→「言葉のやりとり」へと発達していきます。

「人とかかわる力」を育てるには、「ともに見る」相手の存在とともに、「ともに見る」対象=共通の目標や課題が不可欠のようです。(@さいこう)

投稿者 sachiare : 2007年09月22日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2007/09/347.html/trackback

コメント

【共視論~母子像の心理学】を書いた北山修教授って、もしかして、「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで、『戦争を知らない子供たち』『あの素晴しい愛をもう一度』『風』『花嫁』『白い色は恋人の色』『レッツゴー!サザエさん』などなど、大ヒットをとばした往年のフォークシンガーの人ですね。

『帰って来たヨッパライ』
おらは死んじまっただー・・・の
あの方々ですね。

たぶん若い人は知らないと思いますが、もととも精神科医だったことは知っていました。

>「共同注視」する対象の存在

たしかにその存在は、極限時代の人類も同じでしょうね。自然というとてつもない外圧を注視し続け、共認回路を適応して、はじめて【言葉】という観念を生み出したことと同じように外圧対象が必要なのでしょうね。

なるほど、おらは死んじまったダーですね。
戦争を知らない子供たちの歌詞も当時はこころを打ったものです。

北山修教授プロフ・・・
1946年淡路島生まれ。札幌医科大学内科研修生を経て、ロンドンのモーズレイ病院およびロンドン大学精神医学研究所にて2年間研修。帰国後、北山医院(現北山研究所[南青山心理相談室)院長。現在、九州大学大学院人間環境学研究院・医学研究院教授。専門は精神医学、精神分析学。(ウィキペディアより)

投稿者 こん : 2007年9月23日 01:01

コメントしてください

*