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2007年06月24日

学校ってどうなってるの?8~日教組って何?~

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学校や教師の有り様を考えるとき何かと問題となる「日教組」ですが、折角なので少し調べてみました。

日本教職員組合(日教組)は、

1947年(昭和22年)第二次大戦直後に「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」を標語として設立、教師の倫理綱領を定めて新しい教員の姿を模索しつつ文部大臣らと団体交渉を行う労働組合でした。

実は、GHQの民主化政策の一つに労働組合の育成があったようです。

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戦時中「アカ」と呼ばれ、投獄されたり、活動を停止した共産主義、社会主義の活動家、労働運動家が活動を再開して、1946年から47年にかけて相次いで労働組合が結成されましたた。

GHQの意図が、戦前の日本軍国主義の反対勢力であった「民主主義活動家」を復活させて「人権」「平和」思想を定着させ戦争の抑止力とすることにあったのは想像に難くありません。しかし、当時の「民主主義活動家」は戦前の軍国主義に反発する関係から左翼色が強く、復活とともに労働者の権利運動を展開、GHQの意図以上に共産主義勢力との親近感を強めていきました。

1952(昭和22年)GHQの日本支配が終了。経済成長とともに労働者の権利運動も激化して、左派系組合の運動が先鋭化、大規模ストが頻発します。

その後の日教組の活動は、

1956年(昭和31年)教育委員会が住民による公選制から首長任命制に移行することへの反対
1958年(昭和33年)教員の勤務評定を実施することへの反対
1961年(昭和36年)日本の全国統一学力テスト実施への反対
1965年(昭和40年)歴史教科書問題をめぐった裁判(家永教科書裁判)運動の展開
1994年(平成6年)旧・日本社会党を支持していた日教組は社会党と合わせて文部省との協調路線に転換し、2002年度(平成14年度)から翌年度の文部省告示の学習指導要領では、日教組合が主張してきた「自主的なカリキュラムの編成」に近い「総合的な学習の時間」が新設。
2003年(平成15年)広島県尾道市で民間登用制で着任した元銀行員の小学校校長が自殺。自殺の原因に「校長に対する『突き上げ』はいじめにも等しい」との主張も。広島県では1970年(昭和45年)から現在まで12人以上の校長・教育関係者が自殺している。
2006年(平成18年)日教組は政府与党の教育基本法改定に反対し一部の教師らが国会前で抗議集会。授業のある平日に行われていたため批判もあったが、日教組は「年休を取り、他の教員に補講を頼んでいる」と弁明。

以上参考;wikipedia 日本教職員組合http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%95%99%E7%B5%84 同 日本の労働運動史 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8A%B4%E5%83%8D%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8F%B2

ここで改めて考えてみます。昨今のブログ界では、日教組や朝日を「北朝鮮」「売国」と非難する勢いが強いです。しかし、そうした左、右といった分かりやすい勢力構造を歓迎するのは昔も今も国家政治の側であるでしょう。問題は、そうした右傾化の意識を捏造することに彼ら左翼側も(結果として)加担していることですが、それより重大なのは、そうしたイデオロギー闘争の派生物として喧伝された「人権思想」=「個人主義思想」だと思います。
例えば、戦争反対=国家統制反対→個人の人権(生存権)尊重、軍国主義批判→国家国旗に関する個人の選択権主張→個人主義、などです。その他体罰禁止、個人の成績、性格評価の禁忌など、教育現場には様々な理由で個人主義思想が持ち込まれました。その主犯は確かに日教組のイデオロギーに犯された教師自身であったでしょう。しかし、彼らもまた左翼、右翼を巡るイデオロギー闘争の犠牲者なのです(イデオロギー闘争の主体は、国益という大きな利権を巡る国家であり、そこではイデオロギーも単なる道具に過ぎないでしょう)。

そして、これらの「個人主義」がイデオロギーであるにも拘らず教育現場に定着して行ったのは、実は「思想」「主義」の力ではなく、貧困→豊かさへの変化における個人の欲望追求の可能性期待(収束)によるものであったのだと思います。人類史上初めて生存圧力を克服しつつあった当時の人々が、これまでの抑制的意識から個人の幸せ追求へ大きく転換できたということです。

この意識の変化は、教育現場だけでなく企業や家庭内でも起こりました。そして日本中が個人主義一色となり、今現在の自己中増殖、自己完結の閉塞を生み出したのだと思います。本来ならそうした時代の変化を読み取り子弟を的確に導いていくはずの教師や大人が、当時も今も変わらぬイデオロギー闘争や個人の権利闘争に囚われているのは滑稽で、空しくさえなります。

戦後持ち込まれた個人主義思想は、60年を経て漸く転換しようとしています。今となっては、左も右も、権利闘争のために利用された思想でしかなく、「極論」でしかありません。このことに気づけなければ、子どもたちを導く役にも立たないことを、我々大人は明確に意識すべきだと思います。(さいゆー)

投稿者 saito : 2007年06月24日 List   

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コメント

「彼らもまた左翼、右翼を巡るイデオロギー闘争の犠牲者なのです」

日教組は常に権力闘争の主体であり、教育現場を混乱させることで国体の脆弱化を図り、暴力革命を虎視眈々と狙ってきた。
この恐るべき罪状を相対化して非を免れようとすることは赦されない。

投稿者 SOIHGSE : 2007年6月25日 19:35

日教組って先生方の労働組合ですよね。

労働組合って要求はするけれど、創造はできないですね。

すでに、その否定意識の潮流の終焉を迎えているように思います。

>今となっては、左も右も、権利闘争のために利用された思想でしかなく、「極論」でしかありません。このことに気づけなければ、子どもたちを導く役にも立たないことを、我々大人は明確に意識すべきだと思います。

確かに、いままでの思想は、右であれ、左であれ、否定意識そのもの。これでは、まったく、社会の役に立たないばかりか、癌でしかないですね。

すでに、意識潮流は、右も左もない。ですよね。

投稿者 こん : 2007年6月27日 12:23

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