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2007年09月13日

明治時代における通俗教育


明治5年の学制により学校制度が作られて以降、小学校への就学を促進するための親に対する啓蒙的な教育として、1885(明治18年)に「通俗教育」が初めて文部省の事務章程に規定されました。

「通俗教育」とは?・・・「明治期東京における地域通俗教育の変遷と諸相」(松田武雄氏)によれば、

通俗教育は当初、就学奨励を目的として、親に対して学校や教育の重要性について通俗的に語ることから始まったが、合わせて親や住民に対する国民としての啓蒙的な教育としての意味もあった。日清戦争以降、小学校の就学率は急速に上昇し、国民教育制度の確立が進んでいくが、それに伴って通俗教育の内容が、親への就学奨励を目的とする教育から民衆への啓蒙的な教育へと比重を移していく。
特に1894(明治27)年8月に始まった日清戦争に際しては,国民の愛国心の形成や・「尚武教育」を目的とした幻灯会などが実施され,国民意識を鼓舞していく。

とあります。戦前に始まったこの通俗教育は、国家による一方的な思想統制という側面は無く(というよりもそのような基盤がなかった)、各地域による主体的な活動として位置付けられており、その活動の発展が日本の社会教育行政の土台となったそうです。

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以下は、松田武雄氏の論文からの引用です。

 このように教師は、父母をその教育意識を高めるために啓蒙するとともに、教師にとって子どもの教育を効果的に行っていくための協力者でもあるという認識があった。しかし一般的には、学校と家庭との連絡が不一致であるのは、「世の父兄のブレイン中に教育的観念の欠乏せるもの多きが霞め」であり、「世の父兄の多くは、学校教育の何者たるを解せず、従て家庭と学校とは、如何なる関係の存するやは悟るなきが故にあり」という、父母に原因を帰する見方が多かったであろう。

また、学校と家庭における教育機能の違いに言及する論もあった。すなわち教育には教授と品性の陶冶があり、教授は学校で行うが、品性の陶冶は学校だけでなく「学校と家庭との協カー致」が必要であり、「最も有力なるは家庭に在り」として、次のように述べている。「学校にて築きしを家庭にて崩さば習慣をなす能はざるなり。家庭にて温めしを学校にて冷さば習慣をなすこと難きなり。

 いずれにせよ1890年代以降,学校と家庭との一致協力が必要であるという認識が教育関係者の間に形成され」通俗教育の会においてそれが演題になったり,父兄懇話会が開かれたりする。また,次の事例のように,新しい組織をつくって父兄懇話会を系統的に行っていく小学校も出てくるのである。

元々通俗教育の目的は就学奨励でしたが、学校教育の効果を高めるために親の教育意識の向上を図る教育へと変化していることがわかります。何故そんなことが必要になったのでしょうか?これは既に

学校教育の内容が親の教育意識と乖離してしまっていた

といえないでしょうか。つまり学校教育そのものが地域社会の生活からズレていたことを意味すると思います。

 一方で、日清戦争や日露戦争を前に、戦争を支持する国民意識の形成を図る機能として、学校と家庭をつなぐこの通俗教育が必要だったのであり、重要な意味を持っていたんでしょうね。寺子屋から学校へと変わり、一足飛びに国民の洗脳機関になっていった・・・というのは言い過ぎでしょうか。

投稿者 hiroaki : 2007年09月13日 List   

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